39.主の戻った執務室
執務室の中へと入り、扉を閉める。なんだか執務室へ来たのも久しぶりな気がした。
「···ん?」
暖炉に火が付いており、机の上にはまだ温かい朝食が置かれていた。だが、いるはずの人物がおらず辺りを見渡してみる。
(どこかに行ったのか?)
相変わらず書類は綺麗に整理されていて、その仕事ぶりからは彼女の几帳面さが伺えた。
まずは通さなければいけない急ぎの書類に目を通し、可か不可かを判断してから判子を押していく。
普段ならなかなか食事を取りながらなんて事はしないのだが、彼女の食事は食べやすさを重視した食事だからかつい手が伸びてしまう。
(今回のも美味いな)
おにぎり、スープ、果物。どれも手軽に食べられるようにされていて実に食べやすい。一口サイズに切られていたり、手が汚れないようにおにぎりは紙にくるんであったりと気遣いや配慮、というのはまさにこういう事をいうのだろう。自分とは無縁のものだと苦笑する。
細やかな気遣い、自ら率先して動いて何かをしようと努力する姿勢。霜焼けの薬のこともそうだ。どれも婚約者としては勿論、人としてもとても好ましいものだろう。
だが彼女が若いからか、それとも顔を合わせていないせいか、それとも彼女の事を未だによく知らないせいなのかは分からないが、俺はいまいちヴェリア嬢への態度を決めかねていた。
こちらの威圧に怯むこともなく、堂々と言葉を述べた彼女は、本来はとても芯の強い女性なのだろう。だが時折、拒絶されることが前提のような話し方や、何かに怯えるかのような素振りを見せることがある。
それはまるで今まで、自分の意見を押し殺して生きてきたような印象をうけた。
(彼女は、どんな思いでここまで来たんだ)
人ですらない、死神などと呼ばれる自分に会いにくるなど。
(···まぁ、何はともあれヴェリア嬢の俺に対する印象は最悪だろうな。何せ初対面の女性に剣を突きつけたくらいだから)
別に自分の判断が間違っていたとは言わないが、間違いだったと分かる今では流石に罪悪感がある。
罪滅ぼしというほどでもないが、彼女が暮らしていくのに困らないほどの環境は整えてやりたい。魔物と雪しかないここでは、かなり難しいかもしれないが。
(···あの後、何か王都で動きはあったのだろうか)
特に情報が入ってきているわけではない。彼女が王都を追われた話はおそらく、ここにいる全員が知らない話だろう。
時期的に今年の新人も知らないはずだ。それくらい、この場所は周りと断絶されている。
「···ここが、僻地で良かったと思うべきなのか」
ここには、手紙を届ける配達人すらいない。来る途中で遭難したり、魔物に襲われて今まで何人もの配達人が命を落としたからだ。
連絡鳥を使ってやり取りすることも不可能ではないだが、遠くなればなるほど対象の相手に届けるのはかなり難しくなる。
(なら、あれしかないか)
俺は引き出しから1冊の分厚い本を取り出すと、中身を開いた。
とある情報屋から手に入れた、魔法具の本。本といっても、文字が書いてあるものではない。文字を書き込むためのものだから、ノートといったほうが正しいのか。中を開くと、ほとんどが空白のまま。
使っているのはたった10ページほどで、最後の日付は10年以上前のものだった。そもそもこれが今も稼働しているかも定かではないが、備え付けのペンを手に取り本へと文字を書き込む。
『久しいな。少々知りたいことがある。まだこれが稼働しているのならば、返事が欲しい』
そう書き込むが早いか、ふわりと本の表紙が赤く光る。
『びっくりしました!生きてたんですね、デルフィランズ卿。知りたいこととはなんでしょう?』
カリカリと書き込まれるように、やや癖字の文字が本に浮かび上がってくるのを見る限りどうやらこの本はまだ生きていたらしい。
この本は魔導具の一種で、遠く離れた特定の人物と文字を共有できるノートだ。互いしか書き込むことはできず、また見ることもできない。そういう仕組みでできている。
『王族について知りたい。何かここ最近で変わったことはあったか?』
『王族ですか、そんな事が知りたいなんて珍しいですね!』
『新人と話が噛み合わないことがあったんだ』
『ならもっと使ってくださいよ!10年も情報入れてないとか、デルフィランズ卿の情報はもはや化石ですよ!』
凄まじい早さで書き込まれる文に、苦笑が浮かぶ。相手は元デルフィランズ家の騎士であり、今は情報屋をしている男。
これを使うのが10年ぶりな事から分かるように、長い事話していなかったが、相変わらずのようだ。
(確か、騎士を止めてこちらへ来る直前に餞別に、とこれをくれたんだったな)
たが、これを使う余裕も時間も無くなり、長い事この本に触れていなかった。
これを手渡された日、どこか泣きそうな顔をしていたことをふと思いだす。
『それで、王族でしたっけ?最近、殿下の婚約者がアリス様からマリアナ様という方に変わりましたね。後は…あぁ、まだ詳しい事は分かりませんがマリアナ様の家庭教師が1人クビになりかけたとか。何があったんでしょうねぇ。それについての詳しい情報はまだ入ってないので分かり次第報告します』
サラサラと浮かび上がってくる文字を目で追う。情報屋ということもあり、書き慣れているのだろう。
『後はあれだ、アリス様の護衛騎士だったテオがマリアナ様の騎士になったらしいです。テオはアリス様を慕っていたらしいので、何か一悶着あるんじゃないでしょうかねぇ』
(一悶着、か。彼女を慕っていた護衛騎士のテオ。ルードルフから1度聞いた名だな)
『ルーク様も今は動きはないようですが、もしかしたら水面下では動き出すかもしれません。今のところはそんなところでしょうか。』
『殿下の婚約者が変わった理由は?』
『元婚約者であるアリス様は、マリアナ様に毒を盛ろうとして失敗。その後監禁されていたところを自ら海に身を投げた、とされていますが···この国では死んだことにされていますね』
(···とんでもない冤罪だ。現国王や王妃は腐っているとは思っていたが、それがその息子にまで引き継がれているとはな···)
『もしもまだ生きてるなら殿下から狙われてしまうんじゃないでしょうか。あぁ、そうだ。マリアナ様の情報で1つ、面白いことがあるのです』
(面白い?)
『殿下とマリアナ様は、どうやら喧嘩をしたらしいんですよ』
『喧嘩?』
『はい。マリアナ様がテオにちょっかいを出していたからなのかと思っていましたが、どうやら違うようです。理由は、寝言で他の女の名前を呼んだ事、らしいですよ?』
(思ったより、時間がかかってしまったわ)
パタパタと転ばないように、廊下を進んでいく。キッチンへと行き、カロの実が砕かれてスパイスになったものを借りようとしたのは良いものの、何に使うんです?と聞かれて簡単に説明していたところ、どこからともなくメル様が現れ、あれよあれよという間にポーション塔まで行くことになってしまった。
何がどういう思いつきでそうなったのかと質問責めになり、一通り聞いた後は「今から実験してきます!」と言ってありったけのカロの実のスパイスを手に再びポーション塔を飛び出していってしまった。
(少しでも予防になるならいいのだけれど)
ただの思いつきだし、逆に悪化してしまう可能性だってある。これは根拠のないただの思い付きなのだと素直に不安を口に出すと、だからこそ試して見るんですよ、大丈夫です!という返事が帰ってきた。
ありったけのボトルを持っていった為、現在はキッチンからカロの実のスパイスボトルが全て消えているという。
ほんの少しだけのつもりが、既に1時間ほどが経過していた。
(デルフィランズ様は帰ってきているかしら)
流行る気持ちを抑えて、扉の前に立ってノックをする。
「どうぞ」
その声を聞いてから、私はゆっくりと扉を開けた。
「久しぶりだな、ヴェリア嬢」
久しぶりに会った彼は、いつもと変わらずの姿でそこに座っていた。ずっと主が不在だった為か、心なしか寂しそうに見えたこの部屋も活気が戻っているように見える。
彼は今まで読んでいたらしい分厚い本らしきものをパタンと閉じると、なぜか溜め息をついた。
「お久しぶりです、デルフィランズ様。···あの、お疲れなら少しでもお休み下さい。溜め息をつかれていたようなので」
「いや、疲れていた訳では無いから気にしないでくれ」
「そうですか。お怪我はされていませんか?」
「大丈夫だ。ヴェリア嬢も変わりないか?」
「はい」
ちらり、と彼を盗み見るが特に怪我らしい怪我は見当たらない。もしかしたら魔物の事で頭を悩ませていたのかもしれないと思い、早めに要件を伝えようと口を開こうとすれぱ。
「そういえば、霜焼けの薬を完成させたと聞いた。長年の悩みの種が1つ消えたよ、ありがとう」
「い、いえ!完成させたのはメル様ですが、その···皆様のお役に立てて、良かったです」
彼からもお礼を言われるとは思っておらず、思わず驚いてしまった。
嬉しさの余り、一瞬話そうとしたことが頭から飛んでしまいそうになったが、再び思い返してそのことを口にする。
「あの、デルフィランズ様。1つお願いがあるのですが、聞いていただけますか?」
「お願い?」
その単語に、彼が目線を上げて少し首を傾げた。
「厚かましいかもしれませんが、要望書を私にも見せていだけないでしょうか。もしかしたら、私でも何か分かることが···手伝える事が、あるかもしれないと思ったのです」
その言葉を聞いたデルフィランズ様が、口に手を当てて何かを考えるような素振りを見せる。
「要望書か···」
「あと、私にもできる仕事があれば何かさせていただきたいのですが···できることであれば、何でも構いません。女の私では力仕事はあまり向いていないかもしれませんが、料理でも裁縫でもある程度はできます」
勿論、職人の方や元からやっていた方には程遠く及ばないだろう。だが、少しでも何か力になりたくて、思わず言うつもりの無かった言葉までするすると口をついて出てしまった。
そのまま続けようとしてふと彼を見ると、目を開いてこちらを見ていたことに気がつく。
「···あ、あの?···はっ、すみません。お願いが1つではなく2つになってしまっていました。どちらかだけでも構いませんので」
「···あぁいや、すまない。つまり、ヴェリア嬢は何か仕事がしたいと言うことか?」
「はい。これ以上何も役割を持たないで暮らさせてもらうのは申し訳なくて」
「···そうか。分かった、ではヴェリア嬢にはフィンの元で仕事をしてもらおう」
「ありがとうございます!」
「だが、無理はしないでくれ。ここは一歩外に出れば、人を殺す魔物が住んでいることを忘れないでほしい。事務仕事だから心配はないと思うが···」
「はい。それは心得ています」
「それと、要望書を見てもらえるならありがたい限りだが、如何せん無理難題も多い。勿論実現可能な物もあって、決まっていることをわかりやすい形で交付してほしい、なんて物もある。簡単なものばかりではないし、時間がかかるものも多いから君に負担がかからない程度で見てほしい」
「······っ、」
昔、今よりももっと幼い頃。
どれだけ頑張っても、努力しても褒められることもなく、いくら必死で覚えてもそれが当たり前だと言われ続け、あまりに辛くなった時。
1度だけ、自分に足りないものは何かと教師の1人に尋ねたことがある。
ーーー貴女には努力も実力も何もかもが足りません。もっと寝る間も惜しんで努力して下さい。
あの頃は、何もかもが足りていなくて。自分にのしかかる負担も重圧も、全て自分の責任で。
熱を出せば、自身の健康管理もできないのかと溜息をつかれた事を思い出す。
(負担がかからない程度、だなんて)
デルフィランズ様は、ここにいる人達は、どうして皆優しくしてくれるのだろう。
まるで、自分を一人の人間として扱ってくれているみたいに。
「···はい。肝に、命じます」
でも、最近ようやく気が付いた。
気がつくことが、できた。
ここの人達は皆、私を『殿下の婚約者』としてではなく、一人の人間として見てくれているのだと。魔物の討伐に関しては私は何の力にも慣れないけれど、少しでもそれを支える基盤になることができれば。
(少しでも、恩返しがしたい)
私を人間にしてくれた、ここの優しい人達に。




