38.感謝とカロの実
翌日、私はいつもよりも早く目覚めた。いつもの通りカーテンを開けると、まだうすぼんやりと暗く早い時間であることが分かる。
「···私ったら、子供みたい」
デルフィランズ様に会えるのが楽しみで、早くに目が覚めるなんて。
なんとなく気恥ずかしくなりながらも、手を打ち暖炉に火を入れてから顔を洗いに洗面台へと向かう。パシャリと顔にお湯をかけると、少しだけ気分も晴れた気がした。
(そういえば、メル様はあの後大丈夫だったのかしら)
結局掃除が終わっても帰ってくる事はなく、主がいない部屋にそれ以上長居するのも気が引けてそのまま帰ってきてしまったのだが。そのまま部屋へと戻ると、棚の上に置きっぱなしになっていた緑の薬が入った小さな容器が目に入る。
「···何かもっと、私に手伝えることはないのかしら」
そういえば、この霜焼けの薬が欲しいというのは要望書に書かれたものだったはずだ。
(さすがに他の書類は触ることができないけれど、要望書だけでも見させてもらうことはできないかしら。勿論私の知識だけではどうにもならないこともあるだろうけど、今回みたいにできることがあるかもしれない)
今日デルフィランズ様にあったら、相談してみよう。そんな事を考えながら、私はドレスに着替えてウラムケープを羽織る。
鏡台に座ってメイクをして、髪を梳かしてから最後に掃除をした。もうこの一連の過程もすっかり慣れたもので、だいぶ手際も良くなってきている。
「···よし。時間は···まだ早いわね。今日はデルフィランズ様にも何か作って持っていこうかしら」
簡単に食べられる野菜スープと、果物は前のようにピックに刺して。サンドイッチには何をいれようか。
そんなことを考えながら扉を開くと、開けた先の光景を見て少し驚いた。隊員の方が、廊下にずらりと並んでいたのだ。
(···何か、あったのかしら)
「あの···?」
「ヴェリア様、おはようございます!」
扉の前に立っていた隊員の方が、挨拶をしてくれる。確かルードルフ様の隊に所属されているカロルさんとジャンさんだ。
「おはようございます。何か、ありましたでしょうか?」
「霜焼けの薬を開発してくださったと聞きまして···!どうか、お礼を言わせてください!」
「···いえ、そんな。私は覚えていた事をお話しただけです。実際にお薬を作って下さったのはメル様で···」
「それでも、あなたの知識のおかげで隊の皆が助かりました」
「そうなんですよ、ヴェリア様!霜焼けってめちゃくちゃ痒くて!戦いに集中できないこともあるのです!薬を開発してくれてありがとうございました!」
「ヴェリア様、霜焼けって馬鹿にできないんです。昔はそれで命を落とした者もいました。本当に、本当にありがとうございます···!」
「······」
それはきっと、寒冷地故の悩みだったのだろう。凍えそうなほど寒い中、魔物を食い止めようとしてくれている人がこんなにもいる。次から次へと並べ立てられるその言葉の数々に、私の胸にはじわり、と初めての実感が湧いてきた。
(役に···立てたんだわ)
廊下に沢山並んだ人たちから、ありがとうございましたと声をかけられて、思わず涙が零れそうになる。
(嬉しくても、涙は出るものなのね)
視界がわずかに滲むが、指で拭って知らないふりをした。
「···どういたしまして。皆さんのお役に立てて嬉しいです」
隊の方からお礼を言われながら階段を移動している最中、ふと気になったことを尋ねてみる。
「あの、ジャンさん。聞きたいことがあるのですが」
「なんでしょう?」
「メル様が、昨日薬を完成させたあと靴も履かずに出ていってしまってから会っていないのです。ジャンさんのところにもメル様は来ましたか?」
「あぁ、確かになぜか靴を履いてなかったので履かせましたよ。心配してくれてたんですね」
「あぁ、良かった。···突然出て行ってしまわれたので心配だったのです」
「まぁ、薬のことになると頭から色々飛ぶやつですからね。いつものことですし、誰かしらは世話を焼くので気にしなくても大丈夫ですよ。あ、そういえばポーション塔を掃除してくれたのってもしかしてヴェリア様ですか?」
「え?ええ、そうです。···もしかしてメル様が何か困ってましたか?」
「いやいや、困ってるんじゃなくて部屋がすごい綺麗になったって驚いていたんですよ!お礼を言いたいそうなので、今度時間があるときにでもポーション塔に顔を出してあげて下さいね」
「はい」
その後も、私は沢山の人からのお礼を聞きながら食堂のキッチンへと向かったのだった。
「···沢山作りすぎてしまったかもしれないわ」
そんな事を呟きながら、私は今デルフィランズ様の執務室へと向かっていた。
持っているトレーには一人で食べるには多いのではないだろうかと思われる量の料理が並んでいる。
(···それに、よく考えれば何時に帰って来るのかわからないのに。張り切り過ぎてしまったわね)
少し気恥ずかしくなりながら、執務室の扉の前に置いてあるテーブルに一旦トレーを置いてからノックをする。
いつも通り返事が無いのを確認してから扉を開け、トレーを持ち上げて中へと入った。
「よいしょ、っと」
トレーを起き、扉を閉める。暖炉の前で手を叩いて火を入れつつ、今日は掃除から取り掛かろうと決めて掃除用具入れを開けた。
掃除と言っても、毎日のように簡単にだが清掃は行っているので、そんなに汚れているわけでもないのだが。
床の埃を集めながら机の上を見ると、また数十枚の書類が溜まっている。その一番上に乗っていた、要望書に目が行った。
「···凍傷···」
主な患部は足の指や耳や頬、鼻などが凍りつくことにより起こる傷害だ。霜焼けが起こるくらいなのだから、当然凍傷もありえる話だろう。
(あまり詳しい事は分からないけれど···凍傷の初期であれば、温かいお湯に浸かるのが1番良いと聞いたことがある)
ただそれは本当に初期の状態の手当であり、酷いものまでいってしまえば役に立たないだろう。
「どんな要望書なのかしら。···凍傷の予防法について、か。確か、濡れた衣服は患部を冷やすために悪化しやすくなるんじゃなかったかしら···もしも長く外に出ているのだとしたら、変えの靴下や手袋が必須になりそうよね」
ここは一年中寒い気候だが、冬季間中は更に冷え込みが激しくなるとルードルフ様から聞いた。
(あとは、寒さも勿論だけど血行不良も凍傷を引き起こす原因だったはず。できれば緩めの服を着たり、ブーツの紐やベルトで身体を締め付けすぎないようにすれば少しは予防法になるかな···)
だが、その方法ではすでに行っている可能性がある。新人の方に改めて提示するのは良いのかもしれないが、もっと他の方法はないだろうか。
「あ、靴下や手袋に乾燥の魔法を付与して、魔導服にしてしまって常に足先や手先を濡れないようにしたらどうかしら。···いえ、それでは変えの分も含めたらあまりにも量が多すぎる。それでは作る人が大変だわ」
魔道服を作れる人がどのくらいいるのかは分からないが、ここは工場ではないのだ。突然の大量生産はきっと難しいだろう。
「···なら、中敷きならどうかしら?もう全員分あるし、わざわざ手間を掛けずに誰でも手軽にできる事···カロの実の粉を付ける、とか?」
そこでふと思いついたのは、カロの実だった。
カロの実は、かじるととてつもなく辛い木の実の事。スパイスや薬としても使われており、食べることもできるのだが、単体で食べてしまうと一週間は味覚が無くなってしまうと言われている。
寒い所にしかならず、基本的には冬しか取れない木の実なのだが、ここの気候ならいつでも手に入るのではないだろうか。
(そういえば、スパイスとして粉になったものがキッチンにも置いてあったわ。···あれが粉になってからどのくらい立っているか分からないけれど、1度私の中敷きか靴下で試してみようかしら)
本当に効果があるかどうかは、試してみないと分からない。考えたらあとは実行する事だとシリル先生も話していた。もちろん危険な事でないことが大前提だったが。
「···今からやってみようかしら」
デルフィランズ様は、まだ来ていない。時間で約束したわけではないのでいつになるかは分からないのだから、キッチンに行って戻ってくるくらいならすれ違いにならないのでは無いだろうか。
「···急いでいけば、きっと大丈夫よね。キッチンから執務室まで、そんなにかからないもの」
そう考えた私は、デルフィランズ様の執務室から出ると一階のキッチンを目指して階段を降りていったのだった。




