37.忘却の魔法
数日間、あの女の護衛をしていて、分かったことがいくつかある。
どうやらまだ、あの女はアリス様がしていた仕事を請け負っていないらしい。殿下は正式に結婚式を挙げてから仕事をさせるつもりのようだ。
今更ながら妃教育は受けているようだが、アリス様に比べれば酷く進みが遅い事。だが殿下の機嫌を取るために、教師達は皆揃って『優秀だ』とふざけたことを話していると。
「···あいつら、揃いも揃ってふざけやがって。あの女のどこが優秀だって?」
(あれがアリス様に比べればまったく勉強ができないとまともなことを進言しているのは、シリルぐらいか)
ふと、昨日の出来事が思い出される。
「恐れながら、殿下。マリアナ様の知識は酷く不完全で、不十分です。このままでは確実に教育が間に合いません」
「お前がそんなことを言うとはな、シリル」
「···大変失礼ですが、マリアナ様に殿下の妃になれるほどの器は御座いません」
「···シリル。その発言は覚悟の上だろうな?」
「勿論です」
「そうか。お前には期待していたんだが、残念だ。···死ね」
そのまま、殿下は剣を抜きシリルに斬りかかろうとした。それを止めたのは、なぜかあの女だった。
「!い、いいのです、ルーカス様!お止めください!!」
「···マリアナ?」
「考え直してください、ルーカス様!シリル先生は私にまだまだ至らない点があると教えて下さっているだけですわ!私もまだ覚え始めたばかりですもの!どうか、これからも教えていただきたいわ!」
何故かそう言って必死になって止めるマリアナに興が削がれたのか、殿下は剣を収めた。
「···チッ。シリル、今回はマリアナに免じて許してやる。だが次にまた同じ発言をしてみろ。今度は彼女が止めてもお前の命は無いぞ」
「···御意」
この程度のことで、いや、事実を突き付けられただけで教育係を殺そうとするなど、殿下はやはり頭がおかしくなってしまったらしい。
(あの女が何かしたのか、それとも本気でおかしくなったのか)
それとも、昔から狂っていたのか。俺には知る由もないが、シリルなら何か知っているだろうか?
あのレモンパイを出されたふざけたお茶会の後もまるで俺の機嫌をとるかのように、頻繁に護衛騎士としてではなく、俺個人に接触してくる機会が多い。そして、なぜか俺の好みを知っているかのような物ばかり出してくるのだ。レモンパイにオランジェット。レモンや柑橘系を使った甘酸っぱいお菓子ばかり出してくる。
(俺は自分の好みなんて誰にも話したことはない。だがあの女は『このお菓子はテオが好きなはずなのに。なんで喜んでくれないのかしら』と独り言を言っていた。まるで俺の好みを元から知っていたかのような口ぶりで)
アリス様から聞き出した可能性も0ではない。だが、それにしてはどうも違和感が残った。
(なんというか、アリス様と俺の間で起こった思い出や情報を勝手に覗き見られているかのような無気味さがある)
まるで、人の思い出を何らかの形で見てきたかのような。
(あの女が時折書いている日記。何か関係があるかもしれないな)
この際、シリルにも話を聞いてみたほうがいいかもしれない。俺は少しだけ空いた時間を利用して、あの男に会いにいくことにした。
「シリル。いるか?」
「···なんだ、テオじゃないか。何か用だった?」
そういって振り返った男はどこか気だるげな雰囲気をして長い焦げ茶の髪を1つに纏め、ペリドットのような深みのある緑の目をこちらへと向けた。王宮魔道士であり、教育係でもあるシリル ・スチュアートだ。
「いや、先日のマリアナ様の件でちょっとな」
「あぁ、私があの人は妃の器は無いって言った事かい?あれは嘘は言ってないよ。残念だけれど、あの人に妃は務まらない。そこまでの器量も無いし、知識も習得しようする気力も無さそうだ。そして何よりも大切な品格が足りないようだし」
「当たり前だろう。アリス様にありもしない罪を着せたような女だ。気品なんてあるわけがない」
「ありもしない罪、か。何か証拠はあるのかい?」
「···残念ながら物的証拠はない。ただ、アリス様が海に落ちた日に俺の同僚が1人処刑された。アリス様がいた部屋の前に立っていた騎士だ。何かを聞いたのか、それとも何か都合の悪いことがあったのかは分からないが」
「···そうか。それは残念なことだが、処刑されたということはそれだけの理由があったのだろうね」
「シリルは、マリアナ様の事をどう思っている?」
「···マリアナ様か。何度も言っているが、彼女に妃は無理だよ。妃というのは王の跡継ぎを産み、横で微笑むだけが仕事ではない。マリアナ様はまったく想像と違う現実を見たとき、重圧に耐えきれず逃げ出してしまう人だと思うよ」
「···教師の中でシリルだけだな、現実を見ているのは」
「ところでテオ、私なんかにそんなマリアナ様への反抗心を剥き出しにしていていいのかい?私は現実を述べているだけだけど、君はそうもいかないだろう?」
「シリルもマリアナ様の事が嫌いなんだろ。それくらい見てりゃわかるよ」
「···ふふふ、本当にそうかな?私は殿下に殺されかけているからね。我が身可愛さにテオの事を売るかもしれないよ?」
「お前はそんなことをする奴じゃない。間違ったことがあれば全力で止めて、何としても正そうとする奴だ。たとえお前が違うと言っても、俺はそう信じている。だから裏切られたなら俺はそれだけの存在だったということだけだ」
「···本当にいつでも真っ直ぐだね、テオは。私は君が羨ましいよ。そうだね、確かに私はマリアナ様に対してあまり良い感情を持っていないのは確かだ。アリス様を追い出した本人でもあるからね」
「···アリス様は、今どこにいるのだろう」
「おそらくだが、亡くなってはいない筈だ。本当のところはきっと行方不明なんだろうね。だから希望を無くしてはいけないよ、テオ」
「···あぁ。諦める訳がないだろ。それに、マリアナ様のどこが良かったんだか全く分からねえ」
「···そう、だな。マリアナ様は、アリス様にもーーーあの方にも、何も似ていないのに」
「あの方?」
「···いや、とにかく何度と言うようだがマリアナ様は、妃になれるような方ではないよ。足りないことも多いのは仕方がないにしても、そもそも学ぼうとする姿勢がないんだ。まるで覚えなくても大丈夫だと高をくくっているような印象を受ける。なぜかは分からないけどね」
「···覚えなくても大丈夫って、そんな訳がないだろうが。マリアナ様は何を考えているんだ」
「さてね。現実は絵本の物語のように、こうして王子様とお姫様は幸せになりました。めでたし、めでたしなんてことはありえない。高い身分には、必ずそれ相応の責任と重圧がかかってくるものだ。この国の妃になるということを、どこまで彼女は分かっているのだろうね」
「···シリルがそこまで言うなんてな。やっぱり他の教師の言っていることは全て嘘か」
「そうだね。殿下が選んだ新しい婚約者の気分を害するわけにはいかないと思ったのか、2人の機嫌取りだけで精一杯のようだ。どうやら殿下も更におかしくなってしまったようだし、今回も私の声は届かなくなってしまったみたいだね。···とても、残念だよ」
はぁ、とシリルがため息をつく。
「更におかしくなったって、どういう意味だよ。今回もってことは、昔も殿下は何かをやらかしているのか?」
「···昔、幼い殿下が誤った事をしようとしたことがある。私は精一杯それを止めようとしたけれど、結局止められなかった。それも1度だけではなく、度も。その結果、アリス様という被害者を生んでしまった。···それは私の罪なんだよ、テオ」
「アリス様が被害者?おい、それはどういう意味だ」
「···もう誰も覚えていないから、それは全て無かったことにされている。だから私がこのことを話しても、何の懺悔にもならないんだ」
そう言ってシリルは、酷く悲しい顔で微笑んだ。
「···話すつもりは無いってことか?」
「そうじゃない。話してもおそらく君は本当のことだと思えないし、何よりすぐに忘れてしまうんだ。何だったら、聞こえないかもしれないね。だってそんな事実はなくなってしまったんだから」
「それはどういう···」
「そのままの意味だ。忘却の魔法をかけられたものは、忘却された事を話されてもそれが頭に残ることはないし、もっと酷いと聞こえない。だってそういう魔法なんだから」
「······?忘却の、魔法?俺が何か忘れているっていうのか?」
「そうだよ。本当はテオも知っていたはずだ。アリス様によく似た、『ーーーー様』のことを」
「·········?」
今、シリルはなんと言ったのか。
「シリル、今なんて?」
「『ーーーー様』だよ、テオ。君はまだあの時44歳だったね。ほとんど何も覚えていないだろうに」
俺が、4歳だった頃の話?
「『ーーーー様』はいつも臥せっていた。ーー歳でーーでーーーしまうと言われていたから、きっとご両親はーーーー様を窮屈には育てたくなかったんだろう。だから自由奔放で···ーーだなんて感じさせないぐらい、明るい性格をしていた。ーーーのーだけはマリアナ様と少し似ているかな。もっともーーーー様のーは、彼女と違って美しく澄み切っていたけどね。見た目だけでいうなら、アリス様との違いはーのーだけだった。それくらい2人は生き写しだったんだよ。でも、アリス様がーーーーと同時に彼女はーーー」
*******。
まるで頭から言葉が抜け落ちてしまったかのように、そこからシリルの声は何一つ自分の頭に入ってこなかった。
「···オ、テオ。私が話していることが聞こえるかい?」
「···!悪い、今何か話していたか?」
そう問いかけると、シリルが酷く悲しそうな顔をする。
「···ははっ、ここまで見事な魔法をかけるなんてね。流石としか言いようがないよ、殿下は」
「···おかしい。どうなってる?今、何の話をしていたか記憶が···」
「あぁ、気にしなくていい。そういうものなんだよ」
そういうものだと言われたが、本当に何を話していたのか記憶が無いことに気が付いた。俺は、一体何を忘れているんだ?
(さっき、シリルが何かを言っていたような···あぁくそ、なんでだ。思い出せない)
何か大切な事を話していたような気がするのに。
「だからこのことを話しても、誰にも聞いてもらえないんだ。だって彼女をわずかでも知っていたこの国の人の全てが忘却の魔法にかかっているのだから」
「この国の、全ての人間、が?」
「そうだよ。もう、これ以上無駄な話はやめようか。ところでテオは、私に何か聞きたいことがあったんじゃないのかい?」
「···あ、あぁ。マリアナ様は、たまに俺のことについて何かしらの情報を知っているんじゃないかと思うときがあるんだ」
「···へぇ?それは興味深い話だな」
「まるで人の思い出を、覗き見ているのではないかと感じる時がある。シリルは何か心当たりのある魔法はないか?」
「人の思い出を覗き見る、か。···残念だけど、そんな魔法があったらさぞかし拷問がはかどるだろうと思ってしまうよ。私は聞いたことがないな」
「そうか。シリルでも知らないとなると、魔法の類ではないのか?」
「···さぁ、どうだろうか。一体彼女は、私達に何を隠しているんだろうね」
ふと時計を見ると、もう13時になりかけていた。そろそろマリアナの部屋に戻る時間になる。
「すまん、シリル。そろそろ俺は行くよ」
「···あぁ、分かった。私で良ければいつでも相談に乗るよ」
(···あの女のために働くなんてな)
反吐が出る。内心で酷く毒づきながら、俺はシリルの部屋を出て足を進めた。
「忘却魔法、か」
一体俺は、何を忘れているのだろう。
テオが出ていった扉を眺めながら、シリルはぼんやりと窓の外を見ていた。
「テオは当時4歳。殆ど何も覚えていない者の記憶までもを奪う、か。···恐ろしいまでの執着、というのはきっとこういう事を言うのだろうね」
ーー彼女が持っていた物も、彼女の記憶も。全ては僕だけの物だ。
「···アリシア様」
そうしてまでまだ幼かった殿下が唯一執着した彼女はもういないと言うのに。




