23.拾い上げた感情
私は食事を取り終えると、1度トレーを下げに行き再び新しい皿を手にあるものを取った。
「ルードルフ様、今厨房を使っても大丈夫でしょうか?」
「あぁ、大丈夫。何か使うものがあるなら教えてほしい。どこに何があるか分からんだろうから」
「ええと、ボールと···」
必要なものを告げて、ルードルフ様が色々な戸棚から器材を取り出していく。厨房でもなんとなくあちこちから視線を感じるが、今はデルフィランズ様に食べていただく食事を作ることに集中しよう。
(···食べてもらえるかしら)
そんなことを考えながら料理をしていると、ふと昔の記憶が蘇る。
『なんだこれは?』
『お気に召しませんでしたか』
『気に入るも何も、もっと綺麗に盛り付けないと食べる気にすらならない。こんな出来損ないを僕に出す暇があるなら、もっと勉強してからにしてくれ。それになんだその手の傷は?たかが料理を作るだけでそんなに傷を作るなんて、本当に君は不器用だな』
『···申し訳、ありません』
『ったく。本当にアリスは何をさせても出来が悪いな』
『·······』
『次の夜会でダンスを踊るが、痛みでステップを踏み外して僕に恥をかかせたりするなよ。たとえ君が失敗したとしても、僕のエスコートが悪かったのだと勘違いされたらたまったものじゃない。あとその手は見せられたものじゃないから、夜会では手袋を外さないように』
初めて、作った料理。指を傷つけながら何度も何度も練習して、料理長にも味を見てもらいながら作ったもの。彼に美味しいと言って欲しくて努力したのに、食べてもらうどころか練習で傷ついた手を醜いと、たかが料理を作るだけでそんな風になるなど不器用だと言われてしまった。俯いて握りしめた指からは、まだ治り切っていなかった傷口が開きポタリと赤い血が垂れる。
その流れる血を見た殿下は嫌そうに顔を顰めると、それ以上私には目もくれずに部屋を出ていってしまった。
残されたのは一口も食べてもらうことなく、盛り付けが綺麗ではないと言われ冷めきった料理。食べる気にもならない、と言われてしまった。
(もっと、頑張らないと···)
もっともっと。求められることは多くて、でも答えられることはほとんどなくて。私が悪いのだと皆言うのだから、きっと私が出来ないのが悪いに違いない。分かっているのに、心が、私の中身がどんどん空っぽになっていく。
ーーーこういう時は、『普通』はどう思うんだっけ?
何かしらの感情が伴うはずだが、もう思い出せない。普通ってなんだろう。私はいつだって出来損ないの人間で、普通にすらなれないのだからーー『普通』を考えることすらきっと、烏滸がましい事なのだろう。
つぅ、と掌に血が伝っていく感触にぼんやりと思考を動かした。
(···舞踏会までに、傷口だけでも塞がるといいんだけど)
手袋から血をにじませる訳にはいかない。そんな粗相をしたら、周りから『自己管理もできない女だ』という烙印を押され、陰口を叩かれてしまうだろう。食べてもらえなかった料理を手に、部屋を出て厨房へと向かおうとすると扉の横に立っていたテオがすぐに駆け寄ってきた。
『アリス様、手から血が···!』
『大丈夫よ、テオ。ありがとう』
『···手当しましょう。傷口が化膿するといけません』
『これくらい平気よ。私の努力が足りないの。···もっと、練習しなくちゃいけないわね』
『っ···』
その言葉に、何か言いたげに顔を歪めるテオ。
ーーーあのとき彼は、何を言いたかったのだろう?
「ヴェリア嬢?どうした?」
「っ···!いえ、なんでもありません。」
「本当に大丈夫か?あんまり顔色良くねーみたいだけど」
顔に出ていたのだろうか。私もまだまだと悔やみつつ、なんでもないですと首を振る。今はそんなことを考えていたって仕方がないし、殿下とデルフィランズ様は違う人だ。過去に怯えていても仕方がない。
頭ではそう分かっているのにデルフィランズ様にも迷惑がられてしまったら、と怖くてたまらない自分がほとほと嫌になる。私は不安な気持ちを追い出すと包丁を手にして料理に取り掛かったのだった。
出来上がった料理を手に、私は廊下を歩く。先程まではルードルフ様も一緒だったのだが、部下の方に呼ばれてどこかへ行ってしまった。デルフィランズ様の執務室の前に付き、1度呼吸を整える。
(···大丈夫)
コンコン、と扉をノックした。
「アリスです。お邪魔してもよろしいでしょうか」
「あぁ」
「失礼します」
扉を開くと、中央に置かれた机には書類が置かれている。デルフィランズ様は書いていた書類から目を上げ、視線を私に向けた。
「どうした?何か困り事でも?」
「いえ、皆様には良くしていただいています。あの、デルフィランズ様にこちらをお持ちしたのですが···」
「···食事?」
「はい。食事もとらずに仕事をされているとルードルフ様がお話されていたので···ご迷惑とは思いますが、食事を作らせていただきました。お口に合うかは分かりませんが···」
ーーー食べる気にすらならない、出来損ない。
「っ···もし、気が向いたらでいいので、食べてください···」
怖い。また、拒絶されてしまったらどうしよう?震えそうになる声を叱咤し、震えないように怯えを飲み込む。
「······ヴェリア嬢、」
「は、はい。なんでしょうか」
やはりいらないと言われてしまうのだろうか。やや気を落としながら、デルフィランズ様と目線を合わせると、彼の真っ直ぐなアメジスト色の瞳がこちらを見ていた。
「俺が怖いか?」
「·····え?」
「いや、俺と話すときはいつも怯えているように見えたから。それに···そんなつもりはないのだが、もし俺が怖がらせていたのならすまない」
「い、いえ!そんな事は···」
私が勝手に思い出して怯えているだけで、決してデルフィランズ様が悪いわけではない。だが、彼からしてみればきっと面白くなかっただろう。
「···すみません。私のせいで、デルフィランズ様に不快な思いをさせてしまいました」
「なぜ君が謝る?別に俺は不快な思いなんてしてないし、ヴェリア嬢が謝る必要はない。···食事、ありがとう。食べてもいいか?」
「は、はい!」
そう言ってデルフィランズ様がおにぎりを手に取った。ぱくり、と大きな一口でそれを齧ると中に入れていたお肉が顔を出す。
「···ホットクレバー?」
「はい、ルードルフ様からおかずを召し上がらないと聞きましたので、おにぎりの中に入れてみました。パンにも別のものを挟んでサンドウィッチとホットサンドにしてみましたので···もし気に入ったものがあれば、教えてください」
もぐもぐと口を動かしながら、次の一口を齧る。なるべく小さめにお肉を切ったのが良かったのか、食べやすそうに見えてほっとした。
「うまいな。君の手作りか?」
「はい。中のホットクレバーは食堂にあったものを頂いてきたので、手作りと言っても私はおにぎりを握っただけなのですが」
「一手間かけてるなら十分手作りだろう。なるほど、たしかにこれならおかずを食べる必要がないな」
デルフィランズ様はあっという間におにぎりを食べ終え、ホットサンドに手を伸ばした。中身はトマトベースのスープをチーズと混ぜて少し煮詰めた物だ。
「これはトマトか。こういう組み合わせも面白いな」
続いてのサンドウィッチは、卵を炒めたシンプルなものとデザートにと思いジャムを塗ったもの。3つ合わせて卵や野菜、お肉なども取れるように考えて作ったものだった。切ってピックを差したフルーツもマグカップに入れておいた野菜スープも、彼は綺麗に飲み干してくれた。
「······」
「美味かった。ご馳走様」
あのときは食べてもらえずに冷めきった料理が、美味しいと言って食べてもらえる。作ったものを美味しい、と言って貰えるのはこんなに嬉しいものだったのか。
「···手に、」
「ん?」
「···上手に、作れていたでしょうか?」
「···君は少し自分に自信を持つべきだな。謙遜は悪いことではないが、自分で自分を認めてやらないと下限が効かなくなる」
「自分を、認める···?」
必死に努力して初めて彼のために作った料理は、出来損ないと言われ、食べてすらもらえなくて。
あのとき普通はどう思うのだろうかと考えたが、答えは分からなかった。
「そうなったら、自分が虚しくなるだけだ」
「···そう、なのでしょうか」
「あぁ。誰だって努力を誰にもー自分にすら認めて貰えなかったら、悲しいだろう」
(そうか)
誰だって、自分の努力を認めてもらうことができなかったら。
ーーー普通は、悲しいと思うんだ。
「···デルフィランズ、様」
「どうした?」
「お食事、また作ったら···食べて下さいますか?」
「あぁ、勿論だ」
「気に入ってもらえて、良かったです」
作ったら、食べてくれる人がいる。生まれて初めて美味しかったと言われて、あの日の自分が、やっと少しだけ報われた気がした。




