17.主人公の人生
誰かが話している声がする。
聞いたことのない声に、私の意識は浮上した。
(誰だろう)
そもそも私は何をしていたんだっけ。寝起きの散らかったままの頭では、上手く状況を飲み込むことができなかった。体を起こし、ぼんやりとしたままの頭で声がする方を見る。するとそこにいたのは、デルフィランズ様ともう一人は見たことのない男性だった。
灰色がかった髪、透き通ったサンストーンのように明るいオレンジ色の瞳。見たことが無いはずなのに、そのサンストーンの瞳には親しみのような物とーーー何かは分からないけれど、確かに何かの感情が混ざっていた。
「目が覚めたか」
そうデルフィランズ様に声をかけられた事で、いくら寝起きとは言え不躾にその男性を見すぎてしまったと慌てて目を逸らす。
「は、はい。あの、先程は···っ!?」
そう言いかけた時、デルフィランズ様からゾクリとするほどの殺意のような物を向けられた。
動けない。体が、動かない。
ドクドクと心臓が脈を打つのが分かり、指1本動かすことができなかった。
「グレン!」
隣の男性がデルフィランズ様に対してやめさせようとしていたが、彼は全く怯むことなくこちらを射殺さんばかりに睨みつけている。
背筋につうっ、と冷たい汗が伝っていくのが感じた。
「···ヴェリア嬢。俺は自分から殺せと言う奴がこの世で1番嫌いなんだ。2度と軽々しくそんな言葉を言うんじゃない」
そう冷たく、吐き出された言葉。妃教育の際に威圧や殺意を受ける練習もしたことがあるが、そんなものは比にならないぐらいの、それは『明確な殺意』だった。空気だけで肌が切れてしまいそうなほどの殺意を受け、デルフィランズ様がどれだけ苛立っているのかを肌で感じる。
いくら切羽詰まっていたとはいえ、私は言ってはいけない言葉を言ってしまったのだと。己の失言を悔いながら、なんとか言葉を絞り出す。
「わかりました。もう2度と口にしません。申し訳ありませんでした」
そう口にすると、なぜか先程までの息もできないような空気が嘘のように掻き消えた。
「「·········」」
「···?」
なんだろう。不思議に思いながら顔を上げて2人を見ると、なぜか2人とも少し拍子抜けしたようなーーー少し驚いているような。そんな表情をしていた。
「俺、グレンの殺意を受けて話せる人、初めて見た···」
そう、ぽつりと漏れた言葉。デルフィランズ様はふいとバツが悪そうに目を反らす。
「もう言わないなら良い。···悪かった」
「いえ、浅はかだった私がいけなかったのです。デルフィランズ様が謝ることではありません」
「いや、今のはグレンが悪いからヴェリア嬢は謝らなくていい。···と、紹介がまだだったな。私はルードルフ・イバリアです。どうか以後お見知りおきを。···俺堅苦しいの苦手だから、ルードルフって呼んでもらえると嬉しい」
「あ···私はアリス·ヴェリアです。よろしくお願いします、ルードルフ様」
「こちらの手違いのせいで、心細い思いをさせて悪かった。体は冷えてないか?」
「大丈夫です。···あの、やはり私はご迷惑だったのではないでしょうか。デルフィランズ様も知らなかったようですし、やはり今からでもーーー」
お暇した方がいいのではないか。そう言いかけて、私にはふと気が付く。
どこに戻る場所があるというのだろう。そんな場所は、もうどこにもないというのに。
「いや、それは本当に申し訳なかった!俺の手違いで!!というわけでグレン!言うのが遅くなったけど、婚約者になる方だから!」
「何がどうしたら『というわけで』になるんだ、お前は?ヴェリア嬢、すまないが、俺は王都の事情に酷く疎いんだ。なぜ殿下の婚約者である君がここに来ることになったのか、未だに分からないんだが、説明してもらえるか?」
「わかりました。···今、ロスレンブライド殿下には別の婚約者がいらっしゃいます。マリアナ・リーディアスという女性です。私が、そのリーディアス様を毒殺しようとした、と言われ婚約破棄を言い渡されたのです。本来なら、それは私達のーーー結婚を正式にお披露目するはずだった舞踏会でした」
「毒殺しようとした、か。あちらからは何か正式な証拠でも提示されたのか?」
「いえ、証拠等は何もありませんでした。信じていただけるかは分かりませんが、私は彼女を毒殺しようとしたことなどありません。だって彼女は、私にとって大切な友人でしたから」
「友人ね。つまり、裏切られて濡れ衣を着せられたと。実に王都らしい話だな」
「グレン、もう少し言葉を選べ!ヴェリア嬢が傷つくだろうが!」
裏切られた。濡れ衣を着せられた。
その言葉に、じくりと心が軋む。マリアナはどうしてあんなに変わってしまったのだろう?
「いいのです、ルードルフ様。嵌められたのであれば、私はその程度の存在だったということです。その後に、今度は直接マリアナを殺そうとした際に私は海に落ちて死んだことにされました。もし生きているとしられたら、家族も···皆、殺されてしまいます」
「···え?海に落ちて死んだことにされた?なんかそれだともしかしたら生きてるみたいにも聞こえるし、変な話だな。海なら死体が上がらない可能性だってあるのに」
話を聞いていたルードルフ様が、不思議そうにそう尋ねてくる。
「はい。海に落ちたのは事実ですし···丁度良かったのではないでしょうか」
「事実?は···?ヴェリア嬢、まさか本当に海に落ちたのか?」
「そうですね。自分から落ちました。···正直に言うと死んでしまうのではないかと思って、とても怖かったです···」
「···見た目に反して随分と行動的な令嬢だな」
(行動的?私が?)
少し驚いているような表情のデルフィランズ様。自分が行動的だとは初めて言われたかもしれない。確かに王都にいた頃は、自ら進んで選択したことなどほとんどなかったかもしれないと思う。
王都にいた頃は、まるで決められたレールの上をずっと歩いているような気分だった。たまに分かれ道があって、その中から1番良いのではないかと思う道を選択してまた歩いて。それを繰り返してずっと生きていた気がする。
少しずつ、殿下の心が離れていくのは分かっていた。でも、私は1度でも話し合いたいと彼に対して言った事はあっただろうか。
確かに私から何も言わなかったのも事実ではあって、自分にも悪いところがあったのだとは思う。
でもあの頃は不思議に思っていなかったけれど、今考えるとあんまり自分の意思というものは無かったのかもしれない。いつだって、国のため。殿下のため。果たしてあの頃の私は、自分のために何かをしたことはあっただろうか?
「ヴェリア嬢。大体話は分かった。ルードルフとも繋がりがあるようだし、ここにいてもらって構わない。王都にも連絡はしない事を約束する」
「いいのですか?」
「良いも何も、戻るところは無いんだろう?だったらここにいればいい。考えたのが誰かは知らないが、どうせ王都の奴らもここまでは探しに来ないだろうと思ったんだろう?婚約者の件は···ヴェリア嬢にも何かここに留まる名目があったほうが楽だろうし、そのままでも構わないが、正直俺よりもルードルフのほうが適任じゃないか?」
その後ろで、酷く難しい顔をして何かを考え込んでいたルードルフ様が顔をあげる。
「え。いやいやいや!俺には荷が重いっていうか···嫌とかではないけども!多分抑止力にならんからグレンのままにしておいてくれ!」
「···だそうだ。ヴェリア嬢、婚約者と言っても形だけのものだ。俺に対して何もしなくて構わないし、好きに過ごすといい。どうせ俺はここにいることは殆どないから。ただし、これだけは守ってくれ。何があっても森には近づくな」
「はい」
「あとは、窓にレースカーテンがかかっているんだが、あれは魔物避けだから開けるなよ。何かあればあとはルードルフに相談してくれ」
「わかりました。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします」
これからどうなるのか。でもなんとなく、王都にいた頃よりきちんと息ができている気がして。
私は微笑みながら、部屋を出ていくデルフィランズ様を見送った。




