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郡上八幡 少し昔の不思議な話~写真~

作者: こにゃんこ

「お父さん、とっちゃん来たで、行ってくるわ」

「気をつけて行って来るんやで」

「うん、行って来ます」

 健は盂蘭盆会の初日、近所の仲良しの利男と一緒に踊りに行くことになっていた。

去年、母の房子が、「浴衣くらいは自分で着なれ」と言って、浴衣を着せてくれなくなった。最初のうちは、着上がるまで見ていて、こうしろ、ああしろとうるさく口を出したが、そのうちに見に来なくなった。それなりに着られるようになったな、と思ったのだろう。だから、自分で着るのは苦にならないし、まあまあ様になるようには着られるようになった。

 玄関で待っている利男のところに行き、

「ありがと。行こか」

と声をかけた。

 待っていた利男に目をやると、浴衣が少し小さい。着丈も裄も少し足りない。

「ええンなあ、たけるくんの、丁度ええンなぁ。俺の、もう小さいのに、仕立て直してもらえんのよ。来年になったらゆきおに着せるで、仕立て直さんって、お母さんが言いきるんや」

幸夫というのは、利男の三つ年下の弟だ。

「そんなら、来年は新しいの作ってもらえるがな」

健が言うと、

「無理やな。来年は受験やで、いつものようには踊りに行けんと思えって、さっきお母さんに言われたばっかなんや」

と、利男が言った。

「ほんなら、来年は踊らんのンか」

「行くに決まっとるがな。やけんど、浴衣がこれしかないんや。来年はもっと小そうなるで、みっとものうて着られん」

「高校生にならんと、浴衣作ってもらえんのンか」

「わからん。高校生になっても作ってもらえんかも知れん」

「服で踊るつもりか」

「それは嫌や。踊るなら浴衣や」

「そうやンなぁ。

 でも、俺のも、いつまで着られるかわからんでンなぁ。今丁度ええってことは、高校生になった頃には小さいでンな。仕立て直さんと着られんろ」

 そう言いながら、健は、母の房子は、これをいくつまで自分に着せるつもりだったろうと、ふと思った。大きくなるから、大きめに仕立ててもらった、と言っていただけあって、去年は、着丈も裄も長くて、羽織ると裾が床に少したまった。裄の長いのは仕方ないが、引きずるのはみっともないから、身丈は帯で隠れるところではしょりなさいと母が言った。

 中学二年になった今年、去年よりぐんと背が伸びたので、全くはしょる必要はなくなった。ということは、来年以降は、このままでは着られない可能性があるということだ。

 二人で踊り場まで歩いていくと、すでに踊り場は大勢の踊り客で溢れ返っていた。毎年、徹夜の時はこんな様子なので、特別驚きもしない二人が、そのまま、飲み込まれるように輪の中に入って行く。

 去年と同じくらい、沢山の人が踊っている。お囃子のメンバーも、顔ぶれは変わっていない。同じように屋台が並び、同じように賑わいを見せている。

 去年の暮れ、母の房子は、あっけなく死んでしまった。くも膜下出血、らしい。よくわからない病気だが、症状が出たときに、もたもたしていると、あっという間に死んでしまう病気だということだけは健にもわかった。

 長患いしたわけではないので、家の中には、房子がまだ当分生きていくつもりで準備したものが色々とあった。おせち料理のための昆布や、田作り、黒豆、餅つき用のもち米、張替え用の新しい障子紙などだ。それは皆、房子が、当たり前に自分が年を越せると思っていたことを物語っていた。

 父の忠夫の落ち込み方はひどかった。健は、母が死んで初めて、父がこんなにも母を思っていたのかと気付いた。最初の頃は、何かにつけて母を思い出すのか、何でもないことに、しょっちゅう涙ぐんで目を赤くしていた。一月程、仕事にいけない日が続いたが、職場の人の励ましもあり、何とか仕事には復帰した。

 祖母のふじが、体力的には元気なこともあり、家の中の女手が、全く無くなってしまったわけではないので、とりあえずの生活に困ることはなかった。

 ただ、ふじと房子は二人で内職をしていたので、房子がいない分、内職の方も忙しくなり、そうなると、男二人は嫌でも今までのように、何もかも家のことは女まかせ、というわけにはいかなくなった。

 買物はまず、男の仕事になった。以前のようにこまめに買いに行くことがなくなった分、一度の買物の量が増え、必然的に重たくなったからだ。食材から日用雑貨まで、必要な物をふじが書きとめ、週末に、何もかも買ってくるのが習慣になった。

 健は野球部に入っていたが、レギュラーに選ばれるほどのセンスはなく、二年生になったら、ほぼ幽霊部員化していた。休日の練習にもあまり出ないようになったので、日曜には、父と二人で買出しに行くようになった。

 洗濯は、ふじがやってくれていたが、洗濯物を畳んで、タンスに片付けるのは男の仕事になった。

 料理は、日曜夜は忠夫の当番になった。その他の日でも、ふじの内職が立て込んでいる時は、ふじは忠夫より帰宅が早い、健に夕食を作らせた。何でもいいから作れ、と言えば、なんとかするものだ。

 ふじは嫁が早く亡くなったことに、かなりのショックを受けたが、茫然自失の我が家の男たちに目を向けるきっかけにもなった。

 本来、自分の方が先に死ぬはずだった。自分が死んでも、嫁がいてくれるから大丈夫だと思っていた。

 しかし、嫁がいなくなった今、次に自分が死んだら、男二人で何も出来ないようでは、余りにも情けない。そう思ったふじは、徐々に男二人に仕事を与えていった。健が部活に行かなくなったことくらい分かっていたが、そんなことはどうでもいいと思った。野球なんかで飯が食えるようになるほど才能があるわけでなし、そんなことより、生きていくのに必要なことを教え込まなくては、と思ったのだ。

 掃除は、あえて三人揃っている時にやることにした。夕食後の後片付けから引き続き掃除をするのだ。誰かが洗い物をしている間に、誰かが掃除機を使う。その間に誰かがトイレ掃除をする、といった具合だ。ふじは、偏ることがないよう、それぞれ交代でやるようにした。

 外で働く忠夫には、少し可哀相な気もしていたが、その生活に徐々に慣れるにつれ、それぞれに得意な家事もできてきた。三人の生活が、板について来たところだった。

 今年の盆は、房子の初盆なので、房子の実家から盆提灯が来た。房子の両親は、娘の早すぎる死に、まだ実感が湧かないと言っていた。そして、それ以上に中学生という多感な時期に、母親を亡くしてしまった健のことを心配していた。

 健は、基本的には穏やかな性質だったが、やはり反抗期なだけあって、どうにもふじの言うことを聞きたくない時もあった。夕食後の掃除なんて、やりたくないときは、本当にやりたくない。

 とはいえ、房子のいない今、経済的には父がいないとやっていけないが、精神的な大黒柱はふじだった。うるさいときもあるが、だからと言って、ふじを本気で泣かせるような喧嘩にはなったことがなかった。

 踊りの輪の中で、去年と同じ顔ぶれの人たちを見るにつけ、今、母がいないのが、悲しいというよりも、不思議な気持ちだった。

 みんな、去年と同じように踊りに来ている。去年、きっと、また来年も踊りたいと思っていた人たちだ。そんな人たちが、みんな揃って踊りに来ているのに、よりによって、なぜ母が選ばれて逝ってしまったのだろう。

 しばらく踊ったら、汗だくになったので、少し休むことになった。利男と二人して、カキ氷を手に座り込む。

「八幡は、大勢お客さんがおいでるなぁ」

 自分たちと同じくらいの年の女の子が話しかけてきた。

「おまん、どこの子よ?」

健が聞いた。

「白鳥」

「白鳥も大勢おいでるろ?」

健は、母の里が白鳥なのを思い出して言った。白鳥おどりも踊り客は多い。

「うん。やけんど、こんに大勢はおいでん」

「どして八幡に来たんよ」

「来たってええろ?」

女の子が笑って言った。

「久々に会いたい人がおったんよ」

健は、親戚がこっちにいるのかな、お墓参りにでも来たのかな、と思った。続けて、

「ずっと、元気にしとるか心配しとったんや。今日会ったら、元気にしておいでたで、安心したんや」

と言うので、なんだかどこかのおばさんが話すようなことを言うんだな、と思った。

「なんよ、その人、病気でもしとったんか」

「違うけど、心配やったんや。でもな、そこんち、おばあちゃんが元気でぇ、あの明るいおばあちゃんのお蔭で、家の中も明るいんや」

と女の子が言った。聞きながら、うちみたいな家が、よそにもあるのか、と健は思った。確かに、祖母のふじがいなければ、うちは暗いだろうなと。

「うちもばあちゃん元気やで。うちみたいなとこ、あるんやンなぁ」

「ええンなぁ、元気なばあちゃん」

女の子は始終笑顔で話している。

 健は、母の房子も、こんなふうに笑顔の人だったな、と思った。それとも、もう死んでしまったから、笑顔しか思い出さないのだろうか。

 健は、さっきから利男が何もしゃべってないことに気付いた。横を見ると、眠っている。

「とっちゃん、寝たらだちかんがな」

利男のことを揺り動かしたら、自分の足にカキ氷の溶けた液がこぼれた。

 はっとして足元を見ると、利男が肩に手をかけて、

「たけるくん、今、寝とらなんだか?カキ氷、落としそうになったで」

と言った。え?僕が寝ていたの?

 見渡すと、女の子はいなかった。大勢の人の中に紛れてしまったのか。それとも、本当に自分が眠ってしまって、夢を見たのか。

 でも、カキ氷の溶け具合から見て、そんなに時間は経っていないはずだ。利男に聞いてみたい気もしたが、なんとなく躊躇われて聞けなかった。

 踊りから帰ると、ふじが起きて待っていた。

「ただいま」

「お帰り。踊り、どうやった」

「大勢おいでた。毎年やけんど」

「そうか。今日は盆やで。人ばっかやない、仏さんも、たんと里帰りしておいでるで」

「そうなんか」

「そらそうや。目には見えんけどな、そんなもん、八幡の仏さんは、みぃんなして踊りにおいでるわ。

明日は、白鳥のおばあちゃんとこ、お墓参りに行くンろ?風呂入らんと、汗臭うて嫌われるで、早う風呂入って休みなれ」

 ふじに言われて、毎年、お祭り気分で遊びに行っていた踊りも、母が踊りに来るかもしれないと、ぼんやり思いながら風呂に浸かった。

 翌日、父に連れられて母の実家のある白鳥へ行った。

 仏壇に手を合わせ、墓参りに行った後、親戚一同で食事をしていると、

「そういや、盆の前に掃除しとったら、こんに古い写真が出てきたんよ。これ、房子とえっちゃんや」

と、父方の祖母、かなが言って、黄ばんだ写真を見せた。えっちゃんというのは母のいとこにあたるおばさんだ。

「えっちゃんのお父さんが、仕事で工事の写真撮る人やったろ。そうどこにもカメラなんかない時代やったけど、時々写しとくれたんや」

 健は、どれどれ、という感じで写真を手にした。二人共楽しそうに笑って写っている。

「ほれ、こっちがお母さんで、こっちがえっちゃん」

かなの指す少女の顔に、健の目は釘付けになった。

 昨夜の女の子に似ている。

「今のたけるちゃんくらいの時に、ここで撮ったんや。この後、浴衣着て踊りに行ったんやで」

 母の笑顔は、昨日の女の子の笑顔とそっくりだ。

 しかし、母がいるわけがない。よく似ていると思うけれど、他人のそら似という言葉もある。よく似た顔つきなだけで、昨日の女の子が母であるはずがない。

 健の動揺に全く気付かないまま、かなは少し涙ぐんで言った。

「盆は、仏様が帰っておいでるで、お母さんもおまんに会いに来といでるはずや。気付かんだけで、すぐそばにおいでるはずや」

 そうなのだろうか。昨日の女の子は母だったのだろうか。ならばなぜ、自分に分かる、母の姿で現れてくれなかったのだろう。

「こんなもんが出てきたのも、盆やで、房子が帰って来とるでや。自分にも若い、可愛らしい頃があったの、たけるちゃんに見て欲しかったンろ。この写真、持っていきなれ」

かなが涙をこらえながら写真を渡した。

 セピア色の写真が、手の中で、心なしか少し熱を帯びているように、健には感じられた。

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