【マーク・クルーガー少尉Ⅲ】
潰れた納屋を片付けると、巧妙に隠されたシトロエンのトラックが現われた。
「なにせトラックは持っていることが分かると、ドイツ軍に接収されてしまうから。すまんのう」
シャルル老人は謝りながら、トラックを覆っていた大量の乾草などをクルーガー少尉と一緒に除けていた。
私も手伝いたいが、体の節々が痛くてロクに手伝いすらできない。
ドイツ軍に占領されてから、本当にフランス人の暮らしは大変だった。
所持していた車だけではなく、馬やロバまでもあらゆる交通手段を奪われ、街や村に残されたのは最小限の車だけ。
車の接収を逃れるため、仕方なくコラボラシオン(ドイツ軍の協力者)になる者も居たがシャルル老人は使用不可能な状態になるくらい大量の乾草で車を覆って接収を逃れた。
つまり自分が使えなくても、ドイツ軍には協力しないと言う強い意思表示。
車を掘り出すだけで、優に2時間近くかかった。
その間、私は台所にあるものでパセリとチーズのベイクドポテトのフレンチフライを作って、作業終了に合わせて紅茶を入れた。
紅茶を飲むときに一旦居なくなっていたクルーガー少尉が、軍服を脱いで私服に着替えていた。
まあ、軍服のままでは当然ドイツ軍の検問所は突破できないと思っていた私に、少尉は驚くべきことを言った。
「軍服を着たままノコノコとパリを目指したら、途中でイギリス軍に連行されてしまうからな」
私は一晩眠っていたつもりでいたが、そうではなかったのだ。
すっかり忘れていた。
「今日は一体、何日!?」
「今日は8月25日だよ。君は2日間眠っていて、もう直ぐパリは解放される」
「早く出ましょう‼」
私がド・ゴールたちに会ったのは23日の未明で、パリの治安をよく知るド・ゴールならそれから直ぐに過激な共産党系レジスタンスの活動を抑え込むために突入部隊を組織したことだろう。
そして翌日には、その突入部隊を孤立させないために本体がパリ市庁舎に向けて進撃を開始したはず。
最短で24日にはコルティッツ将軍が降伏を勧告すると思っていたのだが、遅れているのは何故?
しかし、遅れていることによって、まだ間に合うかも知れないと言う希望が湧いて来た。
ルッツの事は一応マルシュに頼んでおいたが、戦場でルッツがどうなるのかは神様の気まぐれで決まるから、いくらルッツが優秀だと言っても生きている保証はない。
更にクルーガー少尉の言う通り、パリの解放が行われたら、マルシュはルッツを引き留めることが出来るだろうか?
ルッツは軍人。
正直、私でも止める自信はない。
シャルルの運転で出発した。
シトロエンのトラックは木張りのベンチシートで快適性は無いが、排気量1911㏄のエンジンが派生される52馬力の出力は快適な走行性能を生み出す。
「まだスパイ疑惑が消滅していない私を窓際に座らせて大丈夫なの?」
「大丈夫も何も、背もたれとドアの両方に寄りかかる事で耐圧分散が出来るから、君には楽なはずだけど」
「でも、ドアを開けて逃げ出したら?」
「その体では、走行中に逃げ出す事は先ず大怪我は待逃れないだろうし、停車中に逃げ出したとしても全力疾走は出来ないだろうから直ぐに捕まえる事が出来る。それよりも君自身がもしもドイツ軍のスパイであったとしても、それほど分かりやすい答えを自ら出すはずがないと僕は睨んでいる。違うかい?」
「そうね……アナタ戦争が終わったら空軍を辞めて探偵になりなさい」
「まあ、需要があればね」
快適だった走行性能も、パリに近付くにしたがって荷台に便乗して来る“乗客”たちのおかげで次第に損なわれて行き、パリのポルト・ドレルアンに15時30分に到着した。
到着すると同時に、街のいたる所にある教会の鐘が一斉に鳴り響く。
「なにがあったんだ!?」
「コルティッツ将軍が降伏文書に調印したのよ。シャルル急いで!」
「急いでと言っても、どこに?」
「とりあえずシテ島に向かって! 本部は警察署か市役所のどちらかにあるはずよ」
市内中心部に向かう道には何カ所にも検問所が設けられていて、特にシテ島への一般車両の通行は厳しく制限されていた。
「ご用件と、目的地、それと身分証明書を見せて下さい」
シャルルが身分証明書を見せ、クルーガー少尉は身分を偽って未だ学生で今日は身分証明書を忘れてきたと嘘をついたが、混雑が故か左程お咎めもなく済んで次は私の番。
クルーガーが私に注目する。
どうせ私の身分証明書は、私が眠っているうちに見ているはずなのに、何を注目しているのだろう。
私はバッグの中に入っているルーアンの軍政局の身分証明書は出さずに、スーツの襟に隠していたパリ警察の職員の身分証明書を提示してこの検問の通過許可が下りたが、渋滞していてナカナカ車は進まない。
仕方の無い事と諦めているとクルーガー少尉が話し掛けて来た。
「そこに、もう一つ隠していたんですね」
「そうよ。アナタ知らなかったの?」
そうか、彼は私の服の中までは調べなかったのだ。
「どっちが本物なんですか?」
興味津々と言った様子で少尉が私に聞いて来たので、どちらも本物だと答えた。
レジスタンスとして、またスパイとして活動してきたが、私の場合その目的は“情報を得る”事よりも社会の安定化に努める事だった。
ルーアンの軍政局では、上司であるオットー・ヘイム中佐に進言して治安維持ばかりではなく、市民の生活安定のために就活支援などにも努めた。
パリ警察での主な仕事は治安維持のために主にレジスタンスの各組織の上部階級層の人間性と、その組織のバックボーンを徹底的に調べ上げ、来るパリ解放の際に暴走しそうな組織の解体やブラックリストへの登録に努めた。
もちろんその中にあってもド・ゴールや連合軍からの依頼があればスパイ活動もしたし、パリ解放に向けての交渉相手も探し出し実際に交渉にも加わった。
言ってみれば、私は本当のスパイではないし、本当のレジスタンスでもない。
強いて言うなれば、活動的な一市民に過ぎない。
一市民だからこそ、権力に流されずに本当の幸せや暮らし易さが追求できるのだと思う。




