【戒厳令の夜Ⅴ】
「チッ、折角街でイイ女を拾ってレイプしようと思っていたのに、この親衛隊の少佐が裏切ったおかげで、俺としたことがとんだドジを踏んでしまったぜ」
フランス語は話せないからドイツ語で一か八か芝居を打った。
つまり死んだ少佐と俺の2人は街で若いフランス人女性を誘拐して、ここでレイプしようとして仲間割れの末に俺が少佐を殺した事にした。
東部戦線でよく目にした忌わしい光景が目に浮かぶ。
もっとも殺されるのは仲間ではなく、女性の方なのだが。
「残念だったな」
運よくリーダーらしい男はドイツ語を理解してくれた。
これでジュリーの身の安全は保障されるだろう。
男は銃を持ち替えて、その銃床を振り上げた。
まさかこんな所でリンチによって殺されるとは……。
しかし、いずれは死ぬ運命。
クルッペンもゼーゼマンもカミールやワインツマンたち多くの兵士が、そうやって死んでいった。
死に方と、死ぬ場所が違うだけで、ついに俺の順番が訪れただけ。
ジュリーの前で、せめて不様な醜態だけは晒したくなかったから命乞いもせずに素直にリンチに遭うと覚悟を決めた時、ジュリーの声が聞こえた。
その声は、まるで闇を切り裂く稲妻の様に鋭かった。
「Marsh, arrête !」
(マルシュ、止めなさい!)
マルシュ?
知り合いなのか?
「Mais Julie. Ce mec a essayé de te violer」
(しかし、ジュリー。こいつは君をレイプしようとした)
「c'est un mensonge. Cette personne n'essaie pas de me violer. De plus, cet homme est un héros qui s'est tenu devant le museau des nazis à Rouen et a sauvé de nombreux citoyens français qui étaient sur le point d'être massacrés」
(嘘よ。この人は私をレイプしようとなんてしていないわ。それにこの人はルーアンで自ら親衛隊の銃口の前に立ちはだかり、虐殺されようとしていた多くのフランス市民を救った英雄よ)
「Les soldats allemands à cette époque……」
(じゃあ、こいつが、あの時のドイツ兵……)
「Les forces de sécurité arriveront bientôt. Nettoyer le cadavre du Major」
(直ぐに治安維持部隊が来るわ。少佐の死体を片付けて)
「compris Où rencontrez-vous?」
(分かった。どこで落ち合う?)
「Usine de vélos Laurent」
(ローランの自転車工房)
「compris!」
(了解)
話し終わると、男たちは少佐の遺体を焼却炉の中に放り込み、死体を中にあったゴミで埋めると足早に去っていった。
フランス語の会話の意味が分からない俺がジュリーに何があったのか聞くが、彼女は何も答えずに俺の手を引いて来た時に使ったトンネルを降りて行き、俺もジュリーに従って着いて行った。
暗いトンネルから、また違う地下通路を使って広場の中に立つ教会の前に出た。
「ここは?」
「ノートルダム・ド・ラ・ガレ教会よ」
「どうして、ここへ?」
「アナタに懺悔するため」
「俺に懺悔?」
「アナタには沢山の嘘をついてしまいました。でも、それを謝るためや許しを請うための懺悔ではありません」
「じゃあ何のための……」
「嘘が全てでは無い事を聞いてもらいたいの。勿論その判断はアナタに委ねますが、聞いてもらえますか?」
「あ、ああ」
こういう時、つくづく男は“なさけない”と思う。
今まで騙されていたのに、その相手を一方的に拒むこともできないうえに、戸惑ってしまう。
閉じてあった鉄の門にジュリーが手を掛けると、まるで魔法の様に門が開いた。
階段を上りジュリーが大きなドアに手を掛けると、これも同じ様に開く。
門やドアが開くたびに、俺の心の目にはハッキリとジュリーの手から淡い青紫色の光の飛沫が放たれるのが見える。
ただ鍵が掛かっていないから開くのではなく、何故かジュリーが行う所作の一つ一つに神秘的なものを感じずにはいられなかった。
それは寂しくも悲しい、まるで氷の世界に独り閉り残された若い魔法使いの放つ光。
いつも気丈を装っているが、彼女は誰よりも孤独なのではないだろうか。
建物の奥にある礼拝堂に進むジュリーの細い背中を見ながら、僅かな蝋燭の灯りしかない暗い俺は黙って着いて行く。




