【戒厳令の夜Ⅳ】
「これじゃあまるで……」
思い切って、思っていたことを口に出す。
振り向くジュリーの瞳が大きく見開かれ、まるで怯えているようにも見える。
しかし、よく見るとジュリーの目は俺を捕えては居ない。
「この女は、レジスタンスだ。ようやく尻尾を捕まえたぞ」
直ぐに俺の背後から男の声がした。
甲高い嫌な声。
この声はもしかして。
振り向くと、そこには拳銃を俺たちの方に向けているあの親衛隊の少佐が居た。
「何のことだ!?彼女は国政局の職員だぞ‼」
ジュリーに向けられている拳銃の前に立って、彼女の身分を教えてやる。
「馬鹿め、女狐の色仕掛けに惑わされよって」
「証拠はあるのか!?」
「証拠?この女が軍政局に着いて直ぐに、親衛隊狩りの命令が発令されたのだ」
「それは親衛隊やナチス関係者に不穏な動きがあるからだと、治安維持部隊の少尉が話していたが」
「不穏な動きなど有るはずもない。寧ろベルリンとこのパリで治安維持部隊や予備役を招集しようとする族の方が怪しいとは思わないかね。まあ銃を撃つ事しか取り柄のない貴様に教えても何も理解は出来ないだろうが」
たとえ俺は撃たれたとしても、ジュリーだけは何としても守らなければならない。
話を長引かせて、奴が隙を見せる瞬間を狙って銃口に胸に付けた騎士十字章を合わせることが出来れば、銃弾は鉛だから鉄で出来た勲章に鉛の弾は潰されて貫通力は著しく落とす事ができる。
胸には前後に肋骨があり、その中心部には太い背骨もあるから上手く骨に当たってくれればこの体を貫通する事は出来ない。
もちろん俺はそれで死ぬだろうが、銃口を塞がれた反動は奴の手首を砕くだろうから、その痛さに耐えかねている間にジュリーは逃げる事が出来るはずだ。
「ベルリンとパリで、親衛隊狩り?何故それを知っている」
「電話を掛けたからな。勿論ベルリンの親衛隊本部には繋がらなかったが、同期の士官に電話が通じたので、コイツ等の企みが分かった」
「企み、なんの企みだ?」
「ヒットラー総統の暗殺計画だ」
「ヒットラーは、死んだのか?」
「さあな。しかし天才的に運の良いお方だから、計画は失敗しただろう。そこでお前たちは、裁きを受けるのだ」
「何の罪で?」
「国家反逆罪だ」
「馬鹿な」
「フッ、馬鹿はお前たちだ。戒厳令下にコソコソと密会などしよって。誰がどう見ても疑わしいとは思わなかったのかね」
「しかし俺たちは、そんな計画に加担もしていなければ、計画そのものも知らない。裁判を受ければ、全て実証されるはずだ」
「裁判を受けることが出来たらな」
少佐がニヤッと笑う。
「殺すつもりか、俺たちを」
「死人に口なし。それに貴様はルーアンで私の職務を妨害した罪がある」
「罪もない市民を殺害するのが、お前の職務だと言うのか?」
「戦争だ。市民も兵士もない。現に連合軍だってドイツ兵の殆どが撤退し終わったカーンを爆撃したではないか。お喋りの時間は、もう終わりだ」
少佐が銃を突き出して、俺に向けた。
“今だ‼”
パァーン‼
静かな戒厳令の夜に1発の銃声が響く。
硝煙の臭い。
だが俺は生きているし、どこも痛くはない。
「ジュリー‼」
もしかして弾が逸れてジュリーが撃たれたのかと思い慌てて振り向くと、そこには小型拳銃を構えたジュリーの姿があり、直ぐに少佐の倒れる音がした。
「き、君が……でも、何故拳銃を持っている」
いくら国政局に務めているとはいえ、拳銃の帯同はおろか所持さえも許可されていないはず。
きつく少佐を睨んでいたジュリーの瞳が、朧気に彷徨う。
だがその表情は強張ったまま。
「ゴメンなさい。こうするしかなかった……」
言い終わる前にジュリーは手から拳銃を落とし、バランスを崩して倒れそうになったので、俺は慌てて彼女を支えた。
ジュリーの細くて長い指が震えている。
おそらく銃で人を撃ったのは、これが初めての事なのだろう。
軍人の俺たちでも初めて人を殺した時は、その罪悪感で手が震えたものだ。
「すまない。君に辛い思いをさせてしまって」
俺は後悔した。
ホテルを出る時に俺が拳銃を持って出ていれば、ジュリーに銃を使わせることも無かったのだ。
銃声につられる様に、直ぐに何人かの人が駆け寄って来る足音が聞こえた。
逃げなければ!
ジュリーを抱えて走り出す前に、拳銃を拾わなければ。
しかし手を伸ばして掴もうとした拳銃は、俺の手と一緒に何者かに踏みつけられた。
ゆっくりと顔を上げると、猟銃が俺の顔を捉えていた。
そして後からやって来た3人の仲間たちに取り囲まれた。
4人全員が銃を持っている。
少佐の銃に飛びつくにしても、俺は既にロックオンされている。
下手な真似をすればジュリーの身も危うくなる。
戦場で諦めた事は一度もない。
たとえ相手が戦車であろうとも。
だが今は諦めるしかない。
俺の行動の良し悪し如何で、ジュリーの処遇も変わってしまう。
無理に抵抗すれば、ジュリーの命も危うくなる。
まさかこの俺が、レジスタンスなんかに手を上げて降伏する日が来るとは夢にも思っていなかった。
レジスタンスに掴まったドイツ兵は、リンチに遭い殺されると言われている。
ジュリーも国政局に務めている事がバレると、ドイツ軍の協力者として裁かれるだろう。
だが幸な事にジュリーは軍服を着ていない。
ここは嘘をついて誤魔化し、ジュリーだけでも逃がさなければ。




