【ジュリーと】
「ジュリー、仕事は!?」
「あー……オットー中佐に許可をもらって、早引けさせてもらった」
「まさか、俺の事は言っていないだろうね!」
「……その、まさかをダシに使わせてもらいました。」
ジュリーが悪びれることなく笑顔を向ける。
オットー中佐と、うちの中隊長は幼馴染だから、直ぐに情報が伝わり休日に俺が何所で誰と何をしていたか筒抜けになってしまう。
別に疚しいことはしていないが、冷やかされるのは困る。
「ねえ、絵本楽しかった?」
「いや、哀しい話だから」
「子供の頃に読んで泣いた?」
「……」
泣いたのは確かだが、男なのに泣いたとは言えなくて黙っていた。
「私は、泣いたな。しかも号泣よ!でも最後に神様は天使を使いにやって王子とツバメの魂を天国にお導きになるの」
「どうして?」
「どうしてって、それは、良い行いをしたから……」
「いや、そうじゃなくて、どうして彼等が死ぬ前に神様は手を差し伸べてくれなかったのだろう?神様が王子に代わって貧しい人たちを救えば、王子は綺麗なまま街の誇りとして公園に立っていられたし、ツバメだって群れを離れることなく無事南の国へ旅立つことが出来ただろう?いろんなお話の中で、神様が手を差し伸べるのは、いつも遅すぎるとは思わないか?」
「そりゃあ……そうだけど、それじゃあお話が面白くならないからじゃないの?」
「俺は戦場で沢山の死を見て来た。敵も味方も民間人も、大人も子供も。皆天国に召されたと思っているけれど、神様がもう少し早く手を差し伸べてくれたなら、死なずに済んだ命は数えきれないほどあった。どうして、同じ人間同士が殺し合わなければいけないんだ!?」
俺は少しムキになってジュリーに答えを求めたが、彼女は黙ったまま俺の手を取って、街に出ようと言った。
ジュリーに誘われるまま街に出た。
さっき一人で歩いた味気ない街。
いずれこの街も戦場になる。
そう思うと、街を行く人たちも建物さえも哀れに思えてならなかった。
「人は必ず死ぬの。それを変える事は誰にもできないわ」
「ああ」
「アナタの言う通り、いつも神様は私たちの手の届かない遠い所に居て、手を差し伸べるタイミングは遅いのかも知れない。でも見て、この街の人達を」
「街の人たち?」
「そう。みんな一所懸命、今を生きているの。誰も神様に助けを望みながら歩いているようには見えないでしょう?」
「それは、いまはまだ、ここが戦場ではないから」
「見て、あの人は何をしていると思う?」
ジュリーが屋根の修理している人を指さして俺に尋ねた。
俺は素直に、屋根を直していると答えた。
「何のために?」
「雨漏りでもしたのだろう」
「もう直ぐ、戦場になるかも知れないのに?」
「……」
「この街に住む誰もが、明日この街が空襲で無くなるとか、戦場になって死んでしまうとか思ってはいないわ。いいえ、思っていたとしても、常に希望がある限りその希望を捨てずに生きているの。だから雨漏りのする屋根も直すのよ。ルッツ、アナタは戦場に出過ぎて疲れているわ。だから……」
「だから?」
「いや……だから、希望だけは捨てちゃ駄目。生きているからこそ希望は持てるし、希望があるからこそ元気で生きていられる。そう思わない?」
たしかにジュリーの言う通りだと思った。
俺は戦場で疲れている。
だから、過去に起きた悲惨な事ばかり考えている。
希望は過去には存在しない。
希望は、常に未来にある。
そう思い直してもう一度周囲を見渡すと、屋根を修理する人も、その人に指図しているオバサンも、街を行く人々までも活き活きと希望に満ちているように見えて来た。
ホンのひと時の平和な時なのかも知れないが、彼等は皆このひと時に希望を持って精一杯明るく過ごしているのだ。
俺もクヨクヨしていちゃ駄目だ。
ジュリーと一緒に過ごしている今を思いっきり楽しもう。
詰まらないと感じていた町が、急に躍動的で明るく活き活きと活気に満ちた魅力あるものに感じて来た。
我ながら単純だと思ったが、それで構わない。
俺の後ろ向きだった気持ちを前向きに変えてくれたジュリーの言葉に、俺は心を打たれたのだ。
15世紀ゴシック後期に建築されたサン・マクルー教会や、フランスを代表するゴシック建築で有名なルーアン大聖堂を訪ねて、16世紀に作られ今も現役で時を刻み続けている大時計台の近くのカフェで休憩してジャンヌ・ダルク通りをセーヌ川方向に曲がった。
セーヌ川に近くで瓦礫同然になった教会の前でジュリーが立ち止まる。
この建物が教会だったことを表す唯一の入り口部分に、綺麗な花が添えてあった。
「これは?」
一瞬、俺たちドイツ軍が壊したのかと思い焦る。
「1944年5月の空襲で崩壊したサン・ヴァンサン・ド・ルーアン教会よ」
連合軍が空襲で爆破したものだと聞いても、心は穏やかではなかった。
何故なら、そこにドイツ軍が居たからこそ、彼等は空襲を仕掛けたのだから。
「La guerre n'est pas que pour vous……」
ジュリーが何かを呟いたが、その言葉は小さ過ぎて聞き取れなかった。
「なに?」
「んっ?なんでもないわ」
聞き返したが彼女は何も答えてくれなくて、川面が夕日に照らされて金色にキラキラと輝くセーヌ川沿いを肩を並べて日が沈むまで眺めていた。




