【ときめき】
「また会える?」
店を出るときにジュリーに聞かれた。
また会いたかったが、「戦局次第だ」と答えるしかなかった。
明後日はパリに行く予定にはなっているが、敵の進行が早くてその間に部隊が移動してしまえば、再びこの街に戻って来られる保証はない。
「じゃあ明日まだこの街に居たなら、5時に軍政局に迎えに来てくれる?」
思いもよらないジュリーの言葉に、正直俺が喜んだのは言うまでもない。
夜遅く部隊の宿舎に戻ると、もう皆寝ていた。
無理もない、ここ2日間殆ど寝る事もなく戦場を駆け回っていたのだから。
静かに空いているベッドに潜り込んだ。
「お帰りなさい、軍曹」
「お帰りなさい」
ロス伍長が囁くように言うと、他の者達も同じ様に囁いた。
「お前たち、起きていたのか」
「あたぼうでさあ。軍曹が戻ってこないのに勝手に寝られねえでしょう?」
あの村の攻防戦の前夜、納屋を担当する事になったとき、土嚢を作りながら寝る暇がないと言っていたシュパンダウが陽気に言った。
「本部で絞られたんですか?」
「いや……」
なるほど、寝ずに待っていてくれたのは、俺の戻りが遅いことを今日起きた親衛隊とのトラブルだと思って心配してくれていたのだ。
なんて良い奴たちなのだ。
「明後日、俺はパリに行くことになった」
「パリに?」
「連隊長に会いに行く」
「何のために?」
「とうとう少尉にさせられる」
「じゃあ、分隊とは……」
「いや、少尉になる事は受諾したが、分隊長としてこのまま留まる事を条件に付けた。オスマン大尉の事だから、この約束は守ってくれるだろうが、小隊長にもし何かあった場合は兼任する事になる」
「また、厄介な仕事が増えますね」
「そうならないように、頑張らないとな」
「一緒に頑張らせて下さい」
「ああ、宜しく頼む」
皆が口を揃えて囁くのが可笑しかった。
次の日、中隊本部に出向くと、オスマン大尉からトゥーフロック(空軍独自の開襟の通常勤務服で、礼服にも使用される)は明日街のクリーニング店に取りに行くように、シャツは仕立て屋で白のカッターを作って貰うように言われた。
「ネクタイは?」
「黒い奴を、買って来い。くれぐれも言っておくが、揉め事にはかかわるなよ」
「了解」
言い終わると大尉は封筒に入ったお金を俺に渡した。
中隊本部を出ると、先ずは仕立て屋に向かいシャツを仕立てて貰うために寸法を測り、それに黒のネクタイを注文して店を出た。
時刻は12時前、ジュリーと約束した17時まではまだ5時間もあるが特にすることもなかった俺はその足で軍政局まで行った。
軍政局の前は直ぐに駅があり、その間にある噴水の前にあるベンチに腰掛けてボーっとしていると、後ろから近付いて来た誰かに目隠しをされた。
「だーれだ?」
「ジュリー」
「なんで分かったの?」
彼女は手を除けると、嬉しそうに俺に聞いて来た。
「えっと……柔らかくて暖かい手だったから」
これは半分本当で、半分嘘。
確かに柔らかい手ではあるが、特別彼女の手が他の人に比べて柔らかい訳でもなければ暖かい訳でもない。
ただの、ありきたりな褒め言葉。
勘のいいジュリーはその事に気付いたのか「他には?」と聞いて来た。
「他に?……心が、ときめいた」
「まあ、お上手ね。ルッツ軍曹って見かけによらずプレーボーイなのね」
「プレーボーイだなんて」
“お上手”と言われて少しだけ心外だった。
今言ったのは、素直な気持ち。
俺の気持ちは昨日初めて会ったときから、ときめきっぱなしだ。
「お昼休み?」
「ええ」
「一緒にカフェでも行かないか?」
「……」
ジュリーが観察するような眼で、俺を見る。
「どうした?」
「ほら、やっぱりプレーボーイじゃないの」
「どうして」
「だって、私たち昨日会ったばかりなのよ」
「人と人の関りは、時間じゃないよ」
「じゃあ、なんなの?」
「大切なのは、一瞬の出会いであろうとも、どれだけ“ときめく”かだ」
我ながら“臭い”と思いながらも、それが今の正直な気持ち。
ジュリーは何も言わず、俺の手を取るなり大通りを北に向けて走り出す。
「おいチョッと、どこに行くんだ!?」
手を引かれ、少し前屈みになりながら、ジュリーについて行く。
こんな格好をシュパンダウなんかに見つかったら、一生笑い話にされちまう。
そう思いながらも俺はジュリーに引かれるまま着いて行った。