【撤退】
夕方、作業も一段落して、そろそろ負傷兵を乗せて本隊に向かったトラックが帰って来ても良い頃だというのに、なかなか戻ってこない。
トラックが戻ってこない限り、食料も弾薬の補充も受けられない。
直ぐに日が暮れて、村の守備隊全体に不安が漂い始めた頃、本部からの無線が入る。
無線の内容は、速やかに村を放棄して本部のある街まで撤退しろという事だった。
他のルートを敵に突破され、この村が孤立しつつあるというのがその大きな理由。
非常に危険な状態であるとの事で、貴重な車両は回せない。
ドイツ軍は大戦当初と違い、もう電撃戦など出来やしないほど慢性的な車両不足に陥っている。
正面装備を優先したため、車両の生産能力が間に合っていないのだ。
つまり生産数と消耗数のバランスが取れなくなり、自国の工業力を上回る戦争をしているという事。
この状態に陥ると、長くは戦えない。
村に残っていた車両は7.5 cm PaK 40牽引用のクルップ・プロッツェ1台。
対戦車砲は壊れていない限り撤収するように指示されたので、皆総出でクルップ・プロッツェの荷台に3.7 cm PaK 36を持ち上げて乗せて落ちないように縄で固定して、僅かな隙間に兵士を乗せた。
当然、この1台に全員乗る事は出来ないから、残った者達は徒歩で移動する事になる。
「なんでい!飯も寄こさねえで、歩いて帰って来いってわけか!」
シュパンダウが文句を言うのも無理はない。
せめて負傷兵を乗せたトラックさえ戻って来てくれれば、全員車両に乗って帰れた。
この状態で敵を迎え撃つことは不可能なので、クルップ・プロッツェの出発と同時に俺たちも村を後にした。
多大な犠牲を払ってまで、何のためにこの村を守ったのかとホルツに聞かれたので、敵の進行速度を抑えるためだと答えた。
敵の進行が1日でも遅れれば、その分の工場生産量の一部が前線に届く可能性がある。
だから、これは戦争遂行にとってとても重要な事。
しかし戦いが1日延びれば、その分兵士も傷つき、あるいは戦死して少なくなっていく。
暗い夜道を、明りを灯す事もなく無言の行進が続く。
休憩すれば、どこに居るか分からない敵に追いつかれる。
だから眠くても寝る訳にもいかない。
夜のうちに距離を稼いでおかなければならない。
何故なら昼間の移動は敵の航空機に見つかる可能性が有るからだ。
たとえそれが偵察機であろうとも、見つかれば何らかの攻撃が検討される。
敵には我が国を遥かに上回る工業力があるから、物量を惜しみなくかけてでも俺たちを潰し、味方の損害を押さえてくる。
そう。
それは、対戦初期に俺たちドイツ軍がしていたように……。
日が昇り、森の中でようやく休憩をとる事が出来た。
だが、休みたくて休んでいる訳ではない。
国防軍の兵士の一部が、夜中の行軍で落伍したのを待っているのだ。
空挺隊は、もう降下作戦を行ってはいないが、それなりに激しい訓練を受けた者達だが、国防軍の兵士たちは違う。
一旦降下してしまえば補給も援護もなしに戦う空挺部隊とは違い、国防軍はより大きな支援が受けられる環境下で戦う事が前提だから、少々体力的に無理があっても銃さえまともに撃てれば良いという考え方もある。
とくにこの時期に至っては、訓練期間も短いまま戦場に送り出されてくる兵士や、少年兵まがいの若い兵士も混じっているから尚更。
フランスもそうだが、ドイツ国外での戦いは、敵以上に厄介な者達が居る。
それはレジスタンス。
武装した民間人による占領軍に対する、抵抗組織だ。
これは何もフランスに限ったものではなく、ポーランドやチェコ、エストニアやウクライナなど各占領地で起きている。
そして、その運動に拍車をかけているのがドイツ軍による組織的な略奪行為とナチスによる粛清。
武力のみで国土を拡大しても、政治的な友好関係が築けていない限りレジスタンス運動は激しさを増す。
もし軍人でなかったとしても俺だって、ドイツが他国に蹂躙されればレジスタンスとして戦うだろう。
国を愛する者にとっては、当然の行為だ。
遅れている部隊をしばらく待っていると、単発的な銃声が聞こえた。
レジスタンスの攻撃だ。
彼等は少人数ゆえに、大きな部隊は狙わない。
こうして落伍した兵士たちを狙い、そこから武器や情報を入手する。
国防軍の分隊が応援に出かけ、俺たちも周囲の警戒に気を配る。
ほどなくして落伍した兵士たちが応援部隊に守られてやって来た。
負傷2名。
幸い戦死者は出なかった。