第六話
「次は大里の番だぞ。降りれるか?」
先に線路に降り立った林が下から声を掛ける。
「はい。降りられると思います」
そう返して、扉の縁に腰掛けて出来るだけ地面までの距離を短くした後、ゆっくりと飛び降りた。
「よし。これで最後だな」
林は全員が降りた事を確認し、「じゃあ出発するぞ」と周囲に声をかけてから歩き出そうとする。
それに対して高本は、「ちょっと待て」と林を静止した。
林は明らかに不機嫌そうにしながら、「なんだ?」と返す。しかし、高本はそれに臆することなく意見を言い放つ。
「どっちに向かおうとしている?」
「あぁ? こっちだ」
そう言って電車の先頭車両の方を指差す。
それを聞いた高本は大袈裟なため息をした後、
「素人だな」
と呆れる。
「ちょっと君。流石にそれは失礼じゃないか? 彼は警察官でその経歴も長い。その彼を信用出来ないのかい?」
江森は林を庇うように高本との間に立つ。
すると、高本は最初に出会った時と同じように相手を見下すような目をする。
「別にこの人を信用していない訳ではないんだ。でも、この人こう言う状況は初めてだろ。それなのに俺を信用しろっていうのはちょっと虫が良すぎじゃないか?」
「……じゃあお前はどうしてえんだ?」
林は怒りの気持ちを出来る限り抑えながら高本を睨めつける。しかし、高本はそれにも負けないように目元に力を入れる。
そして少し考えた後、高本は具体例を呈示する。
「例えば電車が発車してすぐにこの電車はブレーキを踏んだから、一つ前の駅に向かう方が近いとかみたいにもう少し冷静な判断が欲しいな。感情だけで仕切られても困るんだよ」
「ふん。じゃあ教えてやろう。近いのはこっちだ」
林は高本に対して肩を怒らせて言い捨てる。そして先程林が向かおうとした先頭車両の方へ歩き始めた。
果たしてどちらの意見が正しいのか大里にはわからなかったが、皆がそちらに向かう以上選択肢は一つしかなかった。
ちらりと高本を見る。大里は彼が悔しがっているのか思ったが、表情を見る限りそうは見えない。
すると、大里の視線に気付いたのか高本は大里の傍まで駆け寄る。
「何かあったのか?」
「……いえ」
「こっちに向かって本当にいいの? とかって思っているんじゃないか?」
この人は相変わらず勘がいいと大里は感じた。
「仮にそうだとして何でこちらに来たんですか?」
「まあ、僕もどっちがいいかなんてわからないんでな」
高本は小さく手を挙げて見せる。
「じゃあ何であんな喧嘩を吹っ掛けたんですか?」
「今はあの林っていう人がリーダーみたいになっているからだよ。この状況においてそれはよくないだろ」
「確かに、そうですね。でもあんな言い方しなくても今みたいに優しく話せばいいのに」
そう言うと高本は小さく笑う。
「女の子に褒められるのは嬉しいね。でもそれじゃあダメなんだ。強い人に刃向かうには優しい人じゃなくて強烈な人を演じないと」
「そうですか?」
「そうだ。それよりもほら、早く歩かないと遅れるぞ」
そう言って高本は大里の背中を押す。
「わかってます。貴方が話しかけたんでしょう? というか気安く触らないでください」
大里は高本の手を払い、早歩きを始めた。
高本は女の子との絡み方は相変わらずわからないなとため息交じりに言葉を零しながらその後を追いかけた。
暫く歩いていると先程林達が到着した運転席へ辿り着く。その時、先頭を歩いていた林は後ろへと向き直る。
「ここがさっき調査した所だ。ここより先は未知数だから気を付けろよ」
端にいた大里にギリギリ聞こえるか聞こえないかの大きさで声を出す。
どうしてそんな小さな声で話す必要があるのか大里は少し疑問に持ちながらも気を引き締めた。
しかし、その心意気を嘲笑うかのように背後からカンッと甲高い音がした。空き缶を蹴り飛ばした時の音によく似ている。
その音が鳴り響いた瞬間から今まであまり感じていなかった地下鉄のトンネルの空気の重さや不快感が一気に顔を出した気がした。
その音に反応して皆は歩いてきた道の方を向く。しかし、そこにあるのは微かに照らされた道だけだった。
「な、なんだ。気のせいか」
冷や汗を流しながら林は安堵する。
やはり運転手を探しに行った時に何か見たのだろうか。いや、見たのだろう。小さな音に怯える林を見て、大里の疑念はほぼ確信に変化しつつあった。
先程までは電車の照明が窓から漏れていたため視界は確保されていたが、ここから先は何もないただの闇だ。
視界を確保する為に林は携帯電話のライトを付ける。その後に続いて江森が携帯電話のライトをつけようとすると、林は江森の携帯電話を持った手を伏せる。
「どうしたんですか?」
「いや、この先どのくらい続いているのかわからねえからな。出来れば携帯のバッテリーは温存しときてえんだよ」
「なるほど! そう言う事でしたか」
理解を示した江森は自身の携帯をズボンのポケットへと仕舞う。
「しかし、それですと林さんの携帯のバッテリーが持たないのではありませんか?」
江森の心配に林は嬉しそうに少し笑い、心配そうにしている江森を見る。
「大丈夫だ。職場で充電してきていたから十分にバッテリーは残ってるよ」
「そうですか。ありがたいです。ではお願いします」
そう言って江森は頭を下げた。
ただ、ライトを付けたとしても地下鉄のトンネルの闇は深いのか、遠くまで照らされる訳ではない。
林は携帯電話を頻繁に動かすことによって周囲を照らす。そして周囲の状況を確認しながらゆっくりと歩み始めた。
このトンネルに響くのは五人の足音。そして緊張から荒くなる呼吸音だ。それらは音源として微々たるものであり、日常生活の中で意識して聞こえるこのではない。
しかし、それらを意識する事がなくとも聞こえる程彼らの感覚は鋭くなっていた。
そんな林達の前方からもう一度カンッという甲高い音が響く。彼らの感覚器に響くその音を聞いて立ち止まる。
今度は先程よりも音が近い。
やはり何処かに何かがいる。
誰もがそう感じただろう。林の持つライトは恐怖からか小刻みに震えている。
その様子を煩わしく感じたのか塩田が声を上げる。
「なんだなんだ! さっきから小さな音でビビりあがって。俺は早く帰りたいんだよ!」
そう言って林の手の中にある携帯電話を奪い取る。
「あ、ちょっと」
そんな林の静止も間に合わず、塩田は周囲をライトで照らしていく。
そして線路をライトが照らした時に一瞬だけ女性と思しき姿が照らされた。
「ほら、迷子の生存者じゃないか。お前らはビビりすぎだよ」
塩田は振り向いて林達を罵る。
そして振り向いた際にずれてしまった光を再度その女性の居た場所に照らす。
しかしそこには誰もいない。
「あれ? どこだ?」
一瞬の出来事に塩田は不思議そうに携帯電話を振り回しトンネル内を照らし出していく。
しかし塩田がそうするほど先程の女性が幻だったという認識が肯定されていき、皆は不安が募っていく。
「……とりあえず先に進みませんか?」
震えた声で林は塩田に優しく声を掛ける。
しかし塩田は自分の意見が通らなかった子供のように怒りを露わにする。
「いや、さっき絶対にいただろ! ここで諦めたらまるで俺がほら吹きみたいになるじゃないか」
「いや、間違いなく誰かがいました。だからこそ早く先に進みたいんです」
「それならば余計にここを離れたらさっきの人に会えなくなるだろ!」
「いや、まあそうなんですが……」
他の人には強気の林だが、相手が高齢者という事もありどう説得すべきか悩んでいた。その時に高本は塩田が握っていた林の携帯電話を取り上げる。
「おっ!?」
いつの間にか背後に潜り込んでいた高本に驚き、素っ頓狂な声を上げる。
それに対して恥ずかしそうにしながらも、その原因である高本に対して怒鳴る。
「おい! 何してくれてんだ!」
「いやいや。おっさん達が不毛な争いをしているからですよ。こんな所で話し込んでないでちゃっちゃと出ましょうよ。早く家に帰りたいんでしょう?」
高本は煽り口調で塩田を馬鹿にする。
それに対して塩田は何か言いたそうにしながらも、的を得た回答に何も言い出せないでいた。
その様子を尻目に高本は林に携帯電話を手渡す。
「今度は取られないようにしてくれよ?」
「ふん。同じミスは二度としない」
「そうだといいんだがな」
高本はあくまでも林とは対立した立場を取る。
「じゃあ行くぞ」
そう言って調子をいくらか取り戻した林はもう一度先陣を切って歩き始めた。
塩田を除く皆はそれに対して各々の返事をして林の後ろを歩き始める。
集団でいる事が精神的な支柱となっており今の所取り乱している人はいない。
一方で先程の一瞬で刻みつけられた恐怖を忘れる事が出来た者もここにはいなかった。