第四話
扉はギギィーと軋む音を立てて、人が一人通れる幅だけ開く。その時にそこからまるで闇が流れ込んで来たかのように大里は感じた。
もちろん実際にはそんなことはないが、外の空気が流入したことでそんな気分になったのだろうと大里は自分に言い聞かす。
「よし。じゃあ行ってくる」
林は休憩所にいる待機組に向かってそう言い残して躊躇う事なく線路へと降り立つ。
堅田と江森もその後を追い、線路へと降り立った。
林はその様子を確認するとともに車体の車輪に目をやる。
対側の車輪がどうなっているか見える訳ではないが、こちら側の車輪は線路の内側へと入り込んでいた。
「やはり脱線してたか」
「そうみたいだな。かなり酷い揺れだったし」
林の独り言に近い呟きに堅田は反応する。
「堅田はその時の意識があったのか?」
「あったぜ。でも、今回の事故に関しては意識がなかった方が幸せだったかもな」
「そんなに酷かったのか。恥ずかしながら気絶してしまってな」
「林はラッキーだったな」
「間違いねえ」
堅田の話を聞いて、林はあの衝撃の中で無事に意識を保っていた大里に改めて驚きの感情を抱く。
その様子を堅田と江森に悟られないようにしながら、「いくぞ」と声を掛けた。
電気が残っていた電車内と異なり、地下通路はかなり暗い。
電車から漏れる明かりがあるとはいえ、そこから離れると視界はすぐになくなるだろうと林は感じた。
「おい。逸れねえように密になって歩くぞ」
「分かった」
「分かりました」
林の言葉に堅田と江森は応答する。暫く歩いていて電車内とは異なる異質な空間の空気に飲まれそうになっていた林にとってその返事はありがたかった。
地下の通路の大半は電車の車体で覆われており、通れる部分は二人分程度である事が圧迫感を感じさせているのだろうか。
それとも地下内が妙に蒸し暑いせいだろうか。
林は自分の感じる息苦しさの原因を模索しながら無意識に周囲を警戒する。
その時、江森が後方から林に聞こえる範囲で声を掛ける。
「林さん。何だかおかしくないですか?」
「え、何がだ?」
「なんか静か過ぎません? もし他の車両にも人がいるならばもう少し何か音がしてもいいと思うのですが」
「乗客が少なかったんじゃないのか?」
「それを踏まえても人の気配を感じないんですよ」
「……確かにな。……でもとりあえず車掌の所へ向かってから中を探索しよう」
「……そう、ですね」
江森は腑に落ちない様子を見せながらも一旦口を閉じる。
林自身も江森の言う事は薄々感じており、中を確認するという選択肢は持ち合わせていたのだが、直感がその意見を強烈に否定していた。
そんな不安の中をいつも以上に慎重に歩き続け、ようやく目的の場所へと到着する。
「ここ、だな」
堅田が震えた声で運転席の扉を小さく指差す。
林はそれに対して頷く。
「どうやって中を確認する?」
「肩車でいこう。俺がお前を持つから中を覗いてくれ」
「オッケー」
林はしゃがみ、肩車の準備をする。
こんな風にするのはいつぶりだろうか。子供が小学校低学年の時以来だろうか。そういえば最近は会話すらしていなかったなと思い返しながら、肩に乗った堅田を持ち上げる。
「……どうだ? 見えるか?」
「ちょっと待ってくれ……」
暗くて何も見えなかったのか、ポケットからスマートフォンを取り出し、運転席の中を照らす。
「どうだ?」
「……車掌がいないんだが」
「えっ、そんなことってありえるんですか?」
江森が隣から不安そうに口を挟む。
「どうだろうな。普通アナウンスするとは思うんだが。床にも倒れていないのか?」
「ああ。いない。完全にもぬけの殻だ」
「……そうか。とりあえず一旦降ろすぞ」
そう言った後で、林は堅田を肩から降ろす。堅田が小柄とはいえ流石にこれ以上肩車をし続けるのは限界のようだった。
運転席を見た堅田は不思議そうな、不安そうな顔を浮かべながら話を切り出す。
「どうするんだ? 予定では車掌に連絡して帰る手筈を整える予定だっただろ」
「どうするか……」
林が悩みだした所で江森が、
「あの、一旦休憩所へ帰りませんか」
と提案する。
「このまま進むにしろ戻るにしろ、一度は絶対にあそこに帰らないといけないわけですから。この現状を知ったうえで、救助を待つか駅まで歩くかのどちらかを選ぶ権利は皆にあると思います」
それを聞いた林は少し悩んだ後、
「確かに言うとおりだ」
と肯定する。
「堅田はそれでいいか?」
林がそう尋ねると、声を発することなく首を一度縦に振った。
「じゃあいったん戻るか」
林の決定に頷き、三人は元来た道を引き返す。やはり長居するには気持ち悪いこの空間から早く抜け出したいという気持ちが湧き上がっているのか自然と早足になる。
休憩所がある五両目まであと二つという所で、最前線にいた堅田が急に立ち止まる。
「どうした?」
林が堅田を心配しながら尋ねると、堅田急に振り返り林の口を抑えにかかる。
「おい! 何するんだ!」
「静かに」
先程より一層震えた声で話す堅田の表情は血の気が失せ、青ざめていた。
「どうしたんだ?」
先程よりも声のボリュームを落とし、堅田に尋ねる。
「……う、上」
堅田の震える指が指す先を見る。
その指す先には完全に開いた電車の扉があった。
「扉が開いてる? なあ、江森先生。行きに通った時にここって開いていたか?」
「……いや、開いていなかったですね」
「そうか」
林はそう返し、電車に触れないように注意しながら背伸びをして車内を覗き込む。そして中を見渡している途中で林の目は大きく見開かれる。
「……どう、しましたか?」
林はその問いには返事をしない。その代わりに車体の下に潜れとジェスチャーを飛ばす。
江森は林が何を見たのか全く予想出来なかったが、この大男が見て危険だと判断した”何か”が存在するのだろうと推測した。
林の指示で車体の裏へ隠れて暫くした後、上で”何か”がこちらに迫って来るのを江森は感じた。
それが何かは分からない。ただ、その姿を見ていなくてもその存在感を感じざるをえなかった。
その得体の知れない”何か”は自分達が見ていた扉から車体の外を見回しているのを感じる。
それどころか、電車から漏れる光がその”何か”を映し出していた。
三人は必死で息を殺す。
陰から推測できるのは恐らく人間だろう。しかし、普通の人間がこんな気配を出せるはずがない。
林が普段の冷静さを保っていたならば、この非日常のせいで錯覚を起こしているだけと考える事も出来ただろうが、それをするにはあまりにも非日常が続き過ぎていた。
その時間は数秒か数分か。正確な事は分からない。しかし、彼らを恐怖に落とし込むには十分すぎる時間だった事は間違いなかった。
暫く息を殺していると、スゥーっとその気配が薄くなる。
「……どこか、いったか?」
林は近くにいる江森や堅田でさえ聞こえにくいと感じる程の声量で二人に話しかける。
「わかりません。ただ、重い雰囲気が少し軽くなった気はします」
「そうだな。とりあえずみんなの所へ戻るか。何か変な奴がいることも伝えねえと」
「え! 行くのか? 流石に危険だろ。あんな得体の知れない奴がいる中で戻るなんて。なあ、ここで救助を待たないか?」
堅田は恐怖で取り乱しながら林と江森を説得しようとする。
その興奮した堅田を諭すように江森は堅田の目を見て話す。
「堅田さん。ここで残っても何の意味もありません。それどころか今から私達は休憩所まで戻るので、堅田さんはここで一人になってしまいますよ」
「……それは困る」
「でしょう? それに休憩所にはもっと沢山の人がいますからより安心出来ると思います。少しの辛抱ですよ」
「あ、ああ、そうだな」
丁寧に話す江森の言葉に納得したように堅田は車体の下から出る。
その様子を横目に林は江森にふらりと近付く。
「流石医者ですね。人の心を掴むのが上手い」
「いえいえ。私はこれでも下手な方ですよ」
林の言葉に返答し、車体の下からの這い出た堅田に話し掛ける。
「大丈夫ですか?」
「ああ。……すまんかったな」
「いえいえ。この様な場所ですから取り乱すのも仕方ないですよ」
林は江森と堅田の様子を見ながら近寄る。
「大丈夫か? 大丈夫そうなら出発するか」
「ああ、何とか大丈夫だ」
少し落ち着いた堅田はそう言って立ち上がる。
堅田の返事に頷いた後、足を忍ばせて三人は休憩所がある五両目に向かった。