静かなる秋のはじまり
降り注ぐ空が眩しかった。
からりと澄んだ秋空を、一枚のモミジがはらりと散っていた。
ベンチに腰かけて一息つくと、かすれた空が目の前にあった。
まだそう遅くない時間、人はまったく見当たらない。
この公園は、駅から学校までの、知る人ぞ知る近道の一つ。
大通りには今頃、波のように人が溢れているに違いない。
もっとも、そこにうちの学生はどれくらいいるかというのは分からないけれど。
少し欠伸をすると、秋の匂いが鼻をくすぐった。
穏やかな1コマがそこにあった。
僕は鞄から本を取り出して、ベンチに寝そべった。
一枚、一枚とページをめくっていくと、そこには僕の知らない、壮大な場面が繰り広げられていた。
剣と剣が交わる音、孤独な姫の嘆き、庶民の慟哭……様々な物語が浮かび上がっては流れていった。
まるであの雲のようだ、と本から空に視線を移すと、そこには夏にあったような沸きあがりはどこにもなく、細々とたゆたう雲が散らばっていた。
秋が、やってきたのだ。
夏休みも終わり、新しい学期が始まった。
今日は始業式。
久しぶりに袖を通すYシャツは、どこか新しく、違和感があった。
始まってしまった2学期、終わってしまった夏休み。
誰もが思う悠久の時。
それは本の中に詰まっていて、いつでもどこでも広げることができるのだ。
「なんて思っていると、遅刻するかな」
時計を見ると、まだ8時すら回っていない。
新学期だから早起きをしよう、早く家を出ようとして、少し焦りすぎたようだ。
いつもならこれくらいの時間に家を出て、のんびりと街並を眺めながら歩いているというのに。
まだ緑色に鮮やく葉々たちは、いったい何を考えているのだろう。
これから始まる季節に、僕は何を思うのだろう。
ときめきとは違う、期待とも違う、どこか愛愁漂う空気が、まだ蒸し暑い夏の面影を残していた。
教室にもまだ人影は少ない。
壁際では、生徒会のメンバーが数人集まっていて、文化祭の話で盛り上がっていた。
そういえば、文化祭が近いんだった。
今週の土曜日、日曜日。
この学校は異色に包まれて、普段とは違う賑わいを見せるのだ。
模擬店、ネルトン、展示、発表……他校の人間や受験生がやってきては、感銘を受けたり罵倒したり、ライブで盛り上がったりするのだろう。
文化祭は嫌いではない、むしろ好きな方だ。
ただ、僕はそれでも文化祭にきちんと参加したことはない。
模擬店で買い物をすることはあっても、他の学校の友達と話をしたり、後夜祭に参加したりしないのだ。
どうも喧騒というものが苦手みたいで、いつも図書館で本を読んだり、吹奏楽部の演奏を聞きながら目を閉じたりしているのが常だった。
高校生活二回目の文化祭でも、きっといつもと同じなんだろうと思う。
変わった事など何もない。
いつもと変わらぬ日々が過ぎるのだ。
そんな折、新たなエッセンスが加われば、もしかしたら違うのかもしれない。
何か、そう、新しい出来事が起きたりしたら。
ただそれを求めるのは春であって、秋ではない。
秋の侘しさに心打たれ、芸術活動、スポーツ活動、読書に勤しむ。
もちろん新たな出会いはあるだろう。
そこから何かがあるかもしれない。
ただ、それは期待するものではない。
同じ感覚を共有し、スペイン絵画を見に行くことはあっても、その先に進むということは展開として無いだろう。
そもそも僕自身がそういったことを望んでいるわけでもない。
一人でいるのが好きというわけではないが、刺激を求めるよりは安穏を求めるのだ。
本の虫、とよく言われたことがある。
確かに僕は本が好きだ。
歴史小説とか図鑑とか眺めていると、いつの間にかだいぶ時間が経っていたことなど多々ある。
鞄にもいつも小説が入ってるので、少し時間があるときは暇つぶしに読み明かしていることもある。
そんなことを考えながら、ぼーっとしていると、にわかに教室が騒然としてきた。
チャイムが鳴るまで5分足らずになっている。
チャイム直前、ギリギリダッシュ。
それが青春の証だとか言っていたやつがいたけれど、はたしてそうなのだろうか……。
「よーっす、修一おはよ」
「……おはよ、浩太」
バンと強く背中を叩かれて、僕は少し不機嫌になった。
「なんだよ、今日もあいかわらず暗いな」
「誰のせいだって思ってるんだ?」
「んー、その言い方から、どうやら俺みたいだな、わるかった」
簡単に頭をさげるならはじめから叩かなければいいのに、と思ったが、昔からの付き合いだからもう慣れてしまった。
「よっしゃ、今日はいつもよりも余裕もって席につけるぞっと」
「確かに。いつもはチャイムが鳴っている時に入ってくるのに。今日はヒョウでも降ってくるのかな」
「豹? おいおい、だったらハイエナやサーベルタイガーが降ってくる方がカッコいいだろ」
「雹だよ、雹!! ったく、どんな頭してんのやら」
ハイエナをカッコいいと言うくらいだから、そうとう悪いんだろうけど。(事実、浩太の通知表は2とか3が多い……もちろんうちの高校は10段階評価である)
目の前にいるこいつは浅生 浩太って名前で、『チャイム直前ギリギリダッシュは青春の証』だとほざいていた本人。
髪は茶髪だし、Yシャツはズボンにいれようとすらしないし、ピアス穴は左耳に2コついているし、まあ不良とかワルって呼ばれるタイプの人間。
でもまあ、僕と一緒にいるから、そこまで激しく先生たちから批難されたり嫌がらせをうけているわけじゃないみたい。
本人もそういうのはあまり気にしないみたいだし。
中学に入ってからの仲なので、ざっと5年近い付き合いになる。
気がついたらまわりに付きまとうようになっていたのが不思議だ。(周りからはとても仲のいい友人同士に見えるらしい、うわー、やめてくれ、こんなやつ)
そもそも、こいつが入学式で鉛筆を忘れたのが後悔の日々の始まりだ。
鉛筆忘れたから、僕がシャーペンを貸したのが運のつき。
『シャーペンだうわーすげー』なんて感動して以来、気がつけば近くに浩太がいた。
「なんだ、俺の顔に何かついてっか?」
「目が二つ、鼻が一つ、口が二つあるな」
「うわっ、よく見てるなお前! なんだ、もしかしていつも俺のことを見てるのか? 照れるぜ」
もしかしてこいつ、アッチの気があるんじゃないだろうか。
たまに不安になったりもする。
そもそも口が二つって言われてなんで気づかんかね。
ま、こいつはそういうやつ。
結構サバサバしてて、必要なものと必要でないものでバサッと切り捨てるんだ。
だからきっと口の数なんかどうでもよくて、僕が浩太の顔を見ていたってことが純粋に嬉しかったんだろうと推測する。
正直に言うと、それが付き合いやすかったりする。
さっきみたいに背中を叩くみたいなスキンシップはするけれど、基本的に僕との距離をいつも適切においてくれる。
一人で本を読んでいる時は声をかけてくることはないし、一人でいたい時には一人にさせてくれる。
その分、一緒にいる時が過激になっているんじゃないかって思うけど……ま、悪くはないかな。
ただ、浩太と親友ね……やめておこう、顔見知り、はかわいそうだからな、仲のいい知り合い程度にしておこう。
「そういえばさ、聞いたか? 今日、テンコーセイが来るんだって。何系なんだろうな?」
「何系ってなんだよ、テンコーセイはテンコーセイだろ?」
「いや、あれよ、いろいろあるじゃん、太陽系とかさ! 銀河系だったらすげーだろうな! 俺、今夜は寝ないぜ!!」
――絶句。
「ああ、きっとそれはブラックホールの向こうから来るんだと思うよ。そうとうでっかいんじゃないか?」
「マジかよ! そりゃすげーなオイ!! うっしゃー今から超楽しみになってきたぜ……」
力強くガッツポーズをする浩太を見て、僕は何とも言えない寂しさを覚えた。
「浩太、ちなみに、今日はどうやら別のテンコウセイも来るらしいよ」
「へぇー! そりゃすげぇな! んで、なんだ、そのテンコウセイってのは?」
「『転校生』だよ。別の学校からうちの高校にやってくるってやつ」
「いいな、それ。仲間がまた増えるってわけだ」
浩太は嬉しそうに笑った。
本当に、嬉しそうだった。
「でも仲間ってな……別の学年だったり、気が合わなかったら仲間にもならないだろ」
「そんなことねーって! きっとうまくやっていけるさ」
でた、浩太お得意の根拠の無い自信。
俺が晴れるって言うんだから明日の遠足は晴れるんだよ、なんて台詞を大っぴらに言って、本当に晴れるんだからスゴイもんだ。
そのあたりの勘は優れているらしい、うん、きっと野生の勘ってやつだ。
「どんなやつなんだろうな……個人的には女が嬉しいんだが」
「そのあたりはまだ知らされてないしね。始業式終わった後のHRで分かるんじゃないかな」
「そっかそっか。うっしゃ、始業式は寝て、HRに備えますか」
「お、チャイムだな……本当、毎日こうだといいんだけどな!」
「まったく、いつも朝は何をしてるんだよ」
「ふふん、修一、この世にはな、怖いものが三つあるんだ。なんだと思う?」
「さあ……『お金』と『死』と『病気』じゃないかな?」
「ちっち、甘いな! 『酒』に『女』に『朝の惰眠』だぜ!!」
ハッハッハと、高笑いしながら自分の席に向かっていく浩太を見て、どこか頷いている自分がいることに気づいた。
確かに、怖い。




