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ほろ苦いは突然に


「有名な映画だ」

 なぜだか浮かぶ悔しそうな顔つきはそのままに、箒を床に突き立てた魔法中年は言葉を続ける。


「幼い魔女が箒で空を飛ぶ、劇場版アニメ映画だ。とある事情によりタイトルは伏せるが、金髪、知っているか?」


 やだ怖いっ。視線感じる。っていうかもろに髪指し(名指し)された。刺激してはいけない。刺激してはいけない。


「多分……知ってますけど」

 俺は視線が重ならないようにと、箒男の背後にある黒板を見つめながら答えた。母さんが小さい頃に言っていたから。危ない人とは目を合わせちゃいけませんって。  


「多分知ってるならそれだ。俺はその映画に感銘を受けた。それから二十数年、試し続けている。願い続ければ、諦めなければ、いつか箒で空を飛べると、心から信じている」


 それを、口にしやがった。すんなりとはっきりと、真っ直ぐと淀みなく、惑いや疑念の欠片も無く、口にした。俺は胸の奥に湧いた何かしらの感情を、鼻息で追い出した。


「周りには笑われた。友達も失った。でも俺は、どうして笑われるのか、どうして友人が離れていくのか、分からなかった。魔法を信じただけで、なぜ世界から見放されるのか、どうしても分からなかった」


 そりゃそうだろ。当たり前だ。良い年して箒に跨がるって可笑しいよ。真剣な顔して何言ってるんだっての。心の中で、必死にそう唱え続ける。


「悔しかったし、それ以上に、寂しかった。だから、口に出すのを止めた時期もある。幼い頃の大切な、大事な夢に蓋をして、閉じこめた時期もあった」


 一つ一つの言葉が、重く放たれる。俺はこみ上げてくる何かを、必死に抑え込んだ。みるみる赤みを帯びていく箒男の目を、直視出来なかった。


「けどな……やっぱり、諦め切れなかったんだ。諦めなくちゃいけない理由が、見つからないんだっ。なんでっ、俺は、大人は、魔法を信じちゃいけないっ」


 次第に声が大きくなっていく。箒男は溢れ出る涙を拭わない。まるでその熱意が真実であるかのように、裁判所で地動説を叫ぶ天文学者の様に、その悔しそうな目元から溢れ出る涙は、澄み切っていた。


「だから、口に出さず、一人で信じ続けると決めた。誰にも言わず、誰にも伝える必要など無いと、そう思った。俺は、幼稚で、バカで、普通じゃない。それで良い。そう思った」


 教壇に立つ男は、目元を拭った。真剣な表情は変えない。気づけば、すでに俺は目を離せなくなっていた。


「だから、ずっと口を閉ざしてきた。教師になり、たくさんの生徒を相手にするようになっても、俺は自分を偽った。普通を、装った。夢を叶えろと口にしながら。自分を信じろと口にしながら。それがこの、魔法を失った現実世界で生きる術なのだと、自分に言い聞かせた。そんなモノ、くそったれの人生だとも気づかずに」


 魔法が無い、と男は言わなかった。失った、とそう言った。その言葉が、俺の胸に突き刺さった。


「変われずにいた。変えられずにいた。周りの目が怖かった。笑われるのが怖かった。偽り続けた。三年前、それがどれほどにくそったれで、どれほどに最悪で、どれほどにつまらない人生かに気づくまでっ」


 男は、高ぶりを抑えるかのように、息を吐き出した。声を落として、続ける。


「俺にそれを気づかせてくれたのは、ある一人の生徒だ。今その話をするつもりは無い。ただ俺は、俺だけは、魔法の存在を信じている。そう、お前たちに伝えたい。ここには、この教室には、この魔法学の時間には、そしてお前等の世界には、魔法が存在している。俺がこの授業で伝えたいのは、それだけだ」


 男は、言い切った。誰もが忘れて、誰もが諦めて、誰もが目を背ける魔法を、あると言い切った。それはまるで魔法の言葉の様に、俺に目に映る世界を、俺の中に広がっていた現実を、変えていく。


「俺がここにいる理由はそれだけで、同じように魔法を信じてくれるお前等に出会えて、俺が一番嬉しい。魔法とは、自由だ。存分に、追い求めろっ。以上っ」


 男の上げた声と共に、小さく優しげな拍手が、教室内に広がる。俺は必死に涙を耐えながらも、その拍手に便乗しようかと迷った。感動はしたし感銘も受けたけど、まだまだ大人びた、現実が好きな俺が、その動きを押さえつける。不意に教室内を見渡せば、赤いリボンの女子が慌てて手を叩き始めていた。


「止めろ止めろ、拍手なんて」

 

 暑苦しいほどの真摯な表情を、急に恥ずかしげな笑みに変えて、男は顔の前で手を振った。併せて拍手が鳴り止む。


「それで、堀田君。今日はちょっと調子が良いんだ。任せても良いかな」


 男が初めて見せた普遍的な教師らしい口振りに、最前列中央の席に座るデフォルメちび丸眼鏡が反応を見せる。


「良いですよ、先生。頑張って下さい」

「ありがとう、助かるよ」


 男はそういって、再び教室の角に向かい、箒に跨がり飛び跳ねだした。俺の胸中を支配していた感動が、その後ろ姿と耳に届く鼻息に、急速を伴って薄れていく。いや、とても感動はしたんだけど。


「じゃあ皆、真ん中に集まって」

 急に仕切りだしたデフォルメちび丸眼鏡(次回から堀田先輩と呼ぼう)の言葉に、赤リボンと俺を除いた三人が、素早く立ち上がった。


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