天使のラッパと親友と恩師
「じゃあ皆、廊下側から順番で座って下さい。一列目は男子で、二列目が女子ですよ。その順番で座ってね」
切れ長な目の女教師が、教壇から優しげに指示を出す。やっとこさ意識を取り戻した生徒たちは、ワイワイと賑やかさを取り戻しながら、各々席に着いた。さて、と女教師が再び指揮を執る。
「さて、最初は自己紹介かな。私は喜多川、涼子です。涼子先生でも、涼子ちゃんでも、好きなように呼んで下さい」
「涼子チャンっ」
すかさずに声を上げたのは丸坊主の、おそらく野球部志望の、そしてお調子者だろう。それをきちんと笑ってやったのは、気の良い人間なのだろう。
さて、そいつは人気者になれるか、イジられキャラになるのか。夏休み前辺りからイジられキャラになる、に俺は投票しておこう。
「はい、ありがとうね、ユキノブ君」
涼子チャンがひと先ずと反応を見せて、話を続ける。
「昔からバレーをしていたので、ここでもバレーを教えてます。好きな食べ物は、そうだなぁ、カツカレー。好きな映画は――」
涼子チャンはいくつか例を出して、さて、と紡ぐ。
「じゃあ皆さんにも、こんな感じで自己紹介してもらいましょう。名前と、最低でも一つ、好きなスポーツでも食べ物でも、映画でもなんでも良いので、教えて下さい。よろしくねっ。じゃあ、一番左の男子から。はいっ、立って」
廊下側の一番前に座る男子が、気怠そうに気恥ずかしそうに立ち上がり、自己紹介を始めた。一人が終えると次が立ち、延々と自己紹介の襷が繋がれていく。そして、俺の番が来た。
やっぱりだ、知っていた。若干、教室の空気が張りつめる。だって、金髪なんだもんっ。眉毛なんかいきり立ってるんだもんっ。大丈夫、大丈夫、想定の、範囲内だ。そう自分に言い聞かせる。そして俺は、口を開いた。
「えぇっと、名前は、戸崎シュウヤ。好きなアニメは……魔法少女、ルルカリルカです」
さぁっ、笑え。渾身の、捨て身の、今世紀最後の、大ボケだ。この形から吐き出された、魔法少女という言葉。半年前に打ち切り当然で終わった、ネットでも話題にならない、深夜アニメ。そのタイトルが、金髪の口から吐き出された。笑いの鉄則、緊張と、何とやら。
さぁ、笑ってくれ。そして、友達になってくれ。俺は、本当は、校舎裏で飼育されるウサギの様に、寂しがり屋なんだ。
束の間に、教室がザワツく。そして訪れる、沈黙。空気が、チンッと張り詰めた。あっ、これダメなやつ。
俺は目を開いたまま、視界を失った。真っ暗闇だ。高校生活一発目に、やらかした。よし、死のう。消えて無くなろう。さようなら、青春。さようなら、恋愛。さようなら、思春期。俺は崩れ落ちるように、どうにか涙だけは耐えて、腰を椅子に投げ出した。
ガンッ、と足が机に当たった。その音に慌てた俺の足が、再び机を揺らす。ガガンッ。もう、止めてっ。そんなつもりなんて無いんだ。悪循環の極みだ。そんな音このタイミングで鳴らしたら、苛ついてると思われるじゃないかっ。不良が、大ボケかまして、滑ったから、苛ついてるみたいじゃないかっ。なんだそれはっ。町中でイケメンに喧嘩フッカケるチンピラより惨めじゃないか。もういい。早く、早く、誰か、俺を殺してくれ。
「ププーッ」
不意に吹き鳴らされた天使のラッパ音。俺にはそう聞こえた。誰かが笑った。俺はその、耳に絡んだ蜘蛛の糸に、目線を向ける。
ベランダ側の後ろ辺り、口元を押さえて耳を真っ赤にしているのは、お下げ髪の女子。俺だけじゃ無く、全員の視線を集めている。その女子はさらに顔中を真っ赤にして、必死に視線を逸らしていた。そして俺は、惚れそうになっていた。
「ププーっ」
今度は前方から天使のラッパ音。すかさずに俺は振り向いた。涼子チャンが、笑ってくれている。その信頼度は恩師にまで高まった。今誰かが大声で「一年っよんくみぃっ」と叫べば、俺は躊躇もなく胴上げを捧げるだろう。ありがとう、涼子恩師。
続けて鳴る、天使のラッパ音。続く、天使のラッパ音。それは教室に広がっていく。あぁ、もしかして、俺は恥ずかしさのあまり死んだのかもしれない。ここは、天国だ。
「あんなアニメ好きなのかよっ」
丸坊主でお調子者のユキノブ君が、突っ込んでくれた。再び笑いが起こる。親友だと思った。何があろうと、俺が君をクラスの人気者にしてやる。
「いや、好きっていうか……」
俺は感動を偽り頭を掻いて、恥ずかしいという素振りを造り上げる。
「おもしろぉい」
女子の誰かが呟いた。泣きそうになった。ありがとう。俺、このクラスで良かったよっ。もうすでに卒業式間近の感傷に浸る俺を余所に、恩師、涼子先生が口を開いた。
「はい、シュウヤ君、ありがとうございました。じゃあ、次」
笑顔の余韻を含ませながら次の自己紹介を促した恩師、涼子先生のお言葉に、俺の背後に座る男子が立ち上がった。
「池上、大和です。ええっと、好きなアニメは、機動主婦、オッカァダ、です」
短髪でそれなりそこそこの顔をした大和が、好きなアニメを被せてきた。教室が、笑いに包まれる。俺の大失態を、皆で覆い隠すかのように。なんて、人間って、優しいんだ。優しいって、万能薬だ。どんな傷でも、治してくれる。
「何でアニメ縛りだよ。シュウから続けるのかっ?」
すでにあだ名っ!! 嬉しい。その言葉を発した親友、ユキノブ君の言葉に、再び笑いが起こる。端から見れば、安っぽい学園ドラマかもしれない。まるで昼の一時に流れる国営放送だろう。だが俺には、桃源郷だった。