7-(1) 三罪有り
「で、どうだった?」
と不安げに問うのは侍中の桑国洋。
ここは外庭の一角にある治粟殿。朝廷内にあるこの建物は東アジア風の外観で屋根には萌黄色の瓦。いまその瓦は午後の強い日差しをうけエメラルドグリーンに輝いている。
――治粟。
とは見慣れない言葉だが歴女でミリオタの鹿島容子に説明してもらえば、
「治粟殿とは治粟とは粟を治めると書いて財政の管理をいいます。大昔の税金は穀物ですからね。粟は古代では主要な穀物、ポピュラーな税なんです。つまり粟は税金。治は集められた税金を管理するお仕事ってことです」
ということだが、これで治粟の意味は理解できても、この場合の解答としては満点ではない。
――え、なんで桑国洋が治粟殿にいるかですって?
と不意の問に驚く鹿島は歴女でミリオタというそこらの娘とは一味違う。
「それはですね。桑国洋が元財務大臣であり、朝廷にあっては財政官の立場にあるおかたといわけだからですよ。治粟殿にピッタリのお方ですね。えっへん」
そんな財政と税制のプロ桑国洋から問われているのは政界の若きホープで内務卿の国子僑。
国子僑が桑国洋のからの問に、
「ほう、なんのことでしょうか?」
その長く美しいまつ毛をしばたかせ疑問顔で応じると、桑国洋はうんざりし、
「とぼけるな。忙しい貴殿がわざわざ天京へ戻ってきて、この老骨にあいにきたということはなにか要件があるはずだ。まさか私の顔を見に戻ってきたわけではあるまい」
上から押し付けるようにいった。この上からの態度は桑国洋が国子僑より年長というだけではない。朝廷出身の政治家国子僑にとって、同じく朝廷出身の政治家桑国洋は直系の大先輩にあたる。
そんな大先輩の桑国洋はさらに、
「それに先日、軍経理局に行ったであろう。もう噂になっている。貴殿が軍経理局を無駄にねり歩いたことで局内の女子たちは老いも若きも黄色い声をあげて大騒ぎ。仕事にならなかったとな」
苦言を混ぜながら問い詰めた。
「仮に兵員と動かせる艦艇があっても予算の問題があります。そちらのほうはどうなっていますか?」
国子僑が爽やかに応じた。心労で顔が青い桑国洋に対し軍経理局で『国宝級の美男子』とまでいわれた国子僑にはどこか余裕がある。
「つくわけがない。再度内々に交渉したが議会は勅命軍編成の臨時予算などありえないと突っぱねてきた。首相には内閣を100回潰そうと絶対に通らないと一蹴されたよ」
仮に討伐軍派遣の臨時予算が議会でとおらない場合、強引に押し通す方法がある。首相が議会(下院)を解散して総選挙し「臨時予算に賛成なもの」で議会を固めるのだ。ただ当然下院が解散されれば、総選挙後に内閣もいったん総辞職となる。つまり内閣は潰れる。
首相はこれを幾度となく繰り返しても絶対に臨時予算は認められることはないといったのだ。
「そうなると朝廷独自で勅命軍の予算を捻出する必要がありますね」
桑国洋が真剣な顔でうなづいてからいう。
「で、自由に動かせる艦艇は具体的にはどれぐらいだ?軍経理局にいったということは、そのあたりのことを調べてきたのであろう?」
「意外に多く200~300隻です」
「おお、2個艦隊規模ではないか。まだそんなにグランダ籍の艦艇は残っているのか」
「ただです。大半の艦艇はドックで修理中か、修理待ちです。実際、動かせるとなると十数隻といったところです」
「そうか……。再編制されずに、まだグランダ籍で放置されている艦艇など、すぐには使えない艦ばかりということか」
桑国洋が国子僑の答えに消沈し、さらにため息を吐いてから続ける。
「だが仮に300隻が稼働可能でも予算がない。先の戦争では朝廷からだけではなく、皇室の私的財産を削ってまで戦争につぎ込んだ。いま朝廷の独自予算で軍を動かすとなると戦艦一隻で破産しかねない」
当然、7星系8惑星に君臨する朝廷が宇宙戦艦一隻の稼働ですぐに破産するということはないが、大きな負担となるのは必定。
「仮に2個艦隊、いや1個艦隊としても1ヶ月すら維持するのは無理だ」
桑国洋が苦悩もあらわにいった。
「では取り止めますか?朝廷が無理して討伐軍をだす必用はないのですから、最高軍司令部にまかせておけば問題ないです。帝の権威をもってしてもろくな艦隊が編成できないほうが問題です。私が戻ってきたのは、そのあたりのことを帝へ申しあげるためでもあります」
国子僑が今回の自らの天京帰還の目的を口にしていたが、桑国洋からすれば、現状もう帝を諫止するなどという段階にはない。
「討伐軍はだす。朝廷の面子がたたない」
桑国洋は朝廷といったが、面子がたたないのは帝であり、納得しないのも帝だ。帝は岐陽台で記者たちへむけ、
「朕はここに逆臣李紫龍の討伐の勅命す」
と断言してしまっている。うやむやにすれば帝の権威はいちじるしく失墜する。桑国洋が思った、もう帝を諫止する段階にないとはそういうことだ。勅命軍を派遣するというのはもうありき、派遣は大前提だ。
「天儀将軍から上書があったそうですか?」
この国子僑の問に、
「それだ!」
と、桑国洋が一縷の望みを託すようにいった。
けれど国子僑が、
「内容は?」
と問うと桑国洋はとたんに消沈し、
「具体的なことはなにも……」
そういってから、
『兵事は用いること翔ぶが如く。勁兵を以って直ちに出て、逆臣を誅する』
と上書の内容を口にした。
普通、上書もっとビッシリと文字が長々書かれ、出だしは上書を書こうと思った理由から始まり、「昧死して奉ります」と閉じられる。なお、これならまだいい方で身の上話から始まったりすることもある。とても全文を諳んじられるものではない。
そう思えば天儀の今回の上書は、
――あまりに短い。
と国子僑は驚き、
「え、それだけ?」
思わず問いかけていた。
「それだけだ……」
気まずそうに答える桑国洋に、国子僑はやはり驚きを禁じ得ない。
たとえ一文字で上書と豪語すれば上書だが……。と国子僑は絶句。軍事にうとい国子僑からしても、もう少しなにか踏み込んだ内容があってもいいはずだという思いが強い。
「だが希望がある」
「希望ですか?」
「天儀将軍は大将軍を解任され、半分引退状態とはいえ旧大将軍府でいままで残務処理を行なっていた。天儀将軍は、いま天京宙域で集められる戦力の少なさにつては十分把握しているはずだ。それに、このあまりに短い上書の内容は寡兵で出るということを暗示しているのではないか?」
「なるほど」
と答える国子僑には疑念が大きい。だからといってとても戦えない戦力で出撃して反乱軍に軽くあしらわれ、悪くすれば敗退すれば本末転倒だ。帝の肝いりの勅命軍が敗北すれば世間へ与える印象は悪いどころの話ではすまない。
――皇帝権威は消滅するだろう。
国子僑は皇帝が世俗の権力から隔離されることは歓迎だが、権威をいちじるしく失墜させ皇室が完全に衰亡してしまうことまでは望んでいない。
そんなことを思う国子僑に桑国洋が続ける。
「反乱討伐の勅命軍をだすという前提で問題を整理すると3つだ」
国子僑がうなづき言葉を促す。
「一つ目、帝の御意」
「御意とは反乱軍に加わった李紫龍の誅滅ですね?」
「そうだ。だが現状でこれを実現するのは難しい。反乱軍の総軍司令官である李紫龍の死は、そのまま反乱の鎮圧を意味するといってもいい。これを置いておいて残りの二つに進む」
またもうなづく国子僑の容貌に、
――さすがは侍中様だ。
という真剣味がでた。
大先輩桑国洋には帝については、やはり一日の長がある。国子僑は帝を諫止するていどのことを考え天京に戻ってきていたのだ。軍経理局へ行ったのも現状を正確に把握することで帝へ無理だと説得するためだった。だが桑国洋はもはやそんな段階ではないと、国子僑の先を進んでいた。
まだまだこの人には強みがあり、自分は若さゆえの甘さがあるな。とも国子僑は感じた。
「二つ目、帝の面子を立てる。これは勅命軍をだすことと、反乱討伐にでた勅命軍が負けないこと」
国子僑がうなづく。
「三つ目は予算内の編成。予算のつごう上、編成はあくまで小規模に押さえたい」
桑国洋が最後に、三つすべてを達成するのは難しい。と、つけ加えると、さっしの早い国子僑はもう納得。
「なるほど一つ目はともかくです。二と三は両立可能ですね」
「そうだ。勅命軍に必須の規模というのは存在しない。勅命軍は最高軍司令部が新たに派遣するであろう軍の一翼でも担えばよい。二と三の問題さえクリアーできれば帝の権威は最低限保たれる。このさい一つ目は無視してかまないと私は考えている」
「軍艦一隻でもだせば勅命による討伐軍ですか。そして負けなければよく、勝つことは必要ない。となると最悪どこかで戦わずにひっそり滞留していればいい。勅命軍の体裁がつく形という付随事項はありますがね」
「そうだ。ただ、それは最高軍司令部から合流を拒否された場合だがね」
「ま、そんなことはないように、そのときはこの私が調整しますよ」
桑国洋が、頼む、というように、うなづいてからいう。
「勅命軍は一隻でも豪語すれば勅命軍。それに私は天儀将軍の上書にあった『翔ぶが如く、直ちに出て』ということは、兵は拙速を尊ぶということで、このあたりのことを指しいているのだと考えている」
「つまり天儀将軍の企図は少数での素早い出撃」
「そうだ」
「で、明日、その天儀将軍の帝への拝謁ですか」
「なにか良い籌策がでるといいが……」
そう不安げにいう侍中の桑国洋。天儀の上書に希望を感じた桑国洋だが、鹿島いわく帝に元気を吸い取られたようなこの男にはやはり患いが多い。
帝はたとえ絶大に信頼する天儀が勅命軍を率いようと少数の編成では、
――戦意なし。
と勅命軍の実情を看破するするだろう。桑国洋の苦肉の良策も帝が納得しなければ意味がない。天儀が上手く帝を説得できなければ、桑国洋が心身を削って説得するしかない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「李紫龍には三罪あり」
と天儀が集光殿の朝集の間で放っていた。
いま天儀は礼装で帝の前で跪拝し、朝集の間には玉座に帝、左右には桑国洋や国子僑などの群臣たちが居並んでいる。
そんな朝集の間は天儀の言葉で騒然としていた。天儀は『逆臣を討つ』という上書を提出してここにいるのだ。今回、天儀からは大まかな作戦と、戦いに向けての意気込みが語られるものだと誰もが考えていたのだ。それが、
――李紫龍の罪は何か。
とは今更だ。李紫龍の罪は反乱軍に加わったことで、明らかにすぎるほど明らか。
だが、とまどう群臣たちのなかで桑国洋1人が、
――なるほど帝の心のありどころを見抜いた。
と、天儀の放った言葉に驚いていた。
桑国洋からして、帝は口にはしないが自身の判断のまずさが李紫龍の離反を招いたと自覚している。この判断のまずさとは当然、安心院蕎花を大逆罪で殺したことだ。
帝には李紫龍の離反は許しがたいが、李紫龍に対し悪いことをした呵責がある。このあたりの矛盾が今回の件に帝が感情的になってしまう理由。
「帝の呵責を取り除き。ありていに言えばこの場に限り帝の気分を良くすれば、是が非でも李紫龍を誅せよという無理難題はうやむやにされ、妥協を呼び込めるだろう」
心労の多い桑国洋が久しぶりに心に明朗さを覚えていた。




