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導師アーサーの憂鬱  作者: Namako
2-08:バイ・プレイヤー
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灰花。

 水底から湧き上がった泡が水面で破裂するように、ジェシーは文字通り飛び起きた。急に身体を動かしたせいか頭の中がぐるぐるする、視線を漂わせればひとまず此処がどこかの一室だということは把握する。薄暗い光ともいえない光はボールスでは日常茶飯事の光景で、外を眺めればいつもどおりの街並みを見ることが出来た。

 窓枠にふと手を置いたときにジェシーはようやく自身の状況に気がついた、びっくりするほどぼろぼろじゃあないか、自分。クロウが外された右腕は肌の色が見えないほどに包帯が巻かれ、動かすたびに静電気が走るような痛みがある。腹部にも何か叩き込まれたような、いやむしろ肋骨にもひびが入ったんじゃあないかと思うほどの、ずきずきという性質の悪い傷みが逐一精神に波を起こしている。

 あの後何があった? 腐敗者に噛み付かれたところからの記憶はない、気絶していたのだろうが。さて誰かいないだろうかと寝かされていたベッドから足を踏み出したところで、部屋の扉が開かれた。誰だろうと観察をすると、黒い外套に黒革のロングコート、口元を覆い隠すスカーフと背負ったままらしい槍を見る限りあの腐敗者との戦闘で乱入していた男性だということは安易に分かった。


「起きたか」

「腐敗者は?」

「全部食った」

「ならよかった」


 淡々とした会話に相手も少し戸惑っているようだった。正直なところ、自分も驚くほどに冷淡に言葉が出てくるのだ。不思議なこともあるものだ、自分は自分が思っている以上に危機的状況に思い込んでいるのかもしれない。思い込んでいる、だけなのだろうか。どうにしてもどこかに焦りがあるのは事実ではあった。

 ひとまずこの場所が裏通りの宿屋、柘榴の盃と呼ばれる冒険者の常宿だということ。自分はあの戦闘のあと気を失い、重傷でもあったため彼がここで保護をしたこと。騎士たちの許可は貰っているということを教えてもらい、ジェシーはここで少しだけ安堵する。しかしどうやって彼は騎士たちの許可を得たのだろう、疑り深いボールスの民を相手に何を見せたのやら。とにかく、騎士たちは大丈夫だとしてもまず宝石公爵──導師の一族に連絡を入れなければ。


「端末かなにか持ってるか?」

「安心しろ、連絡ならもう済ませた」


 一瞬、理解が出来なかった。彼は、ジェシーが連絡を入れようとしていた導師の一族のことを知っているのだろうか、そもそもジェシーが世話になっている場所を知っているということなのだろうか。

 数秒硬直していると、互いに自己紹介をしていなかったなと槍を背負った彼が眉間に手を当てて苦笑気味に言った。確かに自分と彼はまったく一言も自己紹介らしいものをしていなかったな、とジェシーは遅れて思った。彼は口元のスカーフを取り、素顔を見せる。その口元……左頬は大きく引き裂かれ、大雑把ともいえる縫い傷が淡い光に晒された、しかしその顔は戦闘終了時にも思ったとおり、外見印象よりも少年的である。年はそんなに変わらないのかもしれない。


「私は突槍の捕喰者ハルト=ラ・グール。元導師の一族だ」


 あぁ、とジェシーは手をぽんと叩き納得した。なるほど彼が捕喰者だったのか、そして導師の一族だったことがあったのか、その言葉を疑うことはジェシーはしなかった。そもそも導師の一族という単語自体が一部の人間しかしらない言葉であるが故、彼がそんな嘘をつけるわけがないと踏んだだけである。

 あれの身内だったのか、と思わず聞いてみると「残念なことにな」と彼は頭を抱えながら言う。これは本当マジだ、この反応は本当マジでしかない。何がって言われてもそうでしかない。これはあの頭吹っ飛んだ連中を直に知っている反応だ。


「他の騎士にも事情は説明した、情報戦はじじ……公爵がどうにかしている。とにかくキミのことだが、一応聞く。名は」

「ジェシー。ジェシー=ボールス・コールマン」


 ハルト=ラ・グールの問いに素直に応えると、彼は不思議そうな、怪訝といってもいい表情をしてさらに聞いてきた。


「コールマンか、その名は誰に?」


 どうしてそんなことを聞くのかというよりも、自分はなぜ死人コールマンという名を名乗っているのかという妙な違和感にジェシーは首を傾げた。誰に言われたわけではない、ジェシーという名前自体は昔からのあだ名だが、ボールスという名は今の立場を示す刻名ではあるが、コールマンだけはいったいなぜ自分がそう名乗っているのか、覚えていなかった。

 いやそれよりも、なぜ自分は聞かれるまで違和感を覚えなかった?

 嫌な、背筋の凍るような冷気が身体をすり抜けていった。これはまずい、この問いはまだ考えるべきじゃない。考えるのは後だあとだとジェシーはひとまず聞かれた問いに応えることにした。


「覚えてない」

「公爵が名づけたわけじゃないんだな?」

「あぁ」

「そうだとするとキミは不運だ」

「なぜだ?」

「その名の通りになってしまったということだ。……ひとまず動けるか? 移動中にすべて話す」

「ん、まぁなんとか。行き先ってもしかして今の俺の状態と関係しているのか」

「そうでなければ焦りもしない」

「怪我人によくいうねぇ」

「キミに言われたくはない」


 彼は、わりとジェシーのことを気遣っているようだった。そのことに関しては感謝をしつつ、ジェシーは身支度をさっさと終える。もともと手荷物なんて得物と財布と身分証明品ぐらいだったから、一分も満たないままに準備は出来た。

 宿を出ると外は小雨だった、しかし空は晴れている。風が強い、妙な天気だ。と思っていると口に出ていたらしく、裏路地を行くハルトが「狐の嫁入りだ」と言った。ことわざの類かと聞いたが比喩表現の一種だと教えてくれる、見た目は排他的だがやっぱり彼は普通の人らしい。

 少し歩くと周囲の雰囲気が変わった、そこは建物の老朽化がひどくて殆どの人が移住してしまった廃棄区域だった。スラムももしかしたらいるのかもしれない、と思うと少し心が苦しいが今は自分のことをどうにかしなければ、ジェシーはここに来てからというもの物事の処理順番を覚えたのを、無自覚のままに行っていた。


「順を追って説明しよう」


 廃棄区域に入ったところで、ハルトが話を切り出した。歩みは止まらない、瓦礫を踏む音だけが雑音として響いている。


「まず、ジェシー。キミは腐敗者を噛まれた、噛み殺された」

 

 つまるところキミは半分死んでいる。と大雑把にばっさりと言い放たれた言葉に、多少ながらもジェシーは衝撃を感じ取る。そりゃあ半分以上死亡宣告のようなものである、驚かないほうがおかしいぐらいだ。だが半分である、半分。木造のバリケードが行く手を阻みそうになったが、ハルトはそれを槍でぶった切りながら説明を続ける。息を吸うように破壊するあたり、手馴れている。


「しかし普通ならば、キミはもう腐敗者になっていてもおかしくはない」

「けど俺は生きている」

「ああ、そこだ」

 

 尋常じゃなく厄介ごとのように、ようにではないか、事実そうなのだろう。ハルトはざっとした、しかし的確なのであろう説明をする。

 今のジェシー=ボールス・コールマンは、あの腐敗者に流れる『血』を無意識下で受け入れてしまったらしい。『血』を受け入れる、つまりはジェシーが人間であった所以を呆気なく手放したということである。しかもそれに留まらず、ジェシーはその『血』を自分のものとして飲み込んでしまったらしい。だからまだ生きている、まだ人の形をしている。ぼんやりとした話ではあるが事実そうなのだろう、だからこそ。


「つまり俺は──半分腐敗者になってしまったと」

「そういうことになる」

 

 声色からしても表情からしても、申し訳なさそうに罪悪感に狩られているのはジェシーにもよく分かった。その理由は、言われずとも分かっているような気がした。

 彼は、おそらく箱の内側にいる存在だ。問題を箱とするならばその中に立っている、実情を知っている。そうとしか言いようがない語りをする、暗に彼はそう自白しているつもりなのだろう。

 半分が腐敗者。その残り半分はおそらく人、そのハーフはなんと称するのか。

 

 ──裂傷の捕喰者。


 そんな言葉が、脳裏に浮かんだ。

 

「俺は今後どっちを名乗ったほうがいいんだろうな」

 

 不謹慎な質問だなと自嘲してしまう、主に自分に対して。


「好きなほうを選べばいいさ」

「じゃあ今のままでいいや。それでこれは、えっと……不都合はあるのか?」


 ハルトは端的に不具合、不都合と思われる要因を挙げていく。曰く飢えが酷くなる、曰くそれはただの肉では満たせない。耐え過ぎれば腐敗者になってしまう。などなどもはや病気の類である、投薬し続けなければ死ぬ病。投薬するべき薬の内容はもう本能で分かっていた、どうにも捕喰者というものは概念的なものでもあるらしい。いやそうであるとするなら冒険者も同類なのだろうか。


「これ、治せたりはするのか」

「しないな、だが抑えることはできる」

「俺にも可能なことか?」

「確率は高い、可能性は低い。……ついたぞ、ここだ」


 詳しい話はここでということなのだろう。ハルトが歩みを止めたのは、なんらかの事故で焼け落ちたらしい廃教会の前だった。



「ようこそ灰花ハイカへ」 


 

 重苦しい扉を開きながら、彼は歓迎と思わしき言葉をジェシーへ投げ飛ばした。

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