威獣。
伝承派。というらしい。
異様な虹彩を持つ少女は、腐敗者の騒ぎに便乗して大陸に入り込んだ【異邦人】であり敵であるようで。その暫定的な敵と言うものが伝承派という古めかしい名を使っている、そういう単純な情報が少女を「保護」して僅か一日で発覚した。そもそも伝承派とは何なのか、理解するには多少の時間を有したわけなのだが。
伝承派と称されたそれは、大昔、それも百年前に遡る歴史の中で帝国と呼ばれ畏れられたかつての大陸の支配者らしい。古くから伝わる血筋で繋がって来た国家は、この大陸の先住民ともいえるだろう。だが伝承派が伝承派と呼ばれる由縁というものも確かに存在する。
どうにも伝承派は百年以上前の歴史から、予言……基盤譜面の元型から情報を抜き出す技術を所有していたらしく、それに頼りきった国の回し方をしてきたそうだ。最も古典的にいうなれば、予言が全て。そういう風に学習を敷き、そういう風に誘導し、予言のために戦争すら熾したと聞く。過去に紡がれた伝承の体を成した予言に溺れていた種族、それを畏怖と奇異を込めて【伝承派】と人は呼んだらしい。
しかし予言に頼りきった伝承派は、百年前を期に瓦解してしまった。何があったかは定かではなく諸説有り余るところだが、とにかく伝承派とその時代の人間が信じてやまなかった予言はある日突然に修復不可能なほどに覆されてしまったらしい。
覆された予言に国は揺れ、予定のない戦争が起こり全てがゼロに帰ってしまった。というのがこの異様な大陸の起源であり。そしてその戦争で生きのこってしまった伝承派たちは海の向こうへ逃げ、今の今まで存命し反旗を翻したというのが、この目の前の少女の起源である。
目的はまだ分からないが、面白いところが引っかかってきたことには変わりない。しかしそれ以上に……。
「どういうつもりだ」
「別に何も?」
「どこがだ! 私は敵だぞ!? なんでここまで手厚く世話をする!」
「客なら当然だろ」
「客じゃない!」
いや本当この人の反応面白いなーって。
一向に名前を名乗らない少女に対し、ひとまず落ち着いてもらおうと最低限の礼儀として客人としても待遇を、と城の部下たちに命じたものの、機嫌は一向に良くなってくれないのが難しい。
髪の虹彩から調べたところ、伝承派の尖兵であることは分かったが本気でこの人は面白い。油断を知らない少女と投げっぱなしの会話をするのが、実はかなり楽しくて仕方がなかった。
少女の奇襲から三日、必要な情報の半分を引きずり出したはいいものの。少女を救出しに来た伝承派の兵士をついつい本気で追い返してしまい、ついつい、彼女を保護してしまう羽目になっている。
正直いいんだろうか。
自分でも遊んでいるのはよく分かっているのだが、どうしようもなく今の大陸は爆発寸前の風船で。いっそ爆発するまでは遊んでやろうかと天使が耳元で囁いているわけだ。今のところ急用で真面目に動く理由がない以上、腐敗者どもの処理もほどほどにやって、ほどほどに情報を集めて……本当にそれだけである。しかも宝石公爵やフェイトは好きにしろの一点張りでして。
どうしたものかな、何してようかと悩むのだが取り合えずといった風になんやかんや彼女の元を訪れるようになっていた。
……ただ。
彼女と会うたびに酷い吐き気を感じるのも、最早慣れ始めているのもまた事実で。
「ボールス様、狼が」
しかしそういう楽しげなことと同時に、頭の痛い事案が吹っ飛んでくるのは最早何かの摂理なのだろうか。
書類処理を終えた昼下がり、ジェシーは中庭に移動しようとしたところで騎士に呼び止められた。──狼、その一言で全てが通じるようにジェシーは表情を強張らせた。
最近激化の一歩を辿る腐敗者の街への襲撃が、今は悩みの種である。狼というのは、この国に沸く腐敗者の殆どが狼男のような姿をしていることから起因する、腐敗者を狩る捕喰者という存在もあるようだが、ジェシーはいまだそれらに対して接触が出来ずにいる。結局のところ護るのは自分とこの国自身の手でしかない、そういうことなのか。とにかく、腐敗者が現れたということは早急に狩りつくさなければ被害が更に加速してしまう。
一匹いたなら十匹いると思え、それが今このボールス領で認知されている腐敗者の特性である。
「場所は」
「裏手の平民区です」
「出撃る」
「分かりました」
淡々とした受け答えに、異を唱えるものはもういない。結局殴ることしか知らないのだから、やれることを全力で成す。今のジェシーは、そういう人間だった。
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小雨を振り払いながら腐敗者の発生源に辿りついた頃には、周囲の民間人たちは避難を完了させており、腐敗者の咆哮が静寂を叩き壊すように響いていた。騎士たちは度重なる発生に対処も慣れ始めたようだ、嬉しいやら悲しいやら、迅速な対応に感謝しつつもジェシーは警戒を続ける騎士に話しかける。
騎士はまだ自分と同じぐらいの年齢の少年だった、雨よけの黒いフードの下ですこし驚いている表情をしているが状況が状況である。問答無用で現状を問う。
「数は?」
「ちゅ、中型が一体。ゴミ置き場に逃げ込んで、そこから出てこない」
少年騎士が路地の奥へと視線を飛ばす。低い唸り声が地面を伝わってくるのがよく分かり、少年騎士の動揺もすこしはわかりえる。何度も対峙しているとはいえやはり不気味で、本能的な警告が脅威への大きさを知らせている。
他の騎士たちはゴミ置き場に通じる路地を封鎖しているため、最悪動きがあればどこへ逃げたかはすぐに察知できるだろう。姿はまだ目視できていないが、恐らくまた狼型だ。狭いゴミ置き場では此方はかなり不利になる、一斉突撃は有効ではない。どこかに誘い出せればいいのだが、どこに誘い出すべきか。避難が終了しもぬけの殻になっているはずの廃墟街だろうか、逃げ遅れたものがいたらそれはそれで最悪なのだが。
少年騎士と共に悩んでいると、突然その間を裂くように一陣の風が吹きぬける。物理的な衝撃が肩を奔る、風ではない、人間だ。
「失礼、通らせてもらおう」
「えっ」
答えに至る前に聞こえた風が発したらしい言葉が、さらに混乱を引き起こす。なんとかその姿を確認すると、路地の奥……つまりゴミ置き場に直行する背中があった。
黒い外套、使い込まれているらしい槍、それだけが何とか視認できた時点でジェシーはその後を追い始めていた。少年騎士が慌てて伝令しに真逆に奔っていくのを視界の隅に捉え、最悪の事態にはならないだろうと確信しながらもジェシーは駆ける。どうせ止めても留まらないだろう、どこの誰だか知らないが丁度いい起爆剤だ。
「そこの黒いの、その先いるがいいのか!」
「俺の仕事だ」
「だったら好都合! 加勢する!」
狼の遠吠えのような豪哮が、鼓膜を大きく揺さぶる。敵勢存在に気がついたのか、ゴミ置き場にたどり着いた時点でそれは牙を振り上げていた。ジェシーとその乱入者は互いに違う方向へ跳び、着弾を逃れては場を確認する。幸いありがたいことに集められているゴミは考えているほど多くはない。
それなりに広さはあるゴミ置き場の隅に飛びかかった狼型の腐敗者の背には、寄生されているのかどうなのか、奇妙な植物の果実ようなものが多くその身を揺らしている。相変わらず骨と肉の塊でしかないそれの腐臭は酷く、吐き気さえするがそれでさえ飲み込むことにする。
「食事の時間だ」
目標を見失い動かない腐敗者に対し、乱入者が槍で背を引き裂く。すると尋常じゃない血液が引き裂かれた背から──正確には引き裂かれた果実が弾けた風船のように飛び、乱入者は返り血を嫌がるように後退する、腐敗者がようやく此方を視認したのかぐらりと此方を向く。人間の眼のような眼球が此方を見る、そこにはもう何も映っていないことは分かっていた。
屋根の上から声がする、ジェシーは乱入者にもう一歩下がれと警告を飛ばしながら得物を構えなおした。
「GYaa!」
小雨に混じり降る弓矢が、腐敗者の目を貫通し嫌な音を遅れて発生させながらも、その視界は確かに潰される。屋根の上を見やれば、弓を構え此方に親指を立てている身軽な鎧を着込んだ騎士が立っている。おそらくはあの少年騎士が呼び寄せてくれた援軍だろう。騎士は「援護いたします」と高らかに、しかしいい笑顔で言い放つ。
乱入者はそれに対し特に何も思わなかったのか、此方に視線を送り「合わせてくれ」とだけ宣言する。ジェシーもまた「応」とだけ答えを返すことにした。
しかし合わせてくれと言う直前、あの乱入者はすこしばかり動揺したように思えた。その原因は流石のジェシーでも分かる、自分の事なのだから尚更だ。
何も装備していないと思われるだろうジェシーだったが、今は違う。右腕全体が今は白金の鋼殻で覆われているのだ、この大陸どころではなく他でもあまり見ることはない武器。ガントレットと称されるであろう防具に見えるそれは、肘のあたりから鋭い牙のような爪が四本備え付けられている。機械に模した魔法、魔法に模したカラクリ……可変武器──つまりは、大爪を兼ねた拳である。
未だ定かな名称はないこれにたいし、ジェシーはひとまず「爪」と呼んでいた。
槍と、弓と、そして爪。
即興の編成はそれなりにバランスが取れているように思えた。




