孤軍。
ゆらゆらと揺れる視界の中に、アーサーは独りで立っていた。
ここはどこだろうか。ぐらぐらする頭であたりを見れば、そこには何もないということが分かる。なぜここに? 記憶を手繰ると、確かに思い出す。ロト王にやられたのだ。ほぼ一方的に、何も出来ずに。あの場所にいたカリバーンは、エイトは無事なのだろうか。どっちにしろこんな所でもだもだしている暇はない、早く、早く戻らなければ、本能に引き摺られるままアーサーは歩き出そうとする。だが。
「っ……、!?」
動けない。見えない糸に雁字搦めにされているように、殆ど身動きが出来ない状態だった。
その情報に気がつけば今度は息が苦しくなっていく。錯覚か、それとも実際にそうなのか。ぐらぐら、ゆらゆら、視界はますますぶれて行く。まるで指先から感覚を失い凍っていくように、行き場を失った体温は心臓へ居場所を求め、その心拍を加速させていく。だがその心拍は、今のアーサーの首を絞めていく主な原因ともなっていた。
「(あれ……?)」
いつのまにか苦しみの限界点を抜けたのか、アーサーの精神に障るものは水鏡のようになくなっている。それだけであれば、まだ良かったのだが。
無音の孤独の中に、あのときの死神の足音が蘇る。
だめだ。まだ、まだだめだ。まだ、死ねない。死ねない、死にたくない。思考は回転を速め、徐々に混乱を吐き出していく。
もがき、苦しみ、アーサーは一つ叫び声を上げる。残響のないその空間には、ただ声は呑まれていくかと思われた。
──アーサー様。
遠い彼方に、声が帰ってくるのを確かに耳にした。
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「アーサー様!」
明確に鼓膜に届いた声で、アーサーは意識は現実へ再接続される。がばりと起き上がればとにかく身体が痛い。痛みに悶えながらも、アーサーは声の主を見る。
「……エイト、か」
視界に映ったのはエイトの姿だった。怪我などはしていないらしいが、疲れているように思えた。
「はい、僕です、エイトです。アーサー様」
「無事、だったか」
「アーサー様に比べれば軽いものです」
「そうか……」
ひとまず、生きてはいるらしい。アーサーは自分の中に蠢く鼓動を確認するとほんの少しだけ安心する。
さてあたりを見れば、見慣れない部屋。石作りだがそれなりに整えられているところを見ると、牢屋でもないようだ。アーサーはさらに一つため息をつくと、眠っている間に握らされていたらしい杖、カリバーンを握る。奪われていない、確かに、ある。あるのだが。
「カリバーン?」
彼女の声が聞こえない。
どうしたのだろう、アーサーは今までにないほど不安になる。ロト王の攻撃がかなり辛かったのだろうか、無理をさせてしまったのだろうか? いやまて、確かに無理はさせていたのだ。させることになってしまっていた。早く会って謝りたい。それ以上に彼女の声を聞きたい。そこにあるものが突然なくなったような喪失感が、確実に呼吸をを絞めていた。
がたん、ふいに音がやってくる。
「その杖なら、今は眠っているっすよ」
部屋に飛び込んできた声に、アーサーは顔を上げた。
「ロト王のコールブランドの攻撃をもろに喰らったんだから、しゃーねえことっすよ」
「……あなたは?」
「んー」
そう唸る青年は、アーサーよりもすこしだけ年上のように見えた。緑色の瞳に、金色の髪。だがその髪の先はほんのり赤く染まっている。肌は白いがその顔面には火傷の痕らしきものが大きくそこに根を張っていた。そんな彼はほんの少し悩んでいると、ぱっと顔をあげて笑いながら「まあ誰だっていいじゃないっすか。とりあえず状況説明からするっすよ、大丈夫っすか? 頭、起きてるっすか?」と確認を飛ばす。
まあ、確かに状況把握はしておきたいところだ。
今は、落ち着こう。カリバーンは眠っているだけなのだから、きっと大丈夫だ。きっと。アーサーはひたすら自分に言い聞かせ、その青年に「大丈夫だ」と伝える。
「現在位置はベンウィック。で、あんたは今保護されている状態っす。ここまで大丈夫っすか?」
ベンウィック。ベンウィックを治めるのはバン王だったはずだ。
バン王は先代王アルトリウスの戦友だと聞いている、老年の王だ。アーサー自身としてはまだバン王には会っておらず、近々会いに行かねばとは思ってはいた。まさか、ここで助けられるとは。先代王に感謝せねばいけない。友達が多いって大事。
「で、あんたの国……ブリテンのことっすけど、向こうは替え玉用意して今のところは平和だそうっす」
此処まで来るまで言い忘れていたが、アーサーが治めることになってしまった国はブリテンと言う。今更の話だが。
しかし替え玉、手を回したのはマーリンに違いない。ひとまず国の方は心配しなくていいだろう。
「それと全体的なところだと、ロト王はアーサー王に、その他大勢の方は大陸全体に宣戦布告したらしいっす。けどこれはまだ未公開情報っすね」
「ロト王はともかく、その他大勢?」
エイトが聞く。彼女もまだこの状態を把握しきってはいないようだ。
「ロト王を筆頭に、我こそが真の聖剣に選ばれたって名乗る五人の王。それに従う六の国の王のことっすよ。先日一気に名乗りを上げて、それぞれ勝手に戦争し始めてるっす」
アーサーは、真面目に硬直した。ロト王がアーサーへ宣戦布告、それは分かる。その他大勢が大陸全体に宣戦布告。何やってんだよお前ら。何故このタイミングに一斉に戦争を仕掛けてきたのか、理由が分からない。情報が足りない。そう真面目に色々足りないのだ。
大体聖剣ってなんだ。
これは国のほうは安心でも、別のほうが物凄く心配になってきたぞ。アーサーは早く城に帰らなければと直感する。
「あとなんすけど、実はこのベンウィック、現在進行形でロト王の攻撃を受けてるっす」
いい加減真面目にロト王のことが怖くなってきた。
攻撃を受けているということは、今このベンウィックは不味い状態にあるのだろう。なら、このまま抜け出せる可能性は低い。
「すぐには戻れないと」
「そうっす」
「……バン王は?」
まずは話を聞かなければ、結局のところ行動はそこから始まる。のだが。
「ここにいるじゃないっすか」
「はい?」
自身がさらりと言い放ったその言葉を肯定するように、その男は続ける。
「俺がバン王っすよ、先日即位したばっかの新米王っすけどね」
因みにバン王はご隠居されました。と新米王は付け足すが「訳が分からないよ」とエイトが呆然と呟くのを、アーサーはどこか遠くに感じていた。