開幕。
衝撃的な発言をすぐさま飲み込むことなど出来るわけもなく、条件反射的に「なぜ、」と問おうとセージュは閉ざしていた唇を開こうとした。
しかし、それを阻むように爆発音が──恐らくこの城に滞在する全員の──鼓膜を劈く。相当大規模だったのか、部屋までもが大きく揺れる。隅に飾りおかれていた花瓶ががたりと重力に従って床へと叩き付けられた、ばらばらに砕け散る高価そうな花瓶に散らされる生け花が、余計にこの緊急事態を強く予感させる。
大丈夫かと扉が派手に開かれた、そこには目を輝かせているマーフィが立っている。これは多分セージュたちの心配などではなく、戦力がほしいからその手は無事かということなのだろう。何があっても戦闘がお好きな人には変わりないようだ。
「何があったんだ?」
「腐敗者の群れ……というよりも妖魔の群れが国に雪崩れ込んだ」
急過ぎやしないか、それは。
だがそんな異常事態の中でさえ、シラヌイは殆ど驚いた様子もなく平然と座っている。まるでこのことが分かっていたかのように取り乱すこともなく、彼にしては冷静すぎる状態。いやまるで、という訳じゃあなく知っていたのだろう。そうとしかいえない鎮座した雰囲気はさらに違和感を加速させていく。先ほどから聞こえるこの鼓動の音は何だ、せり上がる不快感は、胸の中で何かが蠢くような足元のつかない浮遊感は。
「なんか、すっげぇ嫌な予感がするんだけど」
リベラが目線を伏せながら零す。──そうだ、予感だ。これは何かの予兆で、感覚的な予感。だが一体何に対しての予感なのだろう、これは恐らくもう起きてしまった妖魔の襲撃に対するものではない、だったらまだ何か来るのか。きてしまうのか。転がり落ちていく心拍が限界値をたたき出す。
「ッ……!」
それは一瞬で訪れた。
具体的にいうなれば波だ、見えない波が、頭蓋を揺らしていく。頭蓋の中に浮かぶ脳器官が掻き乱されるような耳鳴り、骨を反響して全身に行き渡るような不快な金属音。本能的に耳を塞いだところでそれは肉と言う障害を貫通し、何を構えたとしてもすり抜けていく瞬間的な爆音が理性すら抉り飛ばしていくようだった。
絶え絶えの意識で周囲を見る、リベラはともかくとしてもマーフィや、流石のシラヌイでさえ同じように耳を塞ぎ耐え忍んでいるらしい。何かの悲鳴に似た鼓膜を突き破るような、それでこそ粘着するような「大嵐」の中、セージュはかすかに異音を聞く。
歯車のかみ合わせがおかしくなり、そのまま回転しようとするような酷い摩擦音。がたりとまた何か落ちたような音が、弾けて地面にたたきつけられ、破裂するような感覚。
──糸が外れる。
そんな言葉が、脳漿を揺らす。
一体何の糸だ。……何の、イトだ? 思考回路は熱を帯びて正しい結果を導き出すことは難しい。
これは、だれが、起こしたのか。それでさえ断定も出来やしない。千切れそうになる、喉が、意識が、脳が。振りきれそうな精神がギブアップを告げそうになった時。
「──はっ、……っ、お、終わったか……?」
深く水中から、呼吸もないままで水面に浮上したような開放感。いやそれだけではない、広がった気道がいつもより多く酸素を肺に運び込む。吸い込みすぎたのかリベラが盛大に咽てしまったようだ。誰もが、というわけではないが皆驚きの感情を隠せずにいる。違和感の原因、というよりも今気がついた違和感があまりにも尋常じゃあない。おかしいじゃあないか、だって、まるで今まで首を絞められていたような。ようやく解放されたというような、おかしなほどの開放感。
いつの間にか俯いていたセージュは、思わずばっと顔を上げた。何かの音が聞こえたわけではない、何かに呼ばれたわけではない。だが、それでも。
「おい、これ、まじか」
本音が、ついすべる。
目の前に広がる色彩が、強まっているのだ。それだけではない、体中の感覚が以前よりも鋭利に、いや以前と同じように「戻っている」のだ。いつからこんな状態だったのだろう、この大陸を訪れてからというもの、巻き込まれてからというもの、ずっとずっと感覚がぼやけていたじゃあないか。ぼやけ続けて、気がつかないままでずっと歩いてきた。頭の中で渦を巻いていた湿気を纏った熱が、今までずっと居座り続けていた不愉快な熱が急激に冷めていく。
状況を、把握しないといけない。
セージュはいやに冷静なシラヌイに問う「参考までに聞くけれど、アーサーはどこに?」と。
「戻ってきてからは、ずっと基盤譜面のところに」
「じゃあなんで」
──妖魔が入ってくるんだ、といいたかったのだろう。だがリベラはその言葉の飲み込んだ。彼でさえ、この異常を認識したらしく視線を泳がせる。
基盤譜面の近くにこの国の王がいるならば、まずこの国の結界は保たれるかさらに強化されるはずだが。今回はそうではない、むしろ結界が越えられてしまった。本来ならばありえない現象が今起きてしまっている、外の騒音を聞けば確信すら出来てしまう。相手は腐敗者だ、妖魔だ、魔王だ、侵入を許せば何が起こるかどんなバカでも分かるはず。それがあえて、引き起こされている。アーサーは、何を考えているのか──マーフィが、最悪の仮説を立てた。
「……わざと結界を割ったな」
「正解」
あっさりと肯定される最悪に、何故と問う声はない。
もう皆分かっているのだ、これはもう、本来想定された展開ですらないことが。解説の言葉を挟む間もなく状況は、情報は書き換わっていく。
──結界の硬度を考えれば、人ではないものに敗れるはずがない。
──【本来ならば】、妖魔の【****】は不発に終わるはずだった。
──だが、それももう起きてしまった。
「相手に宣戦布告させるためにとはいえ、ひどい無茶を」
セージュは頭を抱える。
今頃この大陸にいる冒険者たちも状況を理解しつつあるだろう、この、最悪事態を。
「基盤譜面を覗いたことのあるセージュさんになら、分かると思うけれど」
思考に歯止めをかけるようにシラヌイは語る。基盤譜面の内蔵された機能を。聞くまでもなくセージュは知っていた、あの強力すぎる譜面の中身は歴史の集合体だが、それもただの歴史ではない。確かにあの中には歴史が詰まっているといっても間違いはない、しかしその歴史の根は未来にすら及んでいる。要するにあの基盤譜面は、予言の塊といってもいい。冒険者風にいうならば、あれは「脚本」だとすら言えるだろう。
……歴史を、運命だと称するならば。
セージュは考える、実体験の傷みを頼りにしながら思考を回す。そう、あえて大きな間違いを犯すことによって、その歴史から外れるならば。リカバリーの聞かない脱線が引き起こすのは、強制終了だろうか、それとも分岐だろうか。
「あの人は、覆すつもりだ」
シラヌイは何をとは言わない、言ったところで意味も何も変わりやしないと判断したのだろう。彼は彼の言葉で続ける、今まで選ばされてきたセリフではなく彼自身の声で。──あなた達と話をしたかったのは他でもない、これからの事についてなんだ。ともうその先の言葉は予想がついているからこそ、セージュは最後まで聞くつもりはなくさらに問う。
「キミは誰の味方だ」
「友達の味方だよ」
言葉にするだけがすべてじゃあないんだろうと微笑んだそれは、真面目な顔に、年相応の真剣なまなざしで依頼を話す。
「一人の役者として頼む。冒険者たちの力を貸してくれ、セージュ=アーベルジュ/カムラン王」
むしろそれは、この場にいる全員に向けられているようでならなかった。
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「水面下での戦いを終わらせよう」
アーサーは、僅かな欠片の山となってしまった基盤譜面を目の前にして、宣言と言わんばかりに言葉を紡ぐ。
耐え忍んできた胚の熱傷を、感情を、すべての行動と言葉を表面化する時が来た。
突拍子でもないと誰もが否定するかも知れない、それも仕方がないだろう。そうするがためにアーサーは、すべてをブラフで隠し通してきたのだから。
「真正面から戦おうじゃあないか、魔王とやら」
──その背後に立つものを、すべて日の下へ引きずり出してくれようぞ。
少年は、ひさしく楽しみだといわんばかりに笑みを浮かべた。それもまた、無邪気に年相応に。
(すべての経過途中の物語に中断指令を)
(前哨戦の開幕だ)




