飛揚。
王城にたどり着くにはそう時間はかからなかった。わりと不思議なことに目的地に向かう時、案外早く着いてしまった場合はそちらからもコールがかかっていたりするのだが、今回はまさにそのパターンだったらしく彼とは城内で鉢合わせすることとなった。聞けば向こうもまた此方を呼び出そうとしていたらしく、入れ違いにならなくてよかったと彼は安堵の息を吐く。
「もてなしも出来なくてすいません」
別件で動く為ラタキアとマーフィと別れたあとに応接室で対峙することになったのは、彼……アーサー王の替え玉を務める少年だ。東洋人特有の黄色い肌に赤い瞳、髪の色は確かにアーサーと同じではあるが体格や身長などには差異がある。決してよく似ている姿をしているわけではない、むしろ、アーサー王自体中々表に出ないことで有名なぐらいだ。姿をみせないことで理想像を保っているのだろうし、アーサー王本人としては、替え玉の外見情報はあまり関係がないのかもしれない。
林檎の香りが漂う紅茶にはまだ手をつけないままで、セージュは「いいんだアンク──いや「シラヌイ」くん、連絡も取らずに押しかけたのは此方なんだから」と彼に気を使う。隣に座るリベラがおや? といった風に小首を傾げているが、それに対してはざっくりと「彼もアーサー王だ」と告げる。すこし引っ掛かっていたようだが、リベラはリベラで何とか納得のいく答えを見出したようでそれからは疑問符は浮かんではいない。
さて替え玉の彼の名は、通常「アンク」だと言われているが本当は違うことをセージュは知っていたわけだが。
「その名で呼んでくれるのはあなたぐらいだよ、セージュさん」
彼は年相応のやわからな表情で苦笑する。
替え玉の本当の名はシラヌイ。不知火と書くらしいその名は、この大陸では珍しい名でありそれと同時に奇異だった。だからこそ敢えて別の名を名乗り平凡だと思わせたのだろう。あのマーリンもたまには妥当な案を考え付くらしい、しかしそうしたことで彼の本名を知る者はごく少数となってしまった。名前の持つ拘束力は尋常じゃないほどに強い。名を使った呪術だってあるぐらいだからこそ、今時本名なんて名乗らないほうがいいのだろうけれど。そこは人情というもの、本名で呼ばれないのは確かに寂しいものだろう。少なくとも、偽名という形でセージュと名乗っている自分はそう思う。
シラヌイは砂糖を一欠けらも入れていない紅茶に一口つけ、ティーカップを置いたところで「さて」と話題を切り出す。──しかもシラヌイの纏う空気はその時点で一変している、彼の中のスイッチが切り替わったのかも知れない。そういうところは確かに、彼もまた王なのだろうなと感じさせる。
「魔王の事について、だよな」
さらりと確認するように出してきた単語にセージュはすこし驚いた、どうやら把握済みだったらしい。リベラが驚きで目を白黒させているあたり、少年もまた把握しているとは思ってもいなかったのだろう。まぁ、この大陸で魔王やら魔族やら妖魔やらの単語が出ることも珍しいことなのだし、こればかりは仕方ないだろう。
「知っていたのか、杞憂だったかな」
「いやそうでもない。魔王の存在をじかに知っているのは俺とバン王だけだ」
まあ此方の話はあとでいいな話題を区切っては、シラヌイは視線をリベラに移す。
「君の話を聞かせてくれないか?」
リベラは困惑も飲み込んだようで、大きく頷いた。
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「ベンウィックの破棄鉱山が外の大陸と繋がっている……か」
すべての用件と情報を聞き終えたところで「これでようやく納得がいった」と言わんばかりにシラヌイは小さく溜息をついた。
まず彼が真っ先に触れた、腐敗者たち、すなわち妖魔の発生源。現に腐敗者たちはベンウィックの破棄炭鉱付近から発生していた。当初の情報としてはあったが噂話程度のものだったうえ、現場は危険すぎて近づくことさえ難しいとされていたのだ。確定させるにも否定させるにも情報足らずでそこまで頭はまわっていなかったことも事実、知りたかった情報の真偽はともかく噂話ではないところで出てきたのは、誰にとっても得だ。
「魔王は、というよりも魔族はそこから此方の……オレの住んでた大陸に逃げてきたって言われてる」
補足するように慎重に言葉を放ったリベラは語る。昔話程度のことかもしれないが、それでも昔話として残るほどのことはあったのだろう。冒険者に属し始めているものとしては、そういった情報でさえ信用に足りえるしむしろそういった情報でさえほしいところだ。
それにリベラの故郷、ディ・ナハト大陸はそういう世界というしかない。冒険者の中では太陽狩りサーバーとも呼ばれるそこは、この大陸よりも魔法が一般に浸透しており、平然と妖魔が闊歩するまさに剣と魔法の世界だ。中にはこの大陸に存在した伝承派という人種が、二つの海を渡ってディ・ナハトに流れ着いたという歴史解釈すらある。根本的な冒険者発祥の土地であり、魔境の大陸。
確か今は、アルスマグナ同盟のルカが向こうに渡っていたか。あとでまた連絡を取って情報を集めてもらったほうがいいのかもしれない。
「土地の奪還が目的か?」
「それもあるとは思う、けれど……」
シラヌイが出した妥当案に対し、リベラは言葉を濁らせる。視線を空中に漂わせては少年は一度、たしかに目蓋を閉ざす。考えを纏めているのだろうなと、この場にいる全員が思う。それほどに単純で露骨な熱処理はすぐに終わり、少年は俯き、そして顔を上げながら目蓋を開いてはその濁らせた言葉の回答を開かせてみせた。
「燻ってる感情が制御できないんだと思う、多分」
何百年の間を生きるという妖魔にとって、そこに精神を持ったものがするならばどれほどの歴史を見たことになるのだろうか。沢山の戦乱を見てきたのかもしれない、何かしらの思いを果てるまで見届けたのかも知れない。その最中で起きたのが、恐らくは封じられた血露戦争だろう。ただの戦争から勇者の英雄譚に摩り替わっていった系譜の中で、火を灯されては油を注ぎ込まれた蝋燭はどれほどの長さを持っていたのだろう。どれほどの時間、その火は燃え続けたのか。墨が、灰が重なって、それがとうとう絶頂にまで到った。──百年を、きっかけとして。
「そうだろうな」
確信めいた響きを持たせてシラヌイは視線をどこか遠くへと飛ばす。分かってたのかと問えば、何と無くだが確信はしているとどこに確証があるのかもわからないくせして、自信はあると強い口調で言い放つ。猛進的、というよりも情報を一から百まで疑っている余裕がないのかもしれない。もしそうであるならば、セージュもまた似たような状況だ。仕方がないのかもしれない。
いまでこそ上手く回っているが、どれほどの誤認があるかなど分かったものではない。これだからこそ、大規模な情報戦は恐ろしい。
しかし、彼の場合はすこし事情が違うようだ。
「もう魔王にはあったからな」
「は?」
思わず、口がすべるぐらいには。
曰くアーサーがキャメラルド王国へ出ていたときの事、シラヌイは替え玉としての仕事でベンウィックに顔を出していたのだが、その時に鉢合わせしたらしい。恐らくそれはすこし前に騒ぎになった龍型腐敗者発生事件のことだろう、とセージュは思い至る。リベラに関しては、そこまでの情報は回っていなかったようで疑問符を浮かべることすらできていないが。
しかし、シラヌイはその話題を出したとたんに顔を俯かせた。なにか不具合でもあったのかと、いつもならそう問いたいがその空気の中で問う勇気がセージュにはなかった。しばらくの沈黙が続いたが、その沈黙を破るのはやっぱりシラヌイしかいない。
重苦しげに口を開き、目線を逸らしたままで語ったそれは湯船にハッカ油を駄々流しにしたような絶対零度も辞さない衝撃的な情報で。それ以上に否定しがたいものであると確認させるように、空気はひたすらに水を吸った綿のように重く、息苦しいものだった。
「魔王は、俺の親友だ」
リベラが丁度口に含んでいた紅茶を噴出してしまったのも、仕方のない話だとセージュは頭を抱えた。