依頼。
魅了。というものはこういうものを指すのかもしれない。
おずおずと怯えがちに姿を現したそれは、鋸鉈の捕喰者が今まで関わってきた中で二番目に綺麗で端正な美術品のように思えた。
エメラルドグリーンの色を砕いては押し込めたような双眸は濁りを全く見せず、その目にほんのすこし被さったさらさらと水分のない髪は、奇妙なことに目と同じく宝石エメラルドの色素を宿していた。癖のない髪質なのだろうか、肩のあたりで二つのふさを縛った……いわゆるツインテールにまとめた長髪はあまりにも長く、髪先は彼女自身の腰まで届いている。
血肉を感じさせない陶器のような肌といい、その崩れのない顔の構築といい、現実味のないそれは鼓動の存在さえ疑問視させる。
とにかく、そういう人間だった。
『あ、あの』
この国の言葉ではない動揺の声をそれは発する。しかし、捕喰者には何とかそれを聞き取り言葉として変換する情報を有していたため、何とか意思疎通は出来そうだと安堵する。
だが、妙に引っかかる部分があった。なんだこの声は、まるで無理矢理音をひねり出しているようじゃあないか。確かに外の大陸の言葉は音の高低にも意味がある場合があるが、そうだとしても異常なほどにその音はぶつ切りもいいところ、まるで継ぎ接ぎの声だった。声帯が機能していないのだろうか、発音が聞き取れるだけまだましなのかもしれないが。
「可愛いだろ」
「……綺麗だとは思うが」
によによしながらフラットは此方の反応を伺ったが、捕喰者はさらりとそう流してやる。お堅いねぇとフラットはやれやれとため息をついた。
困惑したまま動かない護衛対象に対し、フラットは捕喰者が護衛の任につくことを教えたがまた困惑したような顔をする。
その様子にニィナがムッとしたことで、今さっき凄まじい勢いで警戒されたことに捕喰者は気がついた。確かに、相手は女の子だ。以前も黒尽くめ、現在はそれに増して解き忘れた包帯やらも付属しているおかげで見た目は完全に世捨て人だ。そろそろ真面目に武装の新調を考えたほうがいいのかもしれない。とはいっても今の装備が一番動きやすいのだが、難しいところだ。
『あ、えっと、えっと』
『ラッド=シャムロックだ、護衛の任を受けることになった。よろしく頼む』
『は、はい。えっと、えっと、此方こそよろしく、お願いします』
こいつは重症だな。
彼女の国の言葉で挨拶を交わしたつもりだったが、何だかさらに警戒されたような気がする。そんなに私は怖いだろうか? 私よりも恐ろしい連中は沢山いると思うのだが。おかしいなぁと小首を傾げていると、ニィナが「わかってないなぁ」と捕喰者の脇腹をどついた。
一応、ニィナは彼女の言葉の聞き取りは出来ないのだが恐らく表情や身振りなどで察したのだろうか。観察眼などは着々と育っているようである。
そろそろ本題に入ろうかと思ったところで、捕喰者はまだ護衛対象の名を聞いていなかったことに気がついた。このまま呼び名が安定しないのも忍びない、名乗ってくれるだろうか。彼女。
『……名前は』
『あ、えっと、えっと、』
『……』
『ぼ、ボクは、6E、ですっ』
6Eと書くのだと、彼女は胸元に下げたプレートをみせながら答えた。
なんともまあ無機質な、機械的な名前だ。どこの製品番号だろうか、確かに知り合いにも新台のような名を持つ人物はいるにはいるが、彼同様に、いやそれ以上にとても呼び辛い。視覚化のみを優先されたような名前はいざという時に限って出てこない、失礼ではあるが適当にニックネームでもつけさせてもらおうか。
『ムイ』
『え……』
『6Eは面倒だ、ムイと呼ぶことにする』
『は、はい。お好きにどうぞ……?』
単純に6をムと読み、Eをそのままの音に繋げただけの簡素な呼び名だ。ニィナのときと殆ど同じような発想だが、此方のほうが呼びやすくていいだろう。ニィナはまたジト目で此方を見ているが、気にしない。別にいいじゃないか、No.27からのニィナ。可愛いじゃないか、あぁ、そういう問題じゃないと。
とにかく呼び名を安定させたところで、捕喰者はムイに座るように促した。おどおどとしながらもムイは席に着いたが、こいつは別の意味でその他の視線を気にしているようだった。ニィナがさっさと懐いているところを見る限り、一応人間らしいが。見た目が生きている人間とは到底思えないがそうらしいが。
とにかく仕事の話を取り決めしてしまおう、護衛とはいっても期間やらなんやら区切りは必要だ。報酬の効率は今回ばかりは度外視するつもりだが、一応、そういう形式はいる。
だが、その依頼内容はすこし意外なものだった。
『一週間、でいいんです』
ムイは俯きがちに期間を提示した。一週間、職種によって感想の異なる期間に対し捕喰者は単純に短いなと感じとることにした。
護衛任務は通常、最低一週間、最長半年とも言われている。今回はその最低値である、アーサーとの同行任務も同じくして一週間と数日だったがあれは例外だ。
『一週間だけ、護衛をして欲しいんです』
何にも襲われず、何にも怯えず、ごく普通に生活したい。
なかなかの無理難題を、ムイは切実に望んでいるようだった。いや、本気で切望しているのだろう、憂鬱のそれよりも儚く感じさせるその表情は何よりも説得力があった。
しかし。
既に包囲されている気がするのは気のせいで済まされないと思うのだが。
「フラット」
「おう」
「何人いると思う」
「三チームっすかね」
「そうか」
捕喰者はすっと立ち上がる。多くの視線が突き刺さるのを感じとるのを確認し、うんざりだと言わんばかりに肩を落とした。何が起こっているのか分かっていないムイとニィナは不思議そうにこちらを見ている。
『ムイさん、護衛は明日からでいいのだろう。今日はもう部屋に戻れ』
外套の下で得物を探りながら、ニィナにムイを部屋に押し戻すように言う。ニィナは素直にそれに応じ、ムイの手を引っ張っては部屋に向かっていった。それを確認したかしないかのタイミングで、フラットがぴんとコインを投げる。
奇異な行動に視線がそれを刺す、その最中に捕喰者は外套の下から得物を取り出せば闇に潜んでいた連中がぞわりと姿を現した。
人の皮を被った気になったそれらが、ぐずぐずになった目玉をぐるりと回してはこちらを睨んでいる。ただその中でもまともな形をしたそれが、直感でブレインだと思い至るにはたやすかった。
「表へ出ろ」
低く撃ちはなった言葉に、それは「仕方がないな」とわざと応じて見せる。相応の精神は兼ね備えているつもりだといいたいのだろう、この国の腐敗者はどうにも食えない連中ばかりのようで無性に腹に突っかかる。しかしそれでも狩るだけだ、狩らなければこの得物を取った理由も成立しない。
ただ、背筋に走る嫌な悪寒だけは確かに予感を告げていた。