調律。
「制限時間三分、補正稼動十、三十、六十、百二十の四回構成。同時進行で調律七壁抜き進めるからタゲミスったら焼き土下座要求するからな!」
主にお前だよお前だとギイ個人に言い放つが如く、アーサーが調律の前段階として宣言を打つ。
陣形は最初と対して変わらない、エドガーが最前線に立ち、鋸鉈の捕喰者がその右へ、ギイは左へと立つ。アーサーは後方の扉の前で精神集中と調律を施工する、基本中の基本である四角の陣形だ。
「Gaa……」
また来たのかと言わんばかりにクリフォトは大きく息をその大口から垂れ流した、相変わらずの噎せ返る麻酔の臭い。
これは多少吸うだけならば痛みを緩和できるが、あまり吸いすぎては当然悪影響が出る。普段からマスクをつけている捕喰者はどうにかなるにしても、そんなものつける環境にいないアーサーやギイ、エドガーにとってはすこし厄介だろう。
捕喰者が得物を構えるその傍ら、ギイとエドガーが走りの構えを取り小さく言葉を呟く。僅かに聞くことが出来たそれは、この国の言語ではない。訳するならば剛毅。その言葉が恩恵を示唆するように、彼らの影からそれぞれ赤の色を宿した光が上昇し、破裂する。その破裂した光が彼らの頭に振りかかれば、彼らの取り巻く空気は雰囲気はただの人間ではなく、殺気と化す。
「トランス完了、いつでもどうぞ」
「トランス開始だ、いつでもいけるぜ」
ほぼ同じタイミングに彼らは準備完了の宣言をする。
トランス、異文化でありながら冒険者の持つ中でも癖のある戦闘技術だ。思考回路に若干の強制回路が入り込むため使用者は少ないと聞いてはいたが、その戦力は今まで見てきたとおりに相当の猛威だ。それが二人いるだけで、既にクリフォトを倒しきる火力は間に合っている状態にある。
だがそれでも攻略の出来ない今回の基盤譜面丸呑み擬似タコ野郎は、本来ならば四人で倒せる相手でもないのかもしれない。
しかしそれでも倒しきるのが今回の目的であり最善手、軽く三時間も経過しているが一日たつまでならセーフだ。
「──クリフォト討伐、再戦だ!」
アーサーがカウントダウンをすっ飛ばし、戦闘開示の合図をする。それと同時にクリフォトの咆哮が飛ぶが、それはもう何度も聞いたからこそ慣れたというもの。
すぐさまに止まらず捕喰者、ギイ、エドガーは配置へ向けて走り出す。円形とはいえこの場所は相当広い、だが移動がすこしでも遅れると結果に大きく響く。全力疾走さながらの五秒間だ。
「タゲ取りは任せろぉおおおおお!」
エドガーがらしくもないドスの聞いた声を効かせながら真っ先ににクリフォトの目の前に躍り出る。クリフォトのグロテスクな目玉がぎろりとエドガーへと向く、目標は予定通りにエドガーへと向いたようだ。
その間に各自被弾せずに作戦通りの配置──捕喰者はクリフォトの右腕付近につけた、それと同時にアーサーが当初の宣言どおりに基盤譜面の奪取と平行して此方への調律を発現させる。
「十秒経過のスタートダッシュ! こけるなよ!」
戦闘開始からきっかり十秒のタイミングで彼の言葉が戦場に飛ぶ。大きく硝子が割れるような音が響けば、舞台に風が吹きわたり光の粒子が舞う。その直後にそれぞれの身体がふわりと軽くなる。重力を感じさせない全体的な感覚は、真逆に集中させる力を増大し速度を増す。
魔術や魔法の発動条件である力ある言葉を必要としない詠唱、精神操作のみで行われる無音であり異音の技術。調律と名を冠するに反して、この力は音を必要とはせず、ただ必要なのは伝達するための空気と伝達対象のみ。魔力を用いない代わりに精神をすり減らすこれは、相応以上の力を持って戦場を支えてくれる。
「Gyoaaaaaaaaaaaa!」
「第一波来た、回避っ」
クリフォトが吼え、その手足を我武者羅に叩き場を乱す。普通ならば何が起きているのかも分からない攻撃だが、先ほど掛かった効果のお陰でなんとか目視確認と共に回避行動が行うことが出来る。
異常ともいえるこの動きのカラクリは、暫くの間この場にいる仲間全員に速度上昇を寄付する調律効果、制御は難しいがこうでもしなければ次の攻撃に耐え切れない。
叩き伏せ攻撃のカウントは十秒、ギイがまたこけそうになったが何とか持ち直したのをみてエドガーが安堵しているのが見える。対して捕喰者は立ち位置の関係上、さほどこの攻撃が届かない位置にいる。だがそうである以上必ず全て避けなればならないのが中々に精神磨り減る。磨り減ったがなんとか攻撃を全て回避し、開始から二十秒が立つ。するとぴたりと手足の攻撃が止まる。
「エドガー俺に合わせろっ」
「貴様が合わせろ私に合わせろ!」
残り十秒でとにかく削り飛ばすぞと最大火力を誇るギイと、彼からタゲを奪われないためにエドガーが直接クリフォトの顔面にそれぞれの得物を叩き付けると、クリフォトがその傷みに悶えるように悲鳴をあげながらその大きな身体をひねりうねらせる。
その最中にも捕喰者はクリフォトの右肩へとのぼり、肩と腕を接続する精神目掛けて鋸鉈を振り下ろす。五秒間で三撃、遅いほうだが充分の数を引き千切れたはずだ。
「第一波突入三十秒、パブ飛ばすぞッ」
アーサーの声がトリガーとなるように各自の目の前に緑色の陣が浮かぶ、それをためらいもなく割るように潜れば、クリフォトの毒や弱体の効果を跳ね返す力が一時的に宿る。一時的なものだけあって効果の他に副作用も大きい、相当な重力の重みを感じるあたりアーサーの調子は完全なフルスロットルだ。
そして予測どおりにクリフォトが大きく息を撒き散らす、その息の中に既に液体が混じっているがいまやそれはアーサーの調律効果によって打ち消されている。あの息をまともに受けてしまえば重度の呼吸困難やらなんやらを受けて壊滅確定だ、本当に調律様様である。
大荒れの戦場はクリフォトの吐息で視界が悪くなり、状況把握がさらに難しくなる中でクリフォトは動く。あえてノーマークだった左腕を持ち上げ、ある一点に向けて振り下ろしてきた。その一点に立つのはアーサーだが、瞬時の判断でアーサーの前にギイが立つ。
「うぉおおおおおおおおおおおッ!」
「Gaaaaaaaaaaaaaaaaaaaッ」
あまり体力に自信がないと語った彼だが、寸でのところでそれを押し返すことに成功を収めた。ギイの後ろに立つ形になったアーサーは瞬間的に彼へ活力回復の調律を施す。
まるでタンクとヒーラーの両方を同時にこなしているように見えるが実際そうだ。
ギイがクリフォト相手に大立ち回りを演じる最中でも、エドガーと捕喰者はとにかくクリフォトにダメージを与えることに集中する。担当している部位破壊まであともう少し、だがあともう少しと言うところでクリフォトが右腕を振り上げてしまう、欲は禁物、潔く捕喰者が下がるともう一撃アーサーへ向けてクリフォトの拳が振り下ろされた。
しかし、拳が振り下ろされた先には誰もいない。二撃目も読んでいた、既にアーサーとギイは左右にばらけ回避している。
回避行動の中でさえアーサーは調律を途切れることなく行い、ギイは通常速度に戻った足でもうクリフォトの左腕へ接近、攻撃を再開している。
こちらも負けてはいられない。とにかく右腕を削りきらなければ。
「六十秒リジェネレート掛かった、ぞ」
開始六十秒、開幕とそのあとに掛けられた効果の副作用が重なって表面化するところだが、その前にアーサーが調律によって無効化が掛かる。その名の通りの効力だが無限に回復が掛かるわけでもない、時間も短いが無効化が掛かるだけで充分だ。ラストまであと六十秒、集中も加速していくがそれと同時に注意も散漫になる時間だ。
しかしアーサーが苦しげな声を出す、何事かとちらりと視線をやると、そこには吐血して今にも倒れそうに真っ青になっている彼がいた。大気の振動が予測よりも別の波を生み、金属音のような不快な音響を作り出す。クリフォトからの直接的な調律妨害が始まった。
こればかりは庇うこともできない、アーサーのみで耐え抜くしか対処法は存在しない。
「Gyaaaaaaaaaaaaaaa!」
だが妨害の妨害ならば、出来る。
捕喰者は右腕の切断を一時中断し、クリフォトの巨体を駆け上りその大きな首筋へ鋸鉈の背を叩き付けた。妨害音が解ける、遠くにたつアーサーから「助かった!」と声が飛んできたのを確認し、捕喰者はすぐさま割り当てられた役目を果たすために持ち場へ戻る。
そして今のうちに状況確認だけでもしておこうと思ったのか、ギイがアーサーへ確認を飛ばす。
「アーサー、調律進行は!?」
「第三障壁突破した、残り四枚」
「オッケー最高記録だっ」
基盤譜面の再調律を行うに当たって元々の譜面そのものの障壁を突破しなければならない、しかも国を支える重要な機関だ。そう安々と介入を許すはずもなく障壁は七枚となっていた、だがそのうちの三枚を突破したあたり今回は相当調子がいい。十回も繰り返したことで障壁パターンが見えてきたのかもしれない。
しかし意外なことに、調子がいいのは向こうだけでもなかった。
──あと三本。
捕喰者は大きく鋸鉈を振り下ろし、がちりとした手ごたえを確かに感じる。骨と骨の間に食い込んだ鋸鉈を全力で引き上げれば、それと同時に右肩と腕を繋いでいた精神の糸が刃に絡まり、千切れた。ふつりと切れたそれは大きく音を立て、クリフォトはさらに夜空へ叫びを上げる。衝撃と共に落ちたクリフォトの右腕はもうぴくりとも動くことはない。
目の前に集中しきっているエドガーはともかくとして、ひとまずアーサーたちに「右腕削ぎ落とした」と伝える。アーサーのグッジョブが聞こえ、それを合図に捕喰者は本体を削っているエドガーへの加勢にシフトする。着実に飲み込まれた基盤譜面が引き剥がされつつあるが、あと一歩のところで基盤譜面がクリフォトの中へと食い込んでしまった。足掻いているのだろう、だが邪魔な肉は削り飛ばすだけだ。
「百二十秒リミットカット開始! このまま押し切れ!」
「ラストスパートじゃあああっ!」
残り一分。ギイが左腕の行動妨害を中断し本格的にクリフォトの削ぎ落としに移行する。
途中危ない場面もあったがここまでかなり順調に進んでいる、あとはラスト三十秒の発狂攻撃を耐え抜くだけだ。十秒単位で動き回るこの戦いもようやく終わりが見えてきたが、まだまだ油断は出来ない。
抉り出すように振るわれた鋸鉈が、ふいに宙を切る。急激な焦りが精神に重く圧し掛かる中、予定外の事象が目の前で起きる。
「Aaaaaaaaa──ッ」
突然クリフォトが真っ黒になった。
こんなこと今まで一度も発生しなかったからこそ、思わずとも思考は噛み合わなかった歯車のように鋭い音を立てて止まってしまう。
だが、その停止は思ったほど長くは続かなかった。
──銃声。
アーサーの持つ狙撃銃が、真っ直ぐにクリフォトを打ち抜いた音だ。
「ラスト持ってけ、シャムロック!」
背を押す言葉が食い刺さる、その言葉の意味や真意を考える以前に捕喰者の体は動いていた。