常闇。
「どういうことだ……」
キャメラルドを見下ろす丘からのぞく風景は、至って異様というべきだろう。
かつては夜空の洪水とも呼ばれたキャメラルド城下町にその面影はなく、黒々とした瘴気が街の隙間に入り込み、じわりと街の色を灰色よりも深い色へと染め上げつつあった。
かすかに灯る街灯が頼りなさげに照らす暗闇は、意識でもしなければ視界が認識することさえ難しい。さらに、キャメラルドの特色といってもいい「空の騎士」たちの姿は常闇に包まれた開けた空には見えず、孤独と孤高に削ぎ殺された低温の街と化していた。
しかしその街の複数個所から煙と思わしきものがあがっていることから、辛うじてそういう騒動が起きるだけの生物はいるようだが、それでも何もかもが異様でしかない。たしかにこれではあの言伝を運んでいた騎士たちの様子も分からなくはない。平和な空間からこのどん底、普通の人間が耐えられる変化ではない。
「星がもぐもぐー、ってなってるよ」
ニィナが空を指差して呟く。
その先へ目線を飛ばせば、まだ辛うじて輝いていた星が何かに喰われる様に黒へ塗りつぶされてしまった瞬間を見る。
「否定しようがねぇな」
ロトもその瞬間を見たのだろう、超常的な現象に言葉を無くしているようだ。
立ち止まりかけた思考を感じたのかアーサーが「ひとまず街へ降りよう」と皆の背中をかなり強引に押す。ニィナは何故かロトの外套を引っ張り、「ぼうけんだー」と張り切っている様子を見せた。捕喰者もこんなところで立ち止まっている場合ではないなと強張った身体を背伸びでほぐし、街へ続く階段をおりはじめる。長く緩やかな階段をおりながら、まずどこに向かおうかと四人は考えをさっさと纏めを開始する。
「とにかく当面の最終目標はキャメラルド王城だな、あそこなら……」
目標を確かめるように目線を動かしたのだろうか、キャメラルドの王城を見たアーサーの表情が唐突に凍りついていた。何事かと釣られて捕喰者が王城に目をやると、まさかと思うほど巨大な影が覆いかぶさる姿を目にしてしまう。
一瞬の印象だけで心臓に針が刺さるような感覚、目線を逸らすことも出来ずに見開いた瞳がさらに情報を脳裏に殴りこみ、持ち前の冷静さは今回の場合逆刃の殺意に変わる。
城の先端に絡みつく大きな軟体生物が、白い肌をぬめらせながら不気味に足のような器具をぐねりぐねりと蠢かせ、その軟体生物の目と思わしき黒々とした三つの宝玉が、ぎろりと此方を見たような気がした。
──再起者、クリフォト。
視界に入れるだけで吐き気と寒気と頭痛と眩暈がカルテットで噴出すような、おぞましい魔者の領域を超えた化け物。
……油断していた。捕喰者は小さく舌打ちを打つ。捕喰者としてはあの再起者を見るのは二度目ではあるが、いや、まさか二度目を拝むことになるとは思っていなかったのだが、これは暫く眠れなくなりそうだと憂鬱からくる頭痛が脳漿をがんがんと打つ。
しかし今はそれどころではない、アーサーにはあれが見えているのだろう。随分と普通ではない感性を持ち合わせているような気はしていたが、まさか本当にそうだったとは。それでも硬直に留まっているだけ精神は鍛えられているのだろう。初接触で発狂した捕喰者からしてみれば、相当の驚きだ。
一方、それらが見えていないらしいロトとニィナは首を傾げている。一番見えてほしくない二人が鈍感でよかった。
「アーサー、見えているようならあまり見るな」
「幻覚ではないのか」
「幻覚ではない、私はアレに一度殴られた」
「うん、殴られないことを祈るわ」
まさか向かう先にあんなものがいるとは思っていなかったが、寧ろそうだったからこそ、余計に城に向かうことに関しては即決だった。
/
街へ降りてすぐに見つけた関門の塔に忍び込み、遠目にだが高所から様子を見る。
常駐しているはずの騎士たちの姿はやはりなく、蔓延っているであろうと踏んだ腐敗者の姿は未だその姿を見せない。
黒鋼のバリケードを解除し、急ぎながらも慎重に塔を登る。隙間から通る風がいやに生温く、つんと鼻腔を響かす鉄の臭いが気分を鈍らせる。
「ひでぇ風だ、どこもかしこも血のにおいばっかしやがる」
此処まで来るまでにも思ったが、ロトは五感が異様に優れているらしい。
窓というモノが襲撃によって破壊されたらしい現段階の最上階にたどり着くなり、彼はぐええとわざとらしく舌を出して精神磨耗を訴えている。
そんな様子に捕喰者はあることをふと思い出し、保護対象へ確認を取る。
「ニィナ」
「ケモノきたらたいへん、かも」
気を抜かないほうがいい、当たり前のことだが。
はたから聞いて意味も汲み取り辛いそんな会話に、アーサーとロトは何も言わなかった。今までもニィナの正体について一言も言及してきていないあたり、踏み込んでくるつもりはそんなにないらしい。初対面であれだけのことをやったというのに、本当によく動じない人だ。
「んー……」
アーサーが思いついたように割れたガラスの陰に隠れ、上空への目視確認をしだす。
何をやるつもりなのだろうかと何も言わずに眺めていると、何かわかったのだろうか、悪戯する子供のような表情を見せる。
「カリバーン」
そうアーサーが呟くと、彼がつけていたイヤーカフが狙撃銃の姿に変化した。……変化した。あまりに自然に行われた現象に対し、驚きを隠せない捕喰者とニィナにアーサーは苦笑し「武器形態切り替えみたいなもんだ」と一応と言わんばかりに説明を付け加えた。形態切り替え、という領域ではないとは思うのだがどうなのだろう。
唖然とする捕喰者をよそに、アーサーは慣れた様子で伏射の体勢を取った。銃口は城の上空を指しているようだ。
「ちょっと探ってみるわ」
一応耳塞いどけ、主にロト。注意喚起に促され皆はすぐに両手で耳を塞ぐと、それを確認したアーサーが狙撃銃に何か呟いた。少なくとも捕喰者の耳では聞き取れない音、人間が出せる音ではないように思えるものを発言として、彼は迷いなく空に向かって引き金を弾いた。
だが不思議なことに発砲音はせず、弾丸は綺麗な筋を描きながらキャメラルド中央まで届き、そしてまた音もなく弾けてしまった。消しきれなかったのだろうか、わずかな火花が消えてしばらくすると、アーサーが顔を上げ「もう大丈夫だ」と親指を立てる。
「ロデグランス王は生きている、先遣隊も到着したようだ」
確信めいた言葉が肯定を吹き飛ばして彼の口から流れ出す。捕喰者が「今ので分かるのか」と純粋にたずねれば、アーサーは先ほどの行動の意味をあっさりと教えてくれる。
つまるところ、先ほど撃ったものは広範囲に及ぶ索敵弾だそうだ。詳しい原理などは企業秘密といって説明はしなかったが、とにかく範囲内に何がいるのか、というものをざっくりと索敵する「技術」だという。
「とはいってもいるって分かるだけで、詳しい場所まではさっぱりだ」
それに結果情報がここにしか入らないのも欠点だな。とアーサーは自身の頭を指差して言う。いいや分かるだけで充分凄いと思うのだが、凄すぎると思うのだが。そんな様子にロトはマイペースに「オーグニーのレーダーのほうがもっと上だし」と拗ねるようにぼやく、拗ねるところ、そこなのだろうか。
「ただ、街の住人が一箇所に集められているみたいだ」
「避難所ではなく?」
「感情の波からして違う気がする、どうにしろ城には行かないとな」
ロデグランス王の生存を確かめられただけ上々、ということなのだろう。確かに現状では情報がとにかくない、そろそろ移動をはじめようかと思った矢先にロトが「城まで行くんだったら地下水道進まね? 地上は臭いがきつすぎる」と提案する。
ここまで発展した街ならば地下水道ぐらいあるだろうということか、確かに大規模な地下水道が張り巡らされてはいる。下れば相当のショートカットにもなるだろう。アーサーも「変に正面突破するよりかはマシか」と地下水道行きに賛同した。
「ちか? たんけん?」
「おぅそーだな、探検だぜ」
「やった!」
おーいニィナ、何故そんなにロト王に懐いているんだ。
そんなことはさて置いて、捕喰者は実を言えば一抹の不安を抱えていた。
「(キャメラルドは機銃のシマのはず)」
このキャメラルド王国に常駐し、人知れず腐敗者を狩り続ける機銃の捕喰者。この土地に辿りついてからというもの、気配と言う気配も全くみせていない。
鋸鉈の捕喰者は依然として何も姿をみせない空を見上げる。
──なぜ、空にいない。
その翼、折れる理由がなかろうに。