召使。
長らく下水道で生きてきたアーサーにとって、この王城での暮らしは非常に戸惑う事が多い。
どうしてと問えば、皆口をそろえて「王族とはそういうものなのです」。いや、そうなのかも知れないが、細かい事を押し付けるのはどうにも性に合わない。これはもはや体質といってもいい。ほぼ無意識に食器を片付けるし、自分の部屋だって自分で掃除するものだ。全力で庶民体質だ。というか、身の回りの事は極力自分でやっておきたいのだが……。それをしてしまうとやっぱり怒られる。頼み込んで着替えだけは自分でさせろとそれだけは通したが、これ以上ワガママをいっていいものか。
ぐるぐる考えながらアーサーは私室の扉を開けると、そこには小さな影が。
「うわあっ!?」
「うおぉ!?」
どすん。小さな衝突音が響いた。
小さなものではあったが、予測できない衝撃にアーサーは思わず尻餅をついてしまう。
「なんだ……?」
ゆらゆらと視線を漂わせると、そこには十歳ぐらいの女の子が同じように尻餅をついていた。服装からして召使いたちの一人だろうか、だがアーサーの知る顔ではなかった。また新しい人だろうか。じっと眺めていると、その召使いは慌てて立ち上がり速攻で土下座の体勢に入ってしまった。
「ご、ごめんなさい!! 怪我はありませんかアーサー様!!」
「あ、あぁ、大丈夫。大丈夫だからその」
「本当にごめんなさい! どうかクビだけはご勘弁を!!」
床にめり込むんじゃないかと思うぐらい頭を下げ続けられては、物凄い心が痛むというもの。大体、アーサーにはこんな些細な事でクビを飛ばすという発想すらないのだ。そこまで怯えられると逆に対応に困る。
アーサーはふらっと立ち上がり、召使いへ手を差し伸べる。
「俺はそこまで極悪人じゃないから安心しろ、怪我はないか?」
召使いは顔を上げると、戸惑ったように目線を泳がせた。
「え、あ、あの……ボク……そんな恐れ多い」
「触っても死なないからな、ほら」
「……はい」
召使いは震える右手でアーサーの手を握る。
「──ごめんなさい」
するとそのままその手をとんでもなく強く引っ張った。
アーサーは突然の事に対応できず、そのままもっていかれる形になってしまう。声を上げる暇もなくバランスを崩したアーサーへ、召使いは左手に構えていたらしいナイフを大きく突き出した。だが、その刃がアーサーを捕らえることはなかった。
「アタシのアーサー様に何するつもりだったのかな?」
カリバーンが魔力でナイフを叩き折ってしまったのだ。召使いの少女はその現象に酷く驚き、怯え、がたがたと腰を抜かしてしまった。アーサーの思考はいまだ現状を把握しきれずに、そこでただ呆然と立ち尽くしているだけだった。カリバーンはふわりと姿を表し、カツカツと音を立てながら召使いの少女へ詰め寄っていく。その顔をアーサーはみることはできないが、召使いの少女は一層怯えているように見えた。
「ひぃっ! あ、あの、ごめんなさっ」
「何をするつもりだったのかな?」
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
「……ねぇアーサー様、こいつ殺しちゃっていい?」
振り返るカリバーンの右手には、先ほどへし折ったナイフの断片が握られていた。笑顔に張り付いた滲み出る冷酷な殺意、アーサーは本能でこれをよしとしてはいけないと判断する。確かに危なかった。危なかったが、殺しはダメだ。絶対にダメだ。カリバーンに殺させてはいけない。
「ダメだ。ひとまず話を聞きたい」
「はぁーい、拘束しとくよ。どこで話をきく?」
「騒ぎにしたくないからな、部屋でする」
「りょーかいです、アーサー様」
カリバーンは慣れた手つきで召使いの少女を拘束すると、そのままアーサーの私室へ連れて行くのだった。
*
「とりあえず、名前は?」
「……エイト、です」
腕を拘束し椅子に座らせられている召使いの少女は、怯えながらもその質問に答えた。
エイトという名前を聞いたアーサーは、改めて彼女を観察する。肩につくまで長い茶髪、身なりは整っているが首などに多くの傷がある。だが何より印象的なのは、匂い。土の、血の、染み付いた獣の匂い。それが何なのかアーサーはすぐに気がつくことができた。
──見たところ、亜人か。
かつて下水道に生きていた頃、何度も世話になったことがある。人ならざるもの、追いやられたものたち。そんな彼らにかつて鼠のように生きていたアーサーは救われた。エイトは上手くその亜人の特徴を隠しているが、分かる人には分かるのだ。
「誰の命令でアーサー様を傷つけようとしたのかな?」
空中に漂いながらカリバーンが問えば、あからさまにエイトは恐怖を示していた。その様子を見かねてアーサーは「加減してやってくれ」と頼むと、カリバーンは渋々といった風に笑顔をやめた。だが、それでもエイトは言うか言うまいか困っているようだった。余程、危ない者からの命令なのだろうか。
「……エイト、俺はあんたを殺す気なんてさらさらないし、寧ろ守るべきだと思っている」
亜人は、できれば助けたい。
私情しかない理由だが、それでもこの先きっと手を貸すことになる。貸してもらうことになる。アーサーは直感する、この子の首は守るべきだ。今はわからないかもしれないが、きっと必要になる。
「言ってくれるだけでいい。そうすれば、あんたをちゃんと保護できる」
その言葉にエイトは戸惑った様子をみせたが、俯き、ほんの少しの静寂の先で彼女は口を開いた。
「ボクの雇い主は──」
だが、それを遮るものがあったのだ。
「アーサー様!! 大変です!!」
私室に飛び込んでくる騎士の声。それにカリバーンが対応する。すこし話を聞くと、カリバーンはふわふわと戻ってきてこう伝えるのだ。
「アーサー様がアタシと出会った街、覚えてるかい?」
「あぁ」
「そこが襲撃を受けたらしい、相手はオーグニーのロト王だ」
ガチリと、何かが動き始める音を聴いた気がした。