骨巣。
元来、捕喰者というものに同行者は必要ないとされている。
孤独に己をならしたものだからこそ、失うことによる損害を考えると同行者はいるだけ無駄だという結論がいやでもでる。しかし、この「鋸鉈の捕喰者」はそのセオリーに従うこともなく淡白な少女という同行者をつれていた。それも、だいぶ昔から。
理由経緯様々あるモノの、一番の理由といえばこういう状況下でもっとも危険な存在が誰かということから答えることができるだろう。
「……けもの、殺すッ」
悪魔に変化した少女の腕が、アーサー王の首筋に宛がわれているこの状況。鋸鉈の捕喰者は流石に自分の首が飛ぶのではないかと心配になるのだった。
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さて、そんな修羅場になる前まで時計の針を戻そう。
前略とまでは行かないが、鋸鉈の捕喰者はとにかく困惑していた。
偶然助けることになったどこかの騎士に、火急の言伝を託された時点で相当混乱と困惑に苛まれていたのもそうなのだが、雨風の中現れた鋸鉈の捕喰者からの言伝をあっさりと信じた──騙したというわけではないが、たったの二つ返事で本物だと確信されたときにはどうしたものかと思考が停止するほどだ。いっては何だが、捕喰者は不審者に見えてもおかしくはない格好をしている。煤けた爛れた外套、血でどろどろの黒帽子、さらには口元も隠している。それに悪天候でまともに顔も見えなかったはずだ。それなのに、信じただと。
この時点で鋸鉈の捕喰者は考えるのを止めたくなっていたわけだが、さらに困惑の波は襲ってくる。
王の間へ通されたのだ。
ことの重大性は理解され辛いだろう。本来こういった場合城内に通されることがあったとしても、大体が謁見の間であることが一般的とされている。しかし今回通されたのは王の間、部外者を立ち入らせるにしては格の高すぎる部屋である。何かとても妙というべきか、嫌な予感が纏わりついてはなれない。
案内されながらも胃痛を感じつつあった鋸鉈の捕喰者だが、そんなことは露知らず淡白な少女は珍しく目を輝かせながら城内を見回している。たまには保護者のことも考えてほしいと切に思う。
「……ニィナ」
今にも飛び出していきそうな淡白な少女の名を呼ぶ。名を呼ばれて彼女はようやくテトテトと鋸鉈の捕喰者の傍へと戻ってきた。
寄り添うというよりかはしがみつくような、そういう雰囲気に近いようにニィナは捕喰者の外套にすっぽりと包まる。いつもの、定位置というものだ。
ぽふんと捕喰者の外套から顔だけをだして、ニィナはそれでも目を輝かせて捕喰者の仏頂面を覗き込むようにしながら声をかけてくる。
「お城、ひろいね」
「……そうだな」
「おうじさま、いるのかなぁ」
「どうだかな」
ニィナの想像しているであろう王子様というやつは、一体どんなものなのだろうか。
そんな風に掛け合いをしていると、どうやら王の間に着いたようだ。ついたのはいいのだろうが、本当に通すのか。通してしまうのか。外見的に微動だしていないようにみせて、実はかなり動揺している捕喰者のことなどお構いなしに、重くきしむ音を立てて王の間の扉は容赦なく開かれる。
「──……、」
王の間には既に、というよりかは今辿りついたといった風体の少年が玉座を背後に佇んでいた。
──いや、少年ではない。そうかあれが、捕喰者は今までの経緯で研ぎ澄まされた直感で感じ取る、あの少年こそがこの国の王だと。
血の気のない青白い肌に餓えを経験したことがあるらしい瞳は、数度限界まで水を失った形跡を思わせる。餓えた、王。冒険者ほどの情報網を持たない捕喰者たちの間では、密かに餓王とも呼ばれている聖剣を得たブリテンのアーサー王が、幻影でもなんでもなくそこに佇んでいる。
捕喰者はふと気がつき、若干慌てて膝をつこうと体勢を崩そうとしたが別に彼にとって形のみの行動は関係ないのか、行動を遮るように王は言葉を投げかけた。
「腐敗者の襲撃から伝令を守ったそうだな」
守った、という表現であっているのだろうか。捕喰者はひとまず考える、ここはどう答えるべきか。しかし先ほどからの行動や空気を考えれば、考えるだけ無駄なのかも知れないという結論を出す。
形だけの礼儀など、彼の前では無意味だ。ならばいっそ普段どおりでもかまわないだろう、思い出せ、自分は誇り高き捕喰者なるぞ。
「……偶然だ。どうにも、そういうことになっていただけだ」
捕喰者を淡々と述べる。
アーサー王はその態度に対して特に思うこともなかったらしく、それ以上に此方へと歩みを向けていた。玉座に座ることもなく、ただ対等であるとでもいいたいのだろうか。彼は結局捕喰者の隣までやってきてようやく歩みを止め、こう問うた。
「お前、名は」
何を考えて名まで問うたのかは、今の捕喰者には考えることは出来なかった。ただ単純に記号としての名前を覚えたかっただけかもしれないが、とにかく聞かれて答えぬわけにはいかないだろうと捕喰者は辛うじて覚えている自分の名称を言葉に出す。
「ラッド──ラッド=シャムロックだ」
その名に聞き覚えがあったのだろうか、どうなのか。アーサー王は明らかな驚きを顔に表していた。しかしその驚きの意味も、捕喰者には分からず小さく首を傾げる。
しかしそれで気が逸れたのだろう、捕喰者の嗅覚に引っ掛かる臭いが感覚を掠めて通り抜けていった。嗅ぎ慣れたその臭いがなんだったのか、思い出す前に事はよからぬ方向へと転げ落ちてしまう。
「……けもの、殺すッ」
気がつけば前述のように、外套の中に隠れていたニィナが唐突に隠密状態を解除し、その変化した右腕をアーサー王へ向けていた。
状況把握が得意であると自負する捕喰者でさえ、この状況を理解するには数秒を必要とする羽目になっていたのだ。しかし状況はそう簡単に展開する気もなかったのだろうか、その理解するまでの数秒間は、動かずにいてくれたのが不幸か幸か。どうにしてもあまりよろしくない状況ではあった。
腐敗者にそっ首叩きおられるぐらいの覚悟はいつでも出来ているのだが、人にそっ首落とされる覚悟は必要ないとも判断していた捕喰者にとって、これ以上の対人的危機はないと考える。
ニィナは、宿においてくるべきだったか。そんな後悔積もる中、アーサー王はある意味では突飛でもない発言をした。
「シャムロック、言伝の件で疲れもあるだろうがそれを承知で頼みたい」
なんだって?
疑問府を生成する弾を剛速球で叩きつけられる感覚を捕喰者は感じ取っていた。
「キャメラルドまでの同行依頼、受けてくれるか」
──この状況で依頼の話をするのか!?
困惑により硬直時間に入ってしまった捕喰者は、何事もなかったように依頼内容を簡単に説明するアーサー王の声がまったくもって聞こえてはいなかった。
思わぬ行動と発言に流石のニィナも「どういうことなの」と言わんばかりに捕喰者へ視線を飛ばしている、捕喰者は首をかすかに横へと振り「分からない」と伝えるが、まさにそのままだ。そう本気で今の状況が分からない。分からないことしかなくどこからどこまで把握しきれていないのかすらも分からない。
──どういうことだ、これは。
問答無用といった風なのか、まともに聞くことも出来なかった依頼内容に捕喰者はイエスとしか頷く事が出来なかった。