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導師アーサーの憂鬱  作者: Namako
05:自裁哀歌。
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讐鬼。

 この教会に固有名詞はなく、それ以上に何を信仰していたのかさえアーサーはよく知らない。

 ただ飢え苦しんでいたモノに手を貸すことはなかった、それだけの一方的な悪印象が強くこの場を遠ざけている。しかしこの教会の門を潜ることは無くとも、この周囲には何度か足を運んだ覚えがあった。感覚がこの場所の地形を覚えていることからこれは確信していいだろう。


「懐かしいな。裏の、まだあるんだろうか」

「裏の?」

「ここの裏の下水道に孤児たちの住んでた場所があったんだ」


 同じスラムの少年がその子たちの世話をしていた。今思えば結構いい奴だったな、子供たちのこと結構気にかけてたし子供たちを護るために軽く命を張っていた。俺はあの時彼を狂人だと称したけれど、今思えば狂っていたのは自分のほうだったように思えてくる。いい人だった、いいヤツだった、彼、今は元気にしてるだろうか。それとももう死んでしまっただろうか。


「孤児たちって……スラムの」

「あぁ。」

「そう、なんだ」

「スラムが珍しいか?」

「珍しいってわけじゃないけれど、スラムがうまれる環境が理解し辛い、かな」

 

 ほら、僕田舎育ちだし。とアハハと手を振りながら答えるセージュは、その柔らかな笑みをすぐさま真面目に硬直させて率直な困惑を見せた。セージュは元々島の村出身らしく、村の根本的な人口も少ない。「村だとみんな家族って考えだったから」と言う言葉がその村の平和を物語っている。

 人が溢れれば、篭に収まることができない人も増えていく。群れるとはそういうことなのだろう。


「……外がこんな寒々しい世界だなんて、思ってなかったなぁ」


 まるで冬の海みたいだ、と零した表現には流石のアーサーも同意する。冬の海は人を平然と殺す、生かすのは小さな同胞のみ。体感した水の温度は生まれてきたはずの水の温もりを吐き捨てられるほどに冷たく、喉元を引き裂くほどに熱く、直視した世界はきっとこういうものなのだろうと当時は感じていた。

 群れから爪弾きにされた人間にとっては随分寂しい話だと思う。


 ──冬の海、か。


 呟くようにぼやいたため息は、気温の効果を受けて白く表現化しては風に掻き消えていく。煙よりも息の短いそれは、なんだか寂しく心に針を刺した。


「僕はこの周辺を散策してくるよ、区切りついたら合流してもいいかい」

「それは構わないが、またフリーラン?」

「うんフリーラン」

「好きだねぇ……」

「そんじゃ、また後で」


/


 荘厳な空気に沈殿する女神像が、ステンドグラスから落ちる淡い夜闇の光に照らされて来るものに微笑みを投げかけている。

 初めてとまではいかないが、滅多に入ることもなかった聖堂の空気にアーサーは圧倒されていた。

 息を削がれる寒さも気にもかけず、たんたんと足音を響かせながら進んでいくと女神像の前にシスターがいることに気がついた。


「今晩は、ラッドさん」


 シスターは此方に振り向くと、そんな懐かしい名で呼んでくる。

 ラッドという名は、アーサーがアーサーという名で固定化する前まで使っていた仇名……というより呼び名だ。その名を知っている人はもういないと思っていたのだが。この街ではそんな時系列でさえ無視してしまうらしい、性質が悪いというべきか懐かしさを掻き立てるというべきなのか。


「こんばんは、シスター。お祈りの途中でしたか」

「いえ、心配なさらずとも今区切りがついたところですよ。ところで、探し物ですか?」

「あ、えぇと、探し物というか探し人というべきか」


 もっというなれば、目標探しのような気がしないでもない。

 ここに彷徨いついたのも、結局は目標が分からずに右往左往するのが嫌だったからだ。何か指針があればきっと迷わずに歩いていける。依存気味だが今はこれしか歩く術をしらないから、どうしようもないのだ。

 

「探し物ならば、じきに見つかりますよ。場所はまだまだ遠いですが」

「え? あの、シスター?」

「ほら、あなたにお客さんが来ましたよ」


 まるで食い違う会話が勝手にすすみ、勝手に収束するとカタンと後ろで音が響く、きぃと小さな音を立てて開いた扉から飛び込んできたのは小さな影だった。小さな影は此方に気がつくと、ずかずかと荒々しく近寄ってくる。距離が狭まるとそれが幼い少女の姿をしていることが分かる。


「なぜお前がここにいる」


 しかし、幼い少女にいきなり指を指され怒鳴られる衝撃は半端なものではない。

 たたきつけられた衝撃はこいつは誰だとか名前を問うという選択肢を余裕で吹き飛ばし、ただぽかんと口を開けることぐらいしか出来なくなってしまう。言葉にもならない言葉で狼狽していると、少女はその右手に構えていたのか小さなナイフをこちらに向けて、ぼそぼそと呟く。まるで言い聞かせるように。

 その言葉は、不幸か否かアーサーの鼓膜にもしっかり届いてしまっていた。


「お前のせいだ、お前のせいで姉さんが死んだんだ」


 ぎっと睨みつけられたその眼光には、明らかな害意と殺意が入り混じっていた。嫌われている、憎まれている、統合するなら憎悪という名が相当するだろうか。混じりっ気満載の悪意をたたきつけられ、思わず一歩後ずさる。

 すると少女は今だといわんばかりに飛びかかってきて、体重的にもおかしいはずのバランスがなぜか必然的に崩れて押し倒されてしまった。


「──ッ!」


 目にナイフを突きつけられ、息を呑む。普段ならすぐに吹き飛ばせたはずの少女が、どうしても強引にどかすことが出来ずにいた。

 なにせ彼女は知らない子、ではないような気がしたからだ。

 雰囲気は多少違えど似てはいて、何よりもその銀色の美しい髪が、どうやってもどう意識してもカリバーンが重なって見えてしまう。よく似ている、外的部分全てがという訳ではないが、よく似ていると思った。

 そんな少女から全力でたたきつけられた言葉が、また思考に歯止めをかけていく。嘘ではない本物の、叫び。怨嗟とはまた違う何かの声。


「お前さえいなければ、───姉さんは!」


 どうしてだろう。


「お前さえこなければ、【───】姉さんは死ななかったんだ!」


 一番聞きたい名前の部分が、どうやっても聞き取れない。

 ナイフを突きたてようとしたのか、大きく腕を上げた少女はその手を振り下ろすことが出来ずに、そのまま立ち上がって後ずさると、風船が割れてしまったように泣き崩れてしまった。

 何が起きていたのかも分からないままアーサーは立ち上がるが、その少女の声にひっかかりを感じて記憶を引きずり出そうと頭蓋を叩く。

 何か思い出せそうだ、何か、思い出さなきゃいけないはずだ。この少女のことを知っている気がする、この少女が言っていた姉さんという人物も、思い出さなきゃいけない。はずなんだ。

 しかしそれでも思い出せない、どうやっても今の状況から動けないようになにも引っかかりはしない。取っ掛かりが勝手にしまわれてしまったのか、それとも見当違いのところを巡り巡って考えているのだろうか。それとも、そもそもその道へのいき方を忘れてしまったのか。

 

 ──記憶が欠けている。


 直感が掠めた異常現象に、戸惑うことは不思議となくて。どちらかといえば焦りのほうが走り出していた。

 取り戻さなければ、取り戻さなければ。思い出さないと、きっと会えない。

 ぐるぐる回って目を回す思考に身体の操作権を奪われていると、鞭を打つかのように鐘の音が鳴り響く。ふとあたりを見渡すと少女の姿は既になく、あたりは荒れ果てた聖堂と化していた。どうやらいつのまにか夜が明けてしまっていたらしい。

 

「……捜せ、ってことか」


 自覚を経て得た指針が、杭の様に心臓に食い込んでいた。

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