奇夢。
レイスという同行者と共に歩く故郷の街は、一人で出歩くよりかは幾分ましな雰囲気を捉える。
ふわふわと微かに落ちてくる白い綿、不思議と煩わしさを感じさせない冷たさは懐かしい雪と言う現象だった。
雪はいい思い出といやな記憶を同時に思い出させる、暖かな思い出と、死に掛けて凍えた記憶。相対的に反響する事象の残りカスは精神に芯を通すと同時に疵をつける。
「なぁ、レイス」
「なんだいアーサーくん」
ふと思い出したようにアーサーは振り返り、背後霊とも呼べるレイスに純粋に問う。
「あんた、何で此処にいるんだ」
恐らくこの空間は普通ではない、虚構までは行かないかも知れないがとにかくまともな場所ではないはずだ。
レイスはあーやっぱり聞くよねぇと少々困ったように表情を引き攣らせる。しばらく考えたところで、レイスは随分と歯切れ悪く答える。
「強いて言うならアーサーくんを迷子にしないため、だなぁ」
「……あ、拳銃の弾落ちてる」
「アーサーくん、まさかそれで私を撃とうとかそういうバイオレンス極まりない考えとかではないよね?」
「拳銃拾えたら検討しよう」
「アーサーくんが出会った当初から冷たい」
「死んでるからな」
「あそこの自販機でホットコーヒーでも買おうか」
「あれ壊れてるぞ」
「やーん」
「や、やーん?」
唐突の奇妙な声と共にレイスはすっと道の先、ある路地の入り口を指差す。なんだなんだとアーサーは眺めていると、そこから何か、動物の頭蓋を被り黒いローブを羽織った奇妙で不気味な生物がずるずると這い出てきたのをばっちり視認してしまう。
視界に入れただけで気が逆立つような、おぞましい印象を垂らしながら歩くその生物は、どうやら此方へ向かってきているようだ。
「逃げたほうがいいよな」
「だねぇ。ヒカキボルグもないからねぇ」
アーサーは若干心の中で舌打ちを噛ます、目的の港まではあともう少しだったのだが。まさかこんな妙なものが出てきてしまうとは。
焦る心情を押さえつけながらもアーサーは物陰に隠れるように別の裏路地へ飛び込む。裏路地の構造はわりとよく覚えているし、なにせよく使っていたからそれほど戸惑う選択ではない。が、まさか予想できただろうか。
「ちょ、え!?」
その先に地面がないことなんて。
ぐらりとバランスを失った身体は結局重力には逆らえない、アーサーは嘘だろと思考を加速させながらも何とかもがくが、当然手は虚空を掠めて何もつかめずに身体はあっさりと暗闇に落ちていく。「あんれまっさー」と気の抜けたレイスの声と、アーサーの本気も本気の叫び声が重なって路地裏の闇はあっというまに視界を塗りつぶしたのだった。
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比較的アーサーの旅は落ちることの多い旅のようだということは、もういい加減に自覚しているつもりだったが流石に落ちすぎなんじゃあなかろうかと切に叫びたい。
全身を打ちつけた痛みで意識は目を覚ます、頭がくらくら眼球の中に火花が散っているが、とりあえず未だこの身体はしぶといらしい。
「いたた……」
「大丈夫かぁいアーサーくん、随分めりっといってたようだけど」
「あんたはまったくもって無傷だな」
「背後霊なんでね」
「消耗して成仏すればいいのに」
「そうなったら私はアーサーくんひきずって地獄に落ちるよぉ」
「おじさんと地獄に行くくらいなら俺一人で成仏する」
「ひどいなぁ」
恨めしげににらみつけたとしてもレイスはどうとも反応しないのは、この数十分で分かりきっていたので特に何もしないのだが。ふらふらとアーサーは視線を漂わせると、まずその行動自体に後悔を押す。
「何だ、ここは」
噎せ返る、鉄の匂い。
どこを見ても鉄、鉄、鉄、伝うように流れる汚水の腐臭に生理的な嫌悪がノドの底からせり上がる。
不快、不愉快、不摂生。気分の悪い空間はひたすらに異形としかいえず。思わずとも見開いた眼が嫌に世界を鮮明に情報へと処理していく。まるで本当の地獄のようだ。
「アンダーワールドですな」
「アンダーワールド?」
「見ての通り、こんな場所のことさね。さぁて、どこから手をつける?」
鉄と錆と汚水に満ちているとしかいいようのない、レイス曰くのアンダーワールドは恐怖に近いような、遠いような圧迫されるような重力が充満している。
こんなところに長くいたら気でも余裕で振り切れてしまいそうだ、どうにかして出口を探さねば。
「うえ、またいる」
「大人気だねぇアーサーくん」
「不名誉だ」
ところどころにさっきの化け物がうろついていて、今回は見つかるまいぞと隠れながら探索をする。
タン、タンと鉄を踏み足音がどうにも上手く消せないが、それでも強張る足を無理に意地で動かしたおかげか、なんとか生きている懐中電灯を拾うことができた。
しかしどうにも、妙な違和感を感じる。いやいや、今の状況は本当に違和感だらけでどうしようもないのだが、それ以上の漠然的な違和感が拭えない。肌がぱりっと強張るような、まるで風邪を引いたときのようなそんな気だるさ、疲労ともいえない微妙な圧迫感に息が苦しく、ふとアーサーは視線を空に向ける。
だが、そこにあるべきものが最初からないように、そこはただの闇しかない。
「夜になったのか?」
「空がないだけだろうね」
レイスの物言いに違和感を覚えながらも視線を徐々に落としていく。
何か梁にぶら下がっているのが視界を掠めた。距離的に見ればそんなに高くない場所だろうか、拾った懐中電灯の光をそのぶら下がっている物体に当ててみる。何かに布が巻きついているような、いや待て、これは。
若い少年の首吊り死体だ。
見ていて気分がいいものではないのは確かで、アーサーは慌てて目をそらす。レイスが想いっきりそれをガン見しているので叩いてやめろといおうとしたのだが、その前にまずまた奇妙な影が掠めたような気が。
「うわぁ!?」
そこにはいなかったはずの子供が、右手を何かを構えてこちらを見ている。
白いボロボロのフードを被っている子供からは表情が見えないが、どこか見覚えがあるような気がする。記憶に触るものがある、何だろう。頭蓋を引っ掻くような頭痛に揺られながらアーサーは問う。
「キ、キミは──」
声をかけたところで子供は急に背を向け、逃げていく。まるで化け物を見たように、どこへ向かうのかは知らないがそれはひどくはないか少年。
「ちょ、ちょっと待て! 何でここにってうおぁ!?」
本能的に追いかけようとアクセル全開で走り出そうとしたのが悪かったのか、何かにせき止められるように力が空回りして盛大に頭を床に打ち付ける。
思いっきりがこんと眉間をぶちあててしまった、頭が割れてなければいいんだが。
「い……ってぇ……何だってんだよ……」
「あー、何か踏んだようだねぇ」
「踏んだり蹴ったりにも程があるだろ……」
「トラブルに事欠かないなぁ、君は」
何とか起き上がって先ほどの子供が逃げていった方向をみるが、その先には板で打ち付けられた扉があるだけのようだ。どこへ消えたのだろうと考えていると、先ほど踏んでしまったらしいものが視界にとまる。
「何でこれがこんなところに」
随分と懐かしいものだった。
ふるぼけてズタボロになったうさぎのぬいぐるみ、大昔街で死んだ目をしながら生きていた頃に知り合いの孤児がお気に入りにしていたものだった。いや、もしかしたらただ似ているだけかもしれないが。
……?
知り合いだって? そんなものいただろうか。いやでもいたのだから懐かしいものだと思ったのだろうし、だから拾ったんだろうし、だからなにか感じたはずだ。
なんだか自分自身ですら既にチグハグになっているようで気味が悪い、もうなんだというんだ。やっぱりこの街にきてから何かがおかしい。
「アーサーくん」
「何だ」
「そこ、気をつけないと」
レイスの警告一歩遅く、アーサーはたまたま置いてあった箱の角に足の小指をぶつけてしまっていた。