XL。
「……ここ、何処だ」
暫定的にヤクト回廊と呼ぶ空間を抜けた先に広がる殺風景な広間に、少年は思わず困惑の声を零した。慣れない視覚にまとわりつくような生ぬるい空気、明らかに少年の目指している場所とは違う。写真で見ただけではあるが、少なくともこんな人工物溢れる場所ではないはずだ。例の場所は。
『どっか別のとこについちゃったみたいですねーちょー受ける』
耳元で騒ぐ相棒をギロリと睨むと、視線の先に存在する剣はまたカタカタと震え、『ロー君こわすぎー、つかタンジュンすぎー』と嗤う。
ロー君と呼ばれた少年は純粋な苛立ちに舌打ちする。こんなものならば喋らなければいいものを、随分と都合の悪い玩具になってしまった信頼できる相棒はやっぱりどうあがいても口うるさい。やれやれ面倒だなと、少年は取り合えずといった風にぐるりと周囲を見回す。
薄暗い色彩に目が逆に眩みそうだが、辛うじて見えた境界線を意識して眺めると大体の構造が見えてくる。やはり最初の印象どおり、ここは広間のようだ。奥に大きな扉があることから、この人工物の中ではそれなりの価値を持つ位置にいるのだろう。
それに足すように、少年は自分の知る世界を探る。
目蓋を閉ざして鼓膜に響いた音を確実に拾い、脳裏で情報に変換していく。踏み荒らされる足音、風が通る声、鼠の悲鳴、獣の唸る音、なにかの話し声、話し声は三つ、いや四つある。そのうち二つは少年の記憶の中に辛うじて存在を主張する声、それ以外の二つは全く知らない新参の声。会話しているようだがそこまでは読み取れない。しかし読み取れずとも、前者の声があることには驚きと喜びを感じた。同じ立場の者が、というよりも楽しい遊び相手がそこにいる。少年にとってはそれだけでまだ安心出来る要素だった。
少年は情報の変換を終えると、さらに空気の感覚へと意識を向ける。目的地は人智を超えたもので溢れる土地だと聞いている、ならば何か感じることができるはずだと確信染みた思考が情報の波を手繰り寄せる。
「……近いが、ずれたか」
認識するにおいてのゼロとイチの差は大きい。
感じ取った目標物を確認しながら、なんとか今の位置が目的地に近いということは理解したが、想像以上の大きな誤差に少年はため息をつく。数値的に把握していた位置への座標がほんの少しずれただけで、このザマとは。借り物の法則とはいえ、落ち着いたらコードを弄って自動修正のシステムでも考えるべきなのかも知れない。
さて、何をするか。
少年が首をかしげて考えようとしたところで、また背に乗りかかる相棒が口を開く。
『ロー君が出来損ないにご執心だから引っ張られっちゃったんですよーないわー、まじ引くわー』
「折るぞテメェ」
『きゃー、ロー君のイジワルーいじめかっこ悪いー』
「いじめじゃねえ調教だ。っと」
あれが出来損ないとは流石に思えないのだが、とはいえず少年はひとまず聞こえた衝撃に意識を傾く。衝撃に似た音はどうやら大扉の向こうからのものだったらしく、さらに細かく分析するとそれは咆哮と呼ぶべき声だった。続くのは忌々しい剣戟の歌声、何かが扉の中で起こっているという情報は明確だった。
「ははん、寄り道も悪くはねえな」
『まーた道草ぁー?』
「おもしれぇからいいだろ」
早まる意識にブレーキをかけることもせず、むしろ全力でアクセルを踏み込んでいく。木材で作られた古びた扉へ、一直線に駆け寄ればすぐさま足が出て扉という障害物を吹き飛ばす。
いままでこういった無駄な行為は好きではなかったが、今の両目を手に入れてからというモノこういった無駄な動きが純粋に楽しい。心の余裕が突き動かした身体はそのまま弾丸のように扉の向こう側へと飛び込んでいき、着地点から視覚が少年に見せた世界は最高の舞台だった。
「邪魔するぜぇ!」
思わぬ観客の乱入に驚いたのか、知る声の見知らぬ演者たちはぽかんと口をあけていた。
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前略、アーサーはわりと困惑していた。
状況把握をしよう、現在アーサーとミグは中枢区に位置する王間にてなんとか生きていたカリバーンを確保、何を思ったか逆上したイオフィエルとの戦闘が開始。説得なんてできる状態でもなく、イオフィエルはなんとドラゴンの姿に変異してしまった。激化する状況下の中、そろそろ真面目に逃げるという選択肢を眺め始めたところだったのだが、そこに一番いるはずがない存在がかっとんでやってきた。
え、死体かと聞かれた件はどうしたって?
正直なところ驚いたし軽く思考停止はしたが、むしろ好都合だと考えた。実感はないが本当にアーサー自身の身体が死体ならば、ある意味では生きている人間には出来ない無理だって通せるはずだ。何事も前向きに考えれば案外どうにかなるものだし、それ以上にこのことを教えてくれたミグに対しては感謝すらしている。
言い方はかなり荒れているかもしれないが、「自覚した狂人は強い」。自覚は、自己を肯定する最大の骨組みだ。無知でいるよか知っていたほうが動きも明確になっていく。
というよりかはショックを受けている暇があるなら動いたほうがいいという後ろ向きに前向き精神でクラウチングスタートをきめただけなのだが。
吹っ切れるって素晴らしい。
さて、そして今の状況に戻るのだが。
「待って、本気で待って、理解が追いつかない」
攻撃の手を止めてしまうほどのハプニングの元凶が「その声、杖持ちだな? なんだ、俺サマと対してかわんねーツラしてんのな」と緊張感のない声を発する。何の前触れもなく扉を蹴破って現れたのは、真っ赤な火緋色の髪をした少年だった。見覚えのある姿に、聞き覚えのある声。なによりもその手に携える炎を凍りつかせたような大剣は、見間違えるはずもない。アーサーの精神の均衡に触れるような雑音染みた最悪の地雷を持つ、できれば二度と会いたくはなかった人物。
「なんでロト王が此処にいるんだ」
ベンウィックで散々な恐怖をたたきつけられたその盲目の王ロトが、幻覚でも見間違いでもなくそこに立っているのが今のアーサーにはまったく理解できなかった。
暫定的とはいえ敵と認知していたはずのそれが、初対面のイメージとはかけ離れた状態での乱入。肩に乗るカリバーンもまた、今の状況を把握し切れていないらしい。わたわたと首を蠢かせている。ミグもロトの存在の異端さに気がついてしまったらしく「どういう……ことだ……」とただただ呆然とロトを見る。
視線に気がついたらしいロト王は、何かがおかしかったのかどうなのかケラケラ笑い出す。だが笑い出したことよりも、それ以上に「視線に気がついた」という行為がとにかく奇異だった。よくよく観察してみると、以前あったときに比べて彼の目は焦点をあわせているように思えた。何故? 疑問符が浮かび上がる。盲目の王、それがそうだったはずだというのに。
「たまたま通りがかっただけさ、心配すんな。今日はテメェと遊びにきたんじゃねぇ」
ロト王はその携えた大剣、コールブランドの矛先をアーサーたちではなく、その背後にたちそびえるドラゴンのイオフィエルへと向ける。どうやら本気でこちらは眼中にないらしい、だがそれでいいのか。イオフィエルを倒させて本当にいいのだろうか。アーサーは思考を得物を構えながらも織り出しはじめる、とり憑いてきた幽霊の件も、そもそもここで何があったのかも分かっていない以上むやみやたらに展開を認めていいのだろうか。
生き残ることを優先するならば、そのままとめないのが正解なのだろうが。
いいやむしろこれが正解か、イオフィエルに何があったかなんて結局過去の出来事でしかない、聞いたところで記憶に蓄積される知識が増えるだけだ。いっそ何も知らないまま終わらせるのが一番いいのだろう。
『どうする、アーサー様』
「状況が状況だ、ロト王に加勢する。それで問題ないか、カリバーン」
『アーサー様が大丈夫ならアタシも大丈夫さ』
「OK、ミグもまだ大丈夫か?」
「無論」
困惑を押し留めながらも、一人と一人と一匹が覚悟を決める。既に戦い始めたロト王への加勢は並ならぬ難題だが、それでもやるしかないからやりとおす。何も問題が解決せずにそのまま幕引きとなるのかもしれないが、事実それで事が済むならばそうするべきだ。頭蓋に訴える我欲を押さえつけるように、アーサーは得物……カタナを鞘からゆっくりと引き抜いた。抜刀術というものもあるらしいが、そちらは今使えそうにない。
「合図、3カウントで行動開始。一気にしとめるぞ」
フラットを見て覚えたスイッチに、ミグとカリバーンはすぐさま対応するように意志を固めたようだった。スイッチを切るのがまさか自分になろうとは、きっとこの先も使うのだろうなと思いながらも、アーサーは冷静に音を紡ぎ出す。
カウントダウン。三秒前。
参。
弐。
壱。
「開始!」