FO。
人が人を助けるということは、意識的に動こうとする程に上手くいかないものだとアーサーは思う。
助けようという意志の固定化は確かに強力なものではあるが、そこで止まってしまえば思考の熱を吐き出す回路を失ってしまう。
とはいっても人によるのかもしれないが、アーサーはどうにもこうにも固定化されてしまうと動けない性質にあるとこれまでの行動で推測する。
自己解析の結論は単純、人が動き、勝手に助かるだけ。結局物事というにはそれの繰り返しでしかなく、意図をもって進めることは愚行であるとすら考える。
──イオを助けてやってほしい。
態度に隠れ潜む彼の腐食しはじめた本音に生返事で答えたアーサーは、どうしたものかと考える。正体の底知れぬイオフィエルを打倒ではなく助けをと、その言葉には人としての情が大部分にあるのだろう。しかし今のところイオに関しても全く知らない上、もっと言ってしまえばミグの持つ情報も全く持って信用ならない。どう考えたところで情報が足りないのだが、先へ進めばなんとかなるか。
短い思考時間で叩き出した暫定の回答を脳裏に刻み込みながら、さて行こうかと牢屋を出たわけなのだが。
「なぁ」
「どうした」
「数増えてねーか?」
ある程度まで隠れ進んだ時点で案の定ゴーレムに見つかり、石造りの廊下を蹴り飛ばすように全力疾走しているのだがしかも現在進行形で。
そこで異変に気がついたのだ、これはどう足掻いてもゴーレムの数が明らかに増えている。
隠れながら進む過程で見様見真似の観察で体得した気配察知で、足音の数や距離感である程度察せるようになったのはいいが、出来れば気が付きたくはなかった。
五体だと知らされていたゴーレムの数が、今や増えて七体ほどになっている。包囲されたらおしまいなのでは。
「イオにばれたな、完全に」
戦力増強を図って来たようだ。イオの状態や事情は全く知らないが、殺す気で来ているのはよく分かる。
一人と一人はぎゃあぎゃあ言いながらも、丁度影になるような形で窪んだ通路を発見し躊躇いもなく飛び降りる、元々水路だったらしいこの通路はなんだかぬめぬめしていたが、足をとられなければまだ大丈夫だろう。それでもゴーレムの足音が止まらないのはまだ視認されているからに違いない。早く通り抜けなければ。
そういえば、そんな殺気満々の相手のところに今同行してるのって誰だっけ?
「確認し忘れたんだが、イオのとこに俺の相棒いるんだけど」
「危ないかもしれない」
「どう危ない」
「魔法生物同士で融合する可能性が」
「走る速度上げるぞ」
「待て私も聞きたいことが」
ミグを完全に無視し、ようやく見つけた目標の階段に滑り込む。遅れてミグもころがり込み、振り返るとそこでゴーレム達の動きが止まった。どうやらゴーレム達が動けるのはこの階層だけらしい、ひとまず安心だ。階段を登れば中枢区が存在する階層になるようだし、さっさと行こうとアーサーが階段に足をかけたが、先ほどのミグの反応を思い出し歩みを止める。
「そういや、何を聞きたいんだ?」
「やっとか……お前、憑かれているのなら何か聞いたりはしていないのか」
「……どういうことだ」
「死んだ者が生きてる者の身体に乗っかる理由を考えてみろ」
時間が惜しいのもあって、階段を登りながらもどういうことだろうと言われた通りに考えてみる。
生憎宗教的な生死観については詳しくないので持論を持ち出すしかないのだが、まず死者は基本的にそこにはない者として扱われる、それが生きてる者に干渉することは稀だ。基本的にないと言ってもいいが、今回は例外になるのか。例外、一体何にそれが適応されるのか。実体に干渉する。干渉してきて何をする。初歩的な連想ゲームを組み立てていくとわりとあっさり答えが浮き彫りになる。
「ああ、なるほど」
反応か。そうか、何か伝えたいことがあるのかもしれない。そして憑依してくると。なるほど、それで「何か聞いていないのか」と。
だがしかしアーサーはここまで来る過程で、そういった声を聞いていない。強いて言うなら聞こえたのは死人の声だけであり、それ以上はさっぱり聞いていないし気が付きもしていない。何も聞いていないとアーサーが振り返りつつ答えれば、ミグまた一層眉間にしわを寄せて首を傾げる。
「む……おかしいな」
「何がだ、俺がただ単にそういうタチなのかもしれないぞ」
「仮にそうであったら見えてもいないだろう」
「そ、そうか……って何してんだ」
ミグが思いついたように荷物袋を漁ると、一つのビンを取り出した。
液体が入っているらしい水晶でできた小瓶のようだ、水分補給などには使用しないタイプのものだというのは一目で分かる。貴重そうなものだが、ミグはその小瓶を躊躇いもなくアーサーに投げ渡した。慌てて受け取ったが、危ないじゃないか。落としたら割れているぞ。
「一滴なめてみろ」
「毒じゃなかろうな」
「毒じゃない、聖水だ」
言われるままに聖水の小瓶を開け、一滴程に手袋の上に垂らす。そしてそのまま舐めてみたはいいのだが。
「辛ッ!?」
舌が焼けるような感覚が精神に直撃し、あまりの辛さに噎せてしまう。聖水?毒じゃねえかこれは。息が苦しくなるほど呼吸を空回りさせていると、「すまんすまん」とミグが普通の水を分けてくれた。
しばらく撃沈していると、ミグは今度は困惑したような顔でこちらを見る。なんだなんだと眺めていると、ミグはぽつりと意図していないように問い掛けを零した。
「……なあ、お前一回死んだか?」
話の脈略がつかめず、素直に「入水自殺未遂なら経験あるけど」と記憶にある限りでの真新しい経験を語る。
真新しいといってもカリバーンと出会う前の話だ、正直あのころは頭がいかれていたのを自覚できていなかったから、今思い出すと中々に心苦しい。
「そりゃまたヘビーな、いやでもそうじゃなくて、なんつーの」
「何だよ」
そのままミグは黙り込んでしまう。
先ほどのやたら辛い聖水は本物の聖水だというのは確かにそうなのだろう。(こんな時に毒を盛られる筋合いは無いし)しかし、今の沈黙はなんだか嫌な沈黙だ。何か重要なことを伝えようとして、何か躊躇うものがあるからこそせき止めているような。憶測に不安が重複し、さらにそこから加速する不安、どくりと聞こえるはずの心音が、まるで存在していないようにぱったり静かで不気味でしかない。
いつの間にか歩みを止めていた足に気がつくこともできずに、アーサーは思わず同じ言葉を口にする。
「……何だよ、」
確認的に放った言葉が、言葉となってからその意味を知る。苛立っている。恐れている。自分自身が何にそんなものを抱いているのかがいまだ分からず、理解できずにおかしいな、おかしいなと思考がエラーをこれでもかと言わんばかりに吐き出している。どうした、自分。落ち着こうにも落ち着けない。
ミグは「はぁ」と一つ息を吐き出し、頭を軽く横に降ると「ちょっと、踏み込んだ話をするぞ」と重い口を開いた。
「怒らず聞いてほしい、別に問い詰めるわけじゃあないからな」
「あ、あぁ」
「……、お前は」
──お前は、死体か?
思考停止した脳漿に杭が打ち込まれる衝撃と、漣さえもたたなかった水溜まりがぐらりと揺れる感覚。あぁ、今、多分目を見開いているか硬直しているかのどちらかか。客観的な思考とは裏腹に、本能的な精神が止めろと叫ぶ警告の鐘をどこか遠くに聞いていたような、そんな幻覚が視界を割るように世界を遮る。残響するかのように紐解かれる時を待っていた箱の開く音が、場違いにも鼓膜に張り付いた。