陥没。
「えっ」
「えっ、」
小目標である場所が近づくにつれて気の緩みが出るのは人間的に仕方がないのだろうが、流石にこれは酷いんじゃなかろうか。一時的な錯覚で緩やかに停滞する時間の最中、アーサーはどこか遠くの地平線を眺めていた。
小目標とする村、サザン村と呼ばれているのだが到達寸前に大きな亀裂が存在する。棺の渓谷とも呼ばれている大きな亀裂はどう足掻いても遠回りは出来ないほどの範囲を持つのだが、まぁ村が近いということもあってか橋は架けられている。二人と一匹は勿論その橋を通るつもりでいたのだが、いや実際は確かに通っていたのだが、そうなのだが。
もう少しで渡りきる、というところで橋の底が抜けた。もっと言えばアーサーがぶち抜いてしまった。なんというか、アーサー本人は何が起こったのかがさっぱり理解できていなかった。いうなればバンジージャンプ台の上ですくんで飛びおりれずに、他の人に3カウント後に背を押してもらう話だったのに1じゃなくて3で突き落とされたようなそんな状態だ。たしかに橋はすこし壊れかけていたし、随分と昔にあるものだから気をつけてはいたのだが、まさか、こんなタイミングで綺麗にボッシュートされるとは思ってもおらず。
「──うそだろおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉッ……!」
驚愕と焦燥交じりの絶叫虚しく、アーサーとその肩に乗っていたカリバーンはあっという間に渓谷の底へ吸い込まれて消えてしまった。
ぽつんとその場に取り残されてしまったフラットは、思わずがな「うぇぇええええ!?」ともうよく分からない声をあげ、しばらくその場で呆けていたそうだ。
/
不思議の国のアリス、という話がある。それは女の子がうさぎを追いかけ、その先で不思議の国へ通じる穴に落っこちてしまうファンタジーなのだが。その穴のなかを落下し続けるシーンというのも当然ある、覚えている限りではその落下シーンはかなり長い時間落ち続けその最中に様々な思考も重ねられるのだが、実際落ちていると案外そうでもない、物を考える余裕なんてありはしないんだなと切に感じる。
ぼんやりとしていた思考で水中漂うアーサーは、わりと真面目に死の覚悟の必要性を考え始めていた。
「おーい」
声が聞こえる。
「おーい、聞こえるー」
「……うん」
「オッケー、起きれる?」
アーサーははっと意識を開花させ、節々が悲鳴をあげる身体に鞭を撃ちながらなんとか起き上がる。喉に何か詰まっているのか、すこしだけ咳き込みながら。此処のところ気絶する回数が増えているのは気のせいだろうか、無関係の思考とは裏腹に視界は既に状況把握をしようと目玉を動かしていた。
「よかった、水も飲んでないみたいだし、よかったぁ~」
目の前で安堵する声の主を視界は捕らえる。薄桃色に黄色がかった不思議な色合いの髪がまず目を引いた。そしてこちらをまたじっと見つめてくる青い目は丸々としている、顔の造詣からして少女だろうか。その場違い極まりない明るさが今はすこしだけアーサーの緊張の糸をほぐしていた。
『浮気?』
だがそんな気分はカリバーンの声ですっぱりと切られてしまった、どうやらずっと頭の上に乗っかっていたらしい。
「違う」
『じー……』
「んえ、うわきってなあに?」
『浮気っていうのはねぇ』
「待たれよカリバーン」
『はぁい』
自己紹介交えて漫談も程ほどに目の前の少女に話を聞くと、どうやら自分たちは橋からぼっしゅ……落下後、渓谷の底に存在する巨大な水溜まりに落ちたようで、現場をたまたま見ていたこの少女が救出してくれたらしい。となると、いやそのまえに言うことがあるじゃないか。
「えっと……」
「あ、名乗ってなかったね。僕の名前はイオフィエルだよ、イオって呼んでね」
「イオさん、今回はありがとう。お陰で水没死せずに済んだ」
「そんな、当たり前のことをしただけだよ」
照れくさいのかイオフィエル……イオは髪をかきながらえへへと顔を赤くした。
イオフィエル。確か先日見つけたキャンパスにそんな名前があったような。
そんなことよりも今はどうするかを決めなければ、落ちてきたことと水溜まりがあることからここは恐らく最下層なのだろう。なんとかして上に戻らなければ、そうだフラットは、フラットは今どうしているだろうか。考え出すと追いかけるように不安の水が溢れ出てきてしまう。
『バン王のほうも何か厄介ごとに巻き込まれたみたいだよ』
「どういうことだ?」
『落ちる寸前でバン王のところに眷属をのこしてきたんだけど、連絡が取れない』
どちらにしろ今は自分たちのことを優先して動いたほうがよさそうだ。カリバーンの眷属と連絡が取れないのなら、恐らく端末も使い物にならないだろう。さてどうしたものか、アーサーは腕を組みううむと頭の中の情報を整理し始める。だが見かねたイオがちょいちょいと手招きして、「上に戻る道はあるっちゃあるよ」と教えてくれた。
だがそう簡単にもいかないらしい。
「ただ、僕もちょっと用事があるんだ」
「それは俺たちにも手伝えることか?」
「うん、手伝ってもらえるとすごく助かる。大丈夫、すぐ終わる用事だから」
『じゃあ決まりだね』
「あぁ、手伝おう。その代わり上への先導を頼む」
「やった、ありがとう!」
イオは嬉しそうに手を叩くと、飛び上がるように立ち上がって「ついて来て! 連れを紹介するよ!」と元気よく走り出していった。アーサーは慌ててそれを追いかけようと立ち上がり、「待って待って早いっ早いよ」とすこし傷みの薄らいだ足を動かす、その肩でカリバーンはやれやれとため息をつく。
しかしイオを追いかけながらも徐々に負荷をかけていく重みにアーサーは薄々気がつきつつあった。殆ど無意識に近い感覚で感じ取るそれは、プレッシャーというよりかはもっと重い、しかしそれ以上に冷たい質量を持っている。嫌な予感にしては悠長で、息苦しい。
どうにしろ、妙な場所に落ちてしまったようだ。