鎮火。
アーサーたちが灰色の街を発ったのは、例の一騒動が熱を失い始めた三日後のことだった。
盛大に刃を突き立てられた腹の傷は魔法のお陰でうまいこと全快し、痕は残ったもののこれまでどおり動けるぐらいには回復したのが三日後だったということもあるのだが。アーサーとフラットはようやくこのじめじめした街から出て行けるとのこともあってか、不思議と出立の準備は早かった。
三日間。嵐のような日々だったとフラットは語る。
一歩間違えば街の全てが蒸発してしまうほど絡み合った街の関係性、その中に存在する蟠りを着実に解いていくのはまさしく爆弾処理ともいえるようなプレッシャーがあったそうだ。とくにマフィアや教会に関する部分は本当に胃を痛めたらしく、これはどうしょもないとフラットは仕方がなくバン王の名を使うほどだったという。冒険者たちもそれぞれやれることを全力で遂行してくれたようで、そのあたりの細かい調整などは殆どが冒険者たち……待雪草が行ってくれたそうだ。
教会関係で詳しく聞けば、しばらくは宝石公爵がカローラ教会を管理しいずれは正規の孤児院として再建するつもりらしい。以前から教会にいた子供たちがどうなったのかと問うと、症状の薄い者たちはそのまま教会で治療に専念し、一方の症状が重かったものは残念ながら助からなかったそうだ。どういった状況に陥っていたのか、聞くまでもないのだろう。
そういえばジェシーのことなんだが。
まさかのまさかで宝石公爵の一族に目を付けられ、ボールス領本国ガリアに連れて行かれることになったらしい。ジェシー本人はこの抜擢にかなり困惑していたようだが、何かこの騒動に至る過程で思うところがあったらしく「スラムが勉強できるチャンスだ」と言い、彼は彼なりに楽しみにしているようだった。
一方、マーフィが聖剣に連なる武器を持っていた理由や、アーサーを狙った暗殺の任を指示したフェイトという存在に関しては結局何も分からなかった。ひとまずナントレスてめぇと覚えておけばいいのだろうかと言ったら、「お前バカなんだかそうじゃねぇのかよくわかんない」とため息をつかれてしまった。
まぁ、そういう話で、いくつかの疑問と傷を残して灰色の街は日常に戻っていく。此処から先は街の住人が決めることだろうし、ひとまずアーサーの目的は達成されたので文句はない。
……しかしそれでも気分のいい出立とはいかないようで、熱を失い始めた反動なのかどうなのかこの数日、灰色の街では雨が続いている。小雨、ハイドレンスで経験した雨よりもじっとりとした感じの悪い雨が止むことなく降り続け、とうとう出立のこの日でさえも雨が途絶えることはない。水を吸った綿のように重くなる心情を察したのか、フラットはいつもどおり上機嫌に振舞うのだがある意味露骨で「いつもどおりでいい」とアーサーがばっさり言い放つと、フラットはどこか悲しげに目を伏せて「じゃあ、そうするっす」と笑った。
降り止まない雨の中見送りを全力で断り、二人はひっそりと街を出た。街を出る前に一騒動あったがそれもなんとか凌ぎ、足早に門を潜った。しかし暫く歩いていくと平行して雨は強くなっていく、街で買った黒い雨具の性能はかなりいいようで動きが阻害されることもないがそれでも不快にか変わりなくて。ただぬかるみはじめた道に若干の歩き辛さを感じながらある方角を目指し歩いていく。
次の目的地は森の中に点在する村々の一つだ。全体としてはいくつかの村を経由しながら当初の目的……カリバーンを目覚めさせるため覇者の湖を目指すといったもの。冒険にしては随分ゆるく、急用にしてもだいぶ歩みの遅い旅になるがアーサーはさして気にしてはいなかった。諦めていたのかもしれない、どうせどう足掻いても騒動に巻き込まれるときは巻き込まれる。
「アーサーさんアーサーさん」
街が目視できなくなったころ、唐突にフラットがアーサーの肩を叩いた。
「で、それはなんなんすか?」
「どれのことだ?」
「お前の頭の上でびちびちのた打ち回ってる物体のことだよ!」
あぁこれか。
フラットが指差したその先、アーサーの頭の上には白い蜥蜴のような物体がばたばたと雨を受けて背伸びをしている。いや蜥蜴にしてはなんだか生々しいし水っぽいような気もするが、召喚した本人が蜥蜴と言い張るのだ。これ以外に表しようがない。なんにしてもかなり、非常になんとも名状しがたい物体だがアーサーは案外この物体を気に入っていた。確かに少々びっくりするような外見だが、綺麗な空色の双眸やしぐさなどは慣れると可愛いものだ。
さてこの物体はなんなのかという話だが。
実は三日間強制的に休暇を取らされていた間に気が付いたことがあり、ラタキアに協力してもらって召喚獣をつけてもらったのだ。つけてもらったというよりかは、召喚獣のつけかたを教わったといってもいい。戦力増強の意味もあるのだが大まかな理由は別にある。
召喚獣は基本的に物体に意識を憑依させることで成立する。その物体はなんでもいいのだが、意識はなんでもいいというわけにもいかない。一般的にはそこらに浮遊している精霊と契約し憑依させる。どういうことなんだと最初は思ったが本物の魔法は理屈を全て蹴飛ばすのだ。聞いても意味がない。そしてなんやかんやで一体召喚した結果がこれになる。しかしそれでも特別であり、特別である理由はこの物体の中身にある。
『のた打ち回っている物体とは、ひどいことを言ってくれるね。月までぶっ飛ばしてやろうか』
「喋るの!?」
「せめてその辺の木に叩き尽きるぐらいで許してやってくれ、カリバーン」
中身は他でもない、杖の精霊カリバーンだ。
杖の部分、所謂身体の部分が現在休眠状態にある今だが、同時に今まで何度も夢に現れることが出来ている。その意識は休眠状態にはなっていないということだ。
というわけで試験的に召喚の技法を応用してこの状態に固定してみた。そしたら案外上手くいき、カリバーン本人も動き回れる身体を得て嬉しいらしい。
それにこの状態ならばいざという時カリバーン単体で逃走も可能だ。あの街で色々あって思い知ったのだ、逃走経路確保は大事だと。
「その斜め上の発想はどこから降ってくるんすか……」
『アーサー様だから仕方がない』
「そうかならば仕方がないっす」
「あんたら本人目の前にしてよくいえるよな」
二人と一匹というまた奇妙な構図になったアーサーたちは若干小雨になり始めた道を踏みしめながら、一つの目印を眺めた。一つ丘を越えたことで見えるようになった一つの塔。塔といっても小規模なものだが雨雲を背景にしてみても、それはまだ美しいともいえた。鉄塔。覇者の湖の付近に存在する先代紀の遺産らしく、ここから眺められる程度の大きさはあることから目印になる。
しかしそれでも気は抜けない、ここから先は人ではないものたちの領域だ。
『ふふ、楽しみだね』
カリバーンがきゅいと一つ鳴き声をあげる。雨はまだ止みそうにないがそれでも道は見えていた。道が見えているならば、まだ歩ける。足跡に赤い血が混ざり合っていたとしても歩ける足があるだけ、まだましなのだろう。
森を駆け抜ける小さな風に背を蹴り飛ばされながら、二人と一匹は旅路に戻るのだった。