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導師アーサーの憂鬱  作者: Namako
03:疑心回帰。
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白刃。

 袋小路の井戸、灰色の街特有の高い壁に挟まれて存在している小さな箱のような空間は、そこだけ現実から切り離されたような感覚にさらされている。古風だが装飾の施された井戸は水汲みの為ではなく、儀式的な意味で使われていた名残だそうだ。しかしその井戸の水は当の昔に枯れ、水の流れることのなくなった用済みの水路は隠し道という別の役割を担っている。

 井戸の中までは流石に網羅していないため先導はフラットに交代してもらないといけないが、此処までくれば問題はないはずだった。


「やれやれ、随分と手間をかけさせてくれるな」


 壁の上に伸びる影、逆光を受けてさらにどす黒く存在を落とすそれが言う。何ともいえない危機感にフラットがまた何ともいえない声を漏らしていた。


「呆れるほど執拗な人は嫌われるぞ」


 アーサーはその影──マーフィに対して挨拶代わりに言い放つ。声だけは冷静を気取っているが、心情は決して穏やかなものではない。ひきつけ役を買って出てくれたあの三人の戦闘的実力はかなりの物のはずだ。だが現にマーフィは此処に姿を表してしまっている。まさか、とは思ったが此処まで来た以上受け入れなければならない。突破されてしまったのだろう、手下たちの姿は見えないことからそちらのほうは成功していると思いたいが、いや、数で考えればマーフィ側が有利ではあったのだし。想定外というわけではない。

 さて、どうしたものか。

 しかしそれもまた考える程のことではなく、消去法で一番マシだろうと思われる構図は見えていた。


「フラット」

「なんすか」

「配達は任せた」


 アーサーは抱えていた紙袋をフラットへ押し付けた。フラットはその行動がすぐには理解できないらしく「ちょっと待て」と肩を強く掴んでくる。それでもアーサーはその手を払いのけ、「早く行け」とまた強く蹴り飛ばすように背を押す。

 簡単な話だ。宝石公爵の隠れ家に続く水路の道順はフラットが知っている、確実に届けるならば彼が行くべきだし、同時にいうなればアーサーが送り届ける義務はない。必要なのはこの紙袋の中にある情報で、それを運ぶ運び屋は誰でもいいのだ。

 正直なところあの三人をぶち抜いてきたマーフィを自分ひとりで抑えきれるか、そういう不安はあるにはある。だが勝つことを要求されてないだけまだましだ。

 フラットはようやく事情を飲み込んでくれたようで、「せめて生きのこれよ」と言い残し井戸の中に飛び込んでいった。


「話は終わったようだな」


 悠長に待っていてくれたのだろうか、マーフィは高い壁から飛び降り着地した地点で何も構えを取らずにそこにいた。そういった行動からして獣人の彼の目的はすこしずれている様に思える。予測できる範囲にいないので何がどうとかはいえないのだが。それでも沈殿する酸素に押しつぶされるような威圧感はすこしもかけることがなく、端的ではあるがかなり怖い。だが、もう慣れ初めてもいた。

 アーサーは静かに深呼吸を行い、携えている細剣レイピア……エクスカリボールを鞘から引き抜いた。

 金属が擦れあう音はこの場においては異様な音量で響き広がり、その行為自体が荒事への発展を覚悟した決意表明のようにさえ思えてくる。

 わずかな時間王城で叩き込まれた剣術をどこまで運用できるかどうかは、アーサー自身はそれほど期待はしていない。ただ時間を、時間を稼げればそれでいい。目的を違えなければ勝機はある。問題はそれをどこまで覚えていられるかなのだが、今考えてもどうしようもないだろう。


「お手柔らかに頼むよ、マーフィさん」

「その期待には答えられそうにない、な」


 耳元の鈴の音が戦闘開始の合図にように響き渡ると、先に動いたのはマーフィだった。助走を付けてからの大ジャンプ、そこからの滑空に乗せた斬り付けはおおよそ大鎌で繰り出せるとは思えない型破りなご挨拶だ。だが初出の攻撃をもろに受けるほどアーサーは油断だけはしていなかった。滑空攻撃は軌道修正は出来ても着地点は基本的に変更することは難しい、ならばそこから動けばいいだけだ。

 開始当初に脚のバネを利用して弾かれるように跳び走ったアーサーには、まずその攻撃は掠りもしない。そこまではいい、さてその先からが勝負だ。

 ある程度の距離をとり細剣レイピアを構えなおす、構えといっても型に嵌ったものではない。殆どフラットたちの見よう見まねだった。騎士道に順ずる型はその取り方だけで繰り出す技が限定されてしまう、こういった場面では使いようになりはしない。

 開始早々、睨みあいが始まった。

 一定の距離を保ちながらずるずると移動を繰り返す、初出で急速に展開するかと思いきや相手はそういった動きは好きではないらしい。前述ロト王戦の頃を思い出すような首の絞まる拘束感に呼吸を狩られながらも、互いは互いを視線から外すことなくじりじりとその瞬間を待つ。数秒にも満たない時間が何時間も続くような、異様なほどの緊張。肌がぴりぴりと痛みを感じるほどの殺意を叩きつけられながら、アーサーは必死でその悪意に耐えていた。

 死ぬようなことは何度もあった。死にたくなるようなこともあった。だが死にそうになる瞬間に立ち会うことは、きっとなかっただろう。

 盗賊や強盗相手とは段違いに違いすぎる目の前の聖剣所持者は、まるで何倍にも膨れ上がった怪物にさえ思えてくる。恐怖にたじろいでもいられないこの状況下、素直に逃げ出したり降伏することが出来ないことは、今だけは酷く苦痛に思える。しかしそれでも己の中でどくり、どくりと早まる鼓動を全力で押さえつけ、どうか今だけは持ってくれよと切に願う自分もいる。

 

 ──自己矛盾にも満たない相殺しあう精神が卒倒する寸前、睨みあいが終わった。


 終わらせたのは、アーサーだった。アーサーは振りかぶることに声を発することもなく、一気にマーフィとの距離を詰めただ一点を狙って突きを放つ。睨みあいの最中に渦を巻いていた迷いは、案外剣筋に反映されることもなくその一点、人体の心臓に位置する部位を的確に狙い打った。しかしその速度は数段劣っていたようで、マーフィはそれを身体を傾けることで回避する。だがそれでもマーフィは一瞬だけ焦っているようにアーサーは感じ取った。

 こいつ舐めてやがったな。心の中での舌打ちと同時に、アーサーは突き抜ける勢いを殺すように自身の右脚を地面にたたきつけ食いしばる。そしてそのまま右脚を軸にし方向転換を仕掛け、細剣レイピアを全力で薙いだ。


「何だと……ッ!」


 流石のマーフィもこの無理と無茶を通した二撃目は予測していなかったらしく、防御行動虚しく脇腹に細剣レイピアの刃が喰い刺さった。手元に容赦なく響いてくる水の入った袋を叩き斬るような、人体を斬るという感覚にアーサーは戸惑いたくとも戸惑っている暇などない。一度薙ぎ切った細剣レイピアを逆手に持ち替え、そこからさらに突きを繰り出す。だがそれは流石に大鎌で対抗され、弾かれる。

 一度弾かれたところで動揺するわけでもなく、アーサーはさらに喰い下がるように一歩、また一歩と踏み込んでは攻撃を繰り返していく。無謀とも取れる動きだがマーフィはこの動きに対してあからさまな嫌悪感を抱いているようであった。

 元来大鎌という得物は対人戦には向かない。まず大きいという時点でそれを振り回すだけのリーチが必要だ。次に大鎌の刃は内側にある為、そもそも決まった距離でなければ斬るという行為でさえ難しい。しかしそれでも自分のペースに巻き込んでしまえば扱う人が人なればかなり面倒くさい得物だ。

 恐らくこのマーフィという獣人は、初出で自分のペースに巻き込み最後まで流れから逃がさない型を好んでいるのだろう。まるでハリネズミやヤマアラシのようだ。だがそれ故に弱点は見えやすい、見えていてもそれを突くのは容易ではないのだが。

 

「(もっと前へ、)」


 アーサーがマーフィを相手に時間を盗むための条件は、相手の懐へ飛び込むこと。 

 喉が潰れるほどの威圧感の中に自らを突撃させなければいけないというのは、中々に酷なことだ。しかしやらなければろくに時間稼ぎも出来ない、ならばやるしかなかろうに。追い詰められて尚手段が残されているのなら、その手を取るのが最良だ。そこで手を取ることを渋って死ぬぐらいならば、いっそ決死の思いで踏み出すほうが良いに決まっている。   


「(もっと、先へ)」


 自棄だ。自棄でいい、そうでなければ自分は前に進めない。無謀か? 無謀だろう、それでいい。結果は後につくものだ。加速していくペースに同調するように掻き立てられていく不安を、同時に湧き出てくる傲慢な思考で自己を肯定しながら。そうだ、もっと、もっと前へ、もっと先へ、もっと奥へ、踏み込め、踏み込め、進め、止まるな、そして斬れ! 妄信的に流れていく思考は集中の刃を研ぎ澄ましていく。

 さらにはその集中力は痛みを感じる神経すら麻痺させ、防戦さながらのマーフィが隙を撃って放つ攻撃を受けても尚アーサーの動きを咎めることはなかった。

 雄たけびを吼えることすら放棄した攻撃への集中力は、そのまま食い込んでいく細剣レイピアの牙となりマーフィのペースを完全に掻き乱し、気がつけば戦況は一歩ほどだけだがアーサーが押していた。それに対して期待できていなかった時間稼ぎも、案外出来ているように思えてくる。

 だがそれでも急な方向転換を連続で行っている為、普段そこにかかるはずのない重力に慣れない四肢が悲鳴を上げている。そうだ、一手崩れれば全て一気に崩壊してしまう、危険な綱渡りの不器用な剣舞。そんなことはアーサーもマーフィも分かっていた。そう、互いに分かっていたからこそ、事態の予測はすでに立っているも同然で。

 唐突に。

 唐突にマーフィが構えを解いた。


「えっ……!?」


 思わず困惑の声がアーサーから漏れる。ふと糸がすり抜けるように身体全体の力が抜けていく、いや抜けてはいない、制御できないのだ。流れが塞き止められたように制御できない力は細剣レイピアへも伝わり、そのまま刀身がマーフィの胴体に突き刺さってしまう。重い衝撃と共に、アーサーはこれ以上ないほどの失態に焦りを感じていた。

 動きが、流れが、全てがそこで静止した。『静止してしまった。』

 急激な停止によって体の動きの制御をふいに手放してしまったアーサーの隙を、マーフィが見逃すはずがない。いつの間にかマーフィの手元から離れていた大鎌が地面に突き刺さる音を立て、それとほぼ同時に、アーサーの腹部に尋常ではない痛みが発生する。


「急きすぎたな、若人」


 遠くに聞こえるその言葉を聞きながらも、アーサーは前のめりにぐらりと倒れてしまう。先ほどああまでやって見せた踏ん張りが今はまったく成立せず、意識と共に身体は地面に叩きつけられる。鈍い声ともいえない音が零れる、殆ど無意識に痛みの部位を触れれば、そこには鋭利な短剣が突き刺さっていた。そうか、刺された。刺すために大鎌を手放したのか。

 自覚したのが悪かった、刺されたと脳が認識した瞬間にアーサーの思考は白紙に戻されたように真っ白へ振り切れてしまう。次の手を考えることすらままならない、熱。傷からあふれ出す血液に対応するかのように痛みを越えた熱が溢れていく。こぼれていく。どくり、どくり、心拍の高鳴りが一層命を削り殺めて視界を、世界を揺らしていく。ぶれる視界の隅に黒い影が映りこむ、恐らくそれは自分にトドメを刺そうとするマーフィなのだろうが。今のアーサーにはそれを思い出す力さえない。

 殺される。

 思考回路さえ焼き切れた脳裏に浮かぶ、恐怖。

 いつもこういったところで強制的に途切れていた意識は、途切れて欲しいと願っているこの瞬間だけは都合が悪いようで。カツリ、カツリ、死神の足音が聞こえる。幾度目かの死に際に抱いたのはある意味では初めて抱く本物の恐怖だった。

 アーサーは、とっさに目蓋を閉ざす。足掻く術がそこに書いてあるはずがないということは分かっていても、それでも一瞬の暗闇に逃避を乞うてしまった。せめて間に合ってくれ、切に願ったその瞬間。

 

 ──鈴の音が、聞こえた。

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