強襲。
精神的衝撃は相当の質量を持つ。そうアーサーは切に思う。
あの後アーサーはジェシーたちと別れ、実際のところかなりいい時間になっていたのでさっさと浮雲亭に戻ることにしていた。
情報をかき集めた後集合、その他編集作業は宝石公爵側が行ってくれることになっており事実上この紙袋を届け、その後細かい調整に参加することでアーサーのこの街でのノルマは達成することになる。細かな調整には骨を折りそうだという杞憂のみが、その時の気がかりではあった。
道中、待雪草のナズナとバッタリ出くわして一緒に託された紙袋の中身を確認したり(ちなみにどこからどう読み取っても本物だった)など、ちょっとした道草はしてはいたのだが。こういったことに関してはアーサーはくそ真面目といってもいいのかもしれない、最初伝えた帰宅時刻五分前には浮雲亭に到着してはいた。してはいたのだが。
「どういうことだ、これは」
浮雲亭の扉は蹴破られ、中をのぞいてみればテーブルは壊され酒瓶は割れ、椅子はもう原型すら留めていないどころか空間全体が原形をとどめていない。まさに嵐が去った後のような状態だった。当然のように灯りなんてものは存在を消し飛ばされており、暗闇と静寂がそこにのさばっている。とてもじゃないが状況が分かるはずもなく、同行者もいない現状ではとにかく動揺するしかない。
しかしその静寂は長くは続かなかった。呆然と立ち尽くすアーサーの背を蹴り倒すように通り抜けたのは聞きなれた銃声。振り向けばそこには随分と消耗しきって文字通りのぼろ雑巾のような姿で銃口を奥へと差し向けるルカがいた。初対面の印象とはかけ離れたその様子に、これは緊急事態なのだと頭蓋の中で警告が鳴る。
ルカに「何があった」と問えば、息絶え絶えに「マフィアに先手打たれた、とにかくそこ退け」とルカは答える。マフィア、作戦会議では放置を決め込むといわれていた、現状この街を回している者たちなのだろうが、そうか、動くだろうなとは思ってはいたがやっぱり動いたか。
とにかく退けと、それがこの場から逃げろということだと察し、アーサーはとにかく一歩でも早くその場から離れようとする。だがそうするには一手思考が遅かったようだ。
「ほぉう、お前たちも仲間か」
逃亡する思考回路を遮ったのは、嫌に粘りついた気味の悪い声だった。廃墟も同然と化した浮雲亭の奥からぬらりと現れる、影。恐らく先ほどのルカの発砲はこれに向かってのものだったのだろう。しかしまだ夜闇に目が聞くわけでもなく、それはまだ影としかいいようがない。此方が何か反応する前に、がしゃがしゃと足音を立てて体現したそれは「やれやれ、公爵も落ちたものな」と頭をボリボリ掻いているようだった。
そのまま特にアクションが起きる事もなく光の下に姿を現した影は、背に大きな鎌を携えた、それなりに体格のいい猫系の獣人だった。しかしその脚は鉄を加工した不恰好なブーツに覆われており、直感的にそれは義足のようだ。だがそれ以上に目を引くのは、背に携えた大きな鎌だ。暗がりの中でも美しく輝いているそれは、見た瞬間にイヤーカフのカリバーンがちろりと鳴る。さらにはアーサーが腰に下げているエクスカリボールもまた、鞘の中で震えを放つ。
──聖剣だ。
アーサーは今までの経験と異様な予感に、それを聖剣の名を冠した武具の一つと断定する。カリバーンが杖であるというあたりからもうツッコミしたら負けかとは思っていたのだが、流石にツッコませてもらう。聖剣の名を冠するならばもう少し「剣」という形式に敬意を払え。もうなんでもアリじゃないか、いやもう知れたことではあるが。
鎌を持つ獣人は鋭い目を闇の中に輝かせながら、まるで散歩中に知り合いにあったような雰囲気で言い放つ。
「キミとは久しぶりか。いや、眠っているのか。相変わらず気まぐれだな、カリバーン」
「な……」
雰囲気と内容のずれにアーサーはたじろぐ。今まで聖剣としてのカリバーンを知るものは確かにいた、主にフラットがそうであるのだが。今の言い方は明らかに少女としてのカリバーンを知っている物言いであったのだ。声を聞くだけで分かる、彼は知っている。何故? その経緯を知る術は今のところなく。獣人は続ける
「まあいい、所有者のお前さんとは初対面だったか。私は、マーフィ。ここらを仕切るサイズファミリーのボスといったところ、か」
マフィアのマーフィ、覚えやすいだろう? 人の良さげな顔(猫なのだが)で笑うそれは、一周回って恐ろしく思えた。しかもそのすこし変わった区切り方をする喋りが威圧感を加速させ、逃亡を試みたはずの両足は地面に縫い付けられているような錯覚を覚える。ろくに返すことも出来ず、そもそもマーフィは返事を期待しているようでもなかったようで勝手に話を進めていく。
「本来ならば此処で首飛ばしても、対して問題にはならないのだが。同じ聖剣所有者だしな……ふむ」
随分と思考時間の長い獣人だ。いつのまにかマーフィの後ろにはずらりと手下らしき人間たちが構えを取っている、気配というものを瞬間的にしか察知できないアーサーにはもちろんのこと、彼らがいつそこにいたのかは分からない。だが背後一歩後ろに位置するルカが明らかな舌打ちしたのを聞き逃すこともなく、わりと近い段階で揃っていたらしい。
しかし問題は今、マーフィが静かに此方へ近づきかなりの近距離にいるということだ。遠目に見ていればそれほどの脅威は感じないのだが、ここまでの近距離、マーフィの背はアーサーの背を軽々と越えており、獣人らしく体格がかなりいい所為かそれだけで威圧感の塊なのだ。後ろに引くという選択肢が見えていても、選択できない。
そんなことも知ったことではないらしく、マーフィはすっと右手を出し、見下しもせずにこう提案する。
「その紙袋とカリバーンを大人しく渡してくれれば、見逃す事も可能なんだが」
「断る」
即答。
アーサーは自分でも驚くぐらいの早さで即答していた。恐らく紙袋の中身だけならばこうはいかなかったのだろうが、カリバーンの名を出されてしまったことでほぼ無意識の防衛本能が働いてしまったのだろう。と追いかけるように思考する。
流石のマーフィもその即答っぷりには驚いたらしく、「ほぅ……」と声を漏らしている。しかし結果的にそれでよかった、その一瞬だけ威圧感が途切れアーサーはすぐさま後退することに成功する。そして。
「そういう話じゃあ、進ませる訳には行かないんだなぁっ!」
次の瞬間には煙が視界を遮っていた。声から判断するに乱入したのはシグレとアンナのようだが、その場に煙幕球でも投げ込んだのはルカらしく、煙の中「お先ズラかるよ!」と突き刺さるように響く。最低限の仕事はしたからもう逃げる、流石だ冒険者ノルマしか見ていない。
だが待て、俺は一体どうすればいいんだ。
視界の遮られた煙幕の中、手下たちの怒声と銃声、四方八方から押し寄せる音の波のせいで自分の位置が特定できず、下がったはいいがそこからが動けない。一応マーフィの持つ聖剣……名はまだ分からないがその攻撃範囲からは外れているはずなので、首を持ってかれるということはないだろうが。ぽかんとしていると「ぼーとしてないで行くっすよ!」と腕を引っ張られる、この喋りはフラットか。そのままずるずるとアーサーは引っ張られ、煙幕の外へ引きずり出される。だがそこで腕を放してくれるわけでもなく、そのまんま駆け出す形になる。
アーサーはシグレたちは大丈夫なのかと訴えるが、すぐさま後ろから「行け!!」とゴーサインが背に突き刺さったので真面目に走ることにする。
「相変わらず、やばいの前にして、逃げないっすよねぇッ」
走りながらでは息継ぎがうまく行かないのか、フラットはどことも分からぬ目的地に向かってどんどん走る速度を上げていく。逃げないというよりかは逃げられなかったのだが。いい加減腕を放せといわんばかりにアーサーは強引に手を解かせると、必死に追いつくように走る速度を同等にする努力をしながら、なりふり構ってられない心情がそのまま露呈するように叫ぶ。
「怖いんだよ仕方ないだろ!」
「ビビリ! アーサーのビビリ!」
「うるせぇ後でアホ毛もぐ!」
ついでに目的地教えろ。
一度マーケットの人混みに紛れ、最初ここにやってきた時のように端に逸れて息を整える。そのうちに目的地を把握する。先ほどの襲撃を聞き宝石男爵は隠れ家で合流という変更の連絡をよこしたらしく、現状その隠れ家が到達目標になるようだ。マーフィ率いるサイズファミリーはシグレ、アンナ、ルカが抑えるのだろうと連絡困難な状況下でそう察し、今はこのジェシーたちから託された情報を届けるのが最優先事項になる。
どうにも他の必要な情報は既に集まりきっていたようで、実質アーサーが運ぶこの情報が最後になるようだった。
「場所は?」
「袋小路の井戸っす」
再び駆け出し、その最中に再確認した「袋小路の井戸」という単語にアーサーは思い当たる場所があった。先ほどまでこの街の地理を頭に叩き込んでいたのだ、むしろ思い当たらなければ学習不足もいいところだろう。
アーサーは「その場所ならさっき行った、先導させてくれ」と志願する。その志願にはフラットが一瞬硬直したように思えたがすぐに「オーケー! 頼んだっすよ」と明るい声で返事が返ってきた。ならば、とアーサーはジェシーに教えてもらったばかりの近道を辿りはじめる。
もう落とさないようにと紙袋を抱えた手にすこしだけ力が入る。これはもう間違いがない、これを届ければ俺たちの勝ちだ。あえて勝ち負けを定めるならばそういうことになる。せめてたどり着くまでは、何も来ないで欲しいと願うばかりなのだが。そういう風に願った時点で、その願いは叶うことがないことぐらいアーサーは腹の底では理解しているつもりだった。