朝靄。
夜が明け朝靄が降りかかる灰色の街は、朝靄のお陰かどうなのかすこしは港らしい雰囲気に包まれている。数時間程度の睡眠とも呼べない仮眠明けのアーサーは、肌寒さに若干身震いしつつも朝の街を歩いていた。散歩というわけではない、コレでも一応の目的は存在する。実は昨日の夜にジェシーからの連絡があった。といっても気がついたのは先ほど……今日の朝のことだったのだが。
内容はいたって単純、「合流したい、夜張り三日の朝シャウトの壁で待つ」。夜張り三日というのは今日のことだ。まぁ、なぜジェシーが端末をもっていたのか、なぜ連絡先を知っていたのかなどの疑問点はあるものの、罠にしては出来すぎていると考え合流に向かっているわけだ。
といってもシャウトの壁につくまでは時間がかかるので、それまでに昨晩の話を思い出しておこう。
昨晩の宝石公爵と待雪草との会議での議題は「一斉摘発への布石」。物事を完遂させるにはある程度の計画が必要だ。なので計画に必要な物を洗いざらいあげていって、さらにその中から必須とも言える要素を絞り込む。といった内容だった。一人と一人と六人と三人の頭があったからか、それらの作業は思ったほど難しくなることもなく必須要素は簡潔に纏められた。必須要素としてはある意味単純では合ったが、集めるのは苦労するだろう。これから合流するジェシーが何か持っていればありがたいのだが。
アーサーは頭痛を覚えながらも、日の上がった時間帯でははじめて来るであろうシャウトの壁までやってきた。朝だからか人はまばらで、風の通り道になっているらしく随分と寒々しいものが駆け抜けている。あまり、長居はしたくない場所だ。
「よー、こっちこっち」
きょろきょろと辺りを見ていると、そう声がかかる。ジェシーの声で間違いはないだろう。声の方角を見やればあの銀髪が風に揺れているのを見つける。「おはよう、生きてたんだな」とアーサーは返しつつ彼に近寄るべく歩いていくのだが、しかし途中で歩みが止まった。
「……おめぇ、なんで生きてんだ」
色素の抜け落ちた白髪、透き通るような青い眼。しかし透き通っていてもその奥に潜んでいるものは、醜いものだと直感的に思わせた。背にはなにやら長い銃、狙撃銃と呼ばれるであろう得物を背負っている。だがそんな奇妙な風体の青年だったとしても、アーサーには問いかけられた意味が分からなかった。一方的な知り合いなのだろうか。それにしては、問い掛けが妙だろう。「知り合いなのか?」と見かねたジェシーが問い掛ける。おそらくはその白い青年に向けて。青年はため息混じりに答える。
「自分の仕留め損なった獲物を知り合いとはいわねぇだろう」
びしりっ、とアーサーのなかで何かにヒビが入る音がした。
「ま、任務続行されてたとしても朝っぱらから殺りあうつもりはねぇよ」
白い青年は名をグラッジ=カデーレと名乗った。本業は賞金稼ぎ、暗殺はあまり得意でもないし乗り気ではなかったそうだ。だからそういった風にいってくれるのだが、「まぁだから安心しろ」素っ気なくため息混じりにグラッジは語った。
まさか自分の頭を打ち抜いた張本人に出会うとは思っておらず、アーサーは驚愕によって寿命が削られる感覚を覚えていたのだが、そういうことならと安堵する。「おわった?」とジェシーが二人の間に割り込むように頭を出した。茶目っ気のある行動を見て、少なくとも飢えからは一時的に解放されているらしい。「あぁ、終わった」とアーサーはおうむ返しのように答えると、ジェシーは合流前の経緯を語り出した。
カローラ教会に拉致られるように保護されたジェシーは、教会の様子が一変していることにすぐ気がついた。どうにもジェシーは幼少期に教会で育った経緯があるらしく、そのおかげで分かったそうだ。その異常さに食事を摂ることでさえ危険だと感じていたジェシーは、昨日教会見学にやってきたフラットと遭遇。彼から端末を受け取り、「いざとなったらここに連絡しろ、それ以上に危険だと感じたらと逃げろ」と言われたらしく、その日の内に逃亡を選択。端末の中にグラッジへ向けた任務が既に発行されていた為、それを頼りにグラッジ本人に特攻。そのままの勢いで教会から逃げ出し、今に至るそうだ。
ジェシーは「危うくクスリ浸けになるところだったぜ」と苦笑する。
どうにも再会してからジェシーの様子がすこし変わったのは、気のせいだろうか。何か突き抜けたというよりかは、何か影が掛かったような印象を受ける。此処まで来るまで何かがあったと思うのが妥当か。
ひとまず彼が端末を持っていたことその他諸々の事情は理解できた。根回しが早いなぁとアーサーはいっそ尊敬の意を覚える。
「それで何だけどさ、はいこれ」
「端末? 別に持っていてもいいんじゃ」
「んーでもそんなかに教会でスった情報全部入ってるからさ、オレが持っててもしゃあないっていうか」
あとこれ例の綿と飴玉レシピな。と横からグラッジが割り込み、紙袋をぼんっと手渡される。
アーサーは一瞬彼らの言っていることが理解できなかった。
教会でスった情報、それはまだ理解出来る。いやそれを成し遂げたジェシーとグラッジは十分に凄いのだが、待て、綿に加えて飴玉のレシピ? ある意味で最も必要としていたものがこんなあっさり手に入っていいのだろうか。
「……まじ?」
思わず口に出てしまった本音に、ジェシーは苦笑していた。
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日が上がっているうちに街を案内すると言い出したのは、ジェシーだった。そういえばこの街に来てから全く地図を見ていない、土地情報は今のうちに頭に叩き込んでおいたほうがいいのかもしれない。港町の朝は早い、こんな時間でも商業通りなどは結構人が出歩いている。すこし前までの慌しさは、昼過ぎあたりから始まるのだろう。
灰色の街はかなり広く入り組んでいる場所もあるからこそ、ジェシーが案内してくれるのはそういう時に使える道だったり、避難所だったりした。ジェシーはこれから起こることが何となくではあるが、予測できているらしい。生まれながら結構頭はいいようだ。スラムでない場所に生きていけたなら活躍の場はありそうなのに、埋もれた才能というのは本当にあるのだなとアーサーは関心する。
「そういや、珍しく一人なんだな」
案内されている最中にグラッジが話を切り出した。
一人。確かに今日は単独行動だ。フラットや待雪草の皆は手分けして情報集めに奔走しているのだし、本当はそちらを手伝うべきなのだろうがフラットが「知り合いには知り合いが迎えにいくべきっす」とゴリ押ししてきたため、今日はそういう行動になっていた。しかし話題に切り出すまでのことだろうかと考えていると、グラッジは勝手に続ける。
「オレがつけていた時はいつも誰かといた」
なるほど、実際そうかもしれない。ブリテンに拉致された頃はマーリンとカリバーンが、故郷へ飛び出していったときにはエイトが、ベンウィックでは冒険者たちが、ハイドレンスではラビットが、そして旅に出てからはフラットが隣にいる。確かに単独行動は久しぶりな気がした。……いや、思い出話よりも前につっこまなければいけない単語が出ているのだが。
「つけてたのか」
「当たり前だ」
「怖いわ、気がつかなかった俺も悪いけど」
「仕事だからしかたねぇだろ」
仕事なら仕方ない。
「どうせだから教えておいてやるよ」
「口説き方だったら御断りだぞ」
「そうそう女を口説くコツはーってちっげーよ! 俺の依頼主のことだっつの!」
この男割とノリがいい。
「いいのかそんな大事そうなこと」
「慈悲だと思って聞け」
「あ、あぁ」
「俺の雇い主はフェイト、見てるだけで禍々しいやつさ。どうにもナントレス国の預言者だとかなんとか」
「待て、色々待てどっからツッコめばいい?」
フェイト、ベンウィックで同じような名前を聞いたが。しかしそこで何故ナントレスが? 単純な疑問府からアーサーは考える。ナントレスはオーグニーに付随するある意味では普通の王国だ。ただ時代によってやたら浮き沈みが激しく──おそらくは王をまかされる人物像がその時代によってかなり異なっているのだろうが、正直付き合いにくそうな国だ。現在はナントレス王何世だったか、かなり過激な暴君と聞いているが。いやでもなぜ今出てくる?
「ボールス領には王がいねぇのは知ってるだろ」
「そりゃあ、まあ、ざっくりとは」
「王がいねぇ国が他国から見りゃどう写る」
あぁそういうことか。他国からしてみれば絶好の的になっているのだろう、このボールス領は。そこでナントレスが地味に侵略しようとしているのか。グラッジ曰くその騒ぎに乗じてフェイトという預言者は、どうしてだか知らないがアーサーを抹消する依頼を出してきた。そもそも預言者が暗殺依頼を出すあたりでツッコミどころ満載なのだが。
「ナントレス王の動きは冒険者達がある程度抑えてるけどな」
「毎回思うんだけど何モンなんだよ冒険者は……」
「さぁ……? まあオレが言いたいのはな、フェイトの野郎はオレ以外にもおめぇを殺せっつー任務を出してる気がするっつかなんつーか、な?」
彼が言いたかったことがようやく分かる、グラッジはわりと人の良い性格をしているようだ。出来れば普通の人であって欲しかったがこれに関してはどうしようもない。
「忠告、痛みいるよ」
「察し良くて結構、それにオマケしといてやるよ。明日になったら恐らくオレの任務も更新される、そうなったらオレはまたおめぇを殺さねえといけねぇ、次会った時は敵だろうさ」
「……そうか」
そりゃそうだ。目標がなんでかはしらないが生きていたのだから、本来ならばこの状況がありえないものなのだろうし。落胆しつつも納得するアーサーをよそに「まぁ元通りになるだけさね。だからこそ言っとく」とグラッジは細長い煙草を噛みながら続けた。
「次はおめぇがオレを殺せ、どうせオレはお前を殺せない」
雑踏の中にしては劈くように聞こえたその言葉は、できれば聞き流してしまいたい話ではあったのだが。