飴玉。
さてアーサーが下水道でスリを追いかけている頃、フラットはさっさと追跡を諦めて情報収集に走り始めていた。
アーサーとの連絡手段はすでに確立してあるのと、彼がそうそうくたばる様なもやしではないということを知っていたからこそ、フラットはあえてアーサーをあのまま突っ走らせた。
正直なところを言えば銀時計はすぐ取り戻せるだろうと思っていたし、もっというなればこの街で起きていることにとても興味をそそられたのだ。胸騒ぎがするといえばまぁそういうことなのだが、あの荷馬車に積み込まれていた物体たちの行方のことがとにかく気になって仕方がない。偶然とはいえ見てしまったとはいえ、そういった騒動に関してはフラットは貪欲だ。野次馬根性もいいところだが、あんなものを見て放置は出来ないものだ。
マーケットの雑踏を掻い潜りながら周囲の看板などを見やる、この街はやたら個人運営の宿や酒場が多く手ごろな情報源を見出すのに時間が掛かってしまう。灰色の街は白夜の街でもある、詳細は言わないがそういう店ばかりだ。間違ってしまえばただフラットのカルマが増えるだけ、立場上そういったことは避けたい。
そんなこんなで街を歩いていると唐突に肩を叩かれる。
「やっほ、久しぶりね」
女っ気のない少女の声には到底似合わない桃色の鮮やかさ全開な服装に、これもまた可愛げ全開のツインテール。歩くクリスマスツリーかと思うようなそれに、フラットは思考を止めて記憶を探る。何せ今まで知り合ってきた人物は多い、特に女性となれば尚更だ。さてこの少女どこであった子だったかな、考えるまでもないか。
「お久しぶりっす、アンナさん」
「盲王戦以来かしら? まさかこんな所で会うとは思ってなかったけど」
アンナ=フリージア、ベンウィックでのロト王戦(盲王戦と呼ばれているらしい)に協力してくれた冒険者の一人だ。
ピースサイドというのはそのままの意味で善良な立ち位置を好む者らしく、こう名乗るものは大抵の騒動に善意の有無はともかくとしても手を貸してくれる。盲王戦で手を貸してくれた冒険者たちは、ほぼこういったピースサイドの連中だった。
思い出話はここまでにしておいて、彼女の話をしよう。アンナは見た目はこうであるが、実際のところかなり上位に食い込む実力者でもある。あれ以降フラットは、「彼女のことだから」「また」大きな騒動に首を突っ込んでは楽しんでいるのだろうと考えていたのだが、まさかこんなからからに干からびて変な臭いがする雑巾のような街で出会うとは思ってもいなかった。そのせいでほんの少し顎に手を当てている時間が長くなってしまった。
こんな所で会うとは、という意味では彼女も同意見らしいが。
「場所は場所で置いといてここであったのも何かの縁だろうし、一緒にお茶しない? 最近美味しい珈琲の店見つけたの」
ここで片目を閉じてウインクするところなんだろうが、アンナはそんなこともせず、どこか垢抜けたような印象を受ける。恐らく普段は見た目よりももっと堅実で大人しい人なのだろう。お茶のお誘い。とはいっても普通に考えるような空気にはならないんだろうな、とすこし残念に思う。アンナは見た目は相当の美人だが中身は別だ、今までの言葉選びも足して考えれば当然のことだろう。
フラットは内心ため息をつきつつも、にっと笑って答える。
「いいっすね、俺も丁度暇になったところなんっすよ」
やれやれ、これがフィクションで尚且つラブコメであればすこしは楽しげがあるのだが。
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アンナに誘われてやってきた喫茶店はマーケット区域からすこし外れた位置にある、海岸区の裏路地にあった。モダン基調の落ち着いた、いっそ喫茶店というよりかは酒場に近い雰囲気で、聞けば夜はカクテルや酒も出しているらしい。こういう店を隠れ家的というのだろう。
カウンター席に座ってメニュー板を眺めると本当に普通の喫茶店らしいものばかりだが、グレイスタウンにしてはかなり良心的な価格設定。どうやら趣味で経営している店らしい。
「あたい的にはケーキセットをおすすめするわ、特に焼きショコラ」
「なるほどー、それにしよう。アンナさんはどうするっすか、奢るっすよ」
「じゃあお言葉に甘えて」
注文した品が届いてもアンナもフラットも、互いに他愛もない話をするような気分でもなく、殆ど淡々とした会話になってしまう。予測はしていない訳ではなかったが、なんとなくではあるのだが、どうにもこうにもケーキの味が薄まる感覚を覚える。
フラットは昔からそれも子供の頃から冒険者という人種と交流していた。だからこそ、この感覚には慣れがある。同じ人間なのは確かなはずだが、やはり違うのだ。彼らと自分たちは。
かしゃりと小さく音をたてながらティーカップを置いたアンナが、すこし表情を曇らせながら話題を切り出した。
「このタイミングで話すような話じゃあないんだけど、いいかしら」
「別に構わないっすけど」
「飴玉のマーク、みたことない?」
殆ど唐突といってもいいタイミングで飛んできた単語に、フラットは「あぁ、」とどこか遠くに意識を飛ばす。
飴玉のマーク。
どう足掻いても、あの荷馬車に積み込まれていた容器に描かれていたマークのことだろう。何も知らないものが眺めれば、ただのお菓子が入っているであろうことを示すマークにしか思えないのだろうが、実際は違うことをフラットは知っていた。
「氷の亜種かなんかなんっすか、あれ」
「氷より砂糖のほうね、あなた分かってていってるでしょう」
「ばれたか」
「もろばれもいいところよ、すこしは慎みなさい」
世の中には氷や砂糖といった隠語で呼ばれる嗜好品がある、所謂使ってはいけないクスリのことだ。所詮この大陸は酷い災厄の時代、むしろ今まで表立って出てこなかったほうが異端なのだろう。大体察しはつくだろう、あの飴玉のマークが描かれた容器の中身は一般人が触れてはいけないクスリだ。フラットはあれを見た瞬間に気がついていた、そして同時に諦めていた。何に対してという話ではない、ここまで来てしまっていたのかという街への諦めだ。ああいったものを取り寄せた時点で、街の行く末はたかが知れている。
「最近になって持ち込まれたようでさ、お陰さまで今度の露払いがとんでもないことになってるのよ」
「あれ、露払いって今回ここだったっすか」
「ウロボロスで察して頂戴」
要約すると、あの飴玉のマークが描かれたクスリのせいで街の人々の気力などが殺がれている所為で、冒険者たちが独自で行っている大規模なイベントの進行に支障が出ているそうだ。恐らく冒険者当人たちには影響はないのだろうが、街の人々に影響が大きく出るのだろう。話の感じからして状況はかなり深刻なようだ。
アンナが自分からこんな話を振ると言うことは、そういうことなのだろう。やれやれ面倒なことに巻き込まれてしまったものだ。しかし巻き込まれるのは慣れているし、巻き込むのもしてきたのだから対処法は読めている。まずは情報だ。手っ取り早いところでその飴玉について知らなければどうにもならない。
「で、あれは具体的に何になるんすかね」
「そうねぇ……前提条件で聞くけれど、あなた、コットンっていう煙草は知っているかしら」
「いや、生憎そっち方面は手をつける予定もないっす」
「でしょうね」
それで? フラットは話題を続けるように促した。
「コットンは綿植物から作られる煙草よ、癖は強いけど単品なら問題はないわ」
単品なら、という単語にフラットは引っ掛かるものを感じ取った。小汚い実状を情報としては知っているフラットだが、そこから応用をかけることについてはまだ学習途中だ。だがすこしぐらいの予測はできる。「単品なら」、ということは「単品ではないのなら」何かしらの引っ掛けがあるのだろう。フラットにとってはたいした思考時間ではなかったのだが、アンナにとっては長かったようだ、アンナはそのまま話を続ける。
「最近分かったことなんだけれどね、コットンは砂糖と掛け合わせるととんでもない効果を発揮するらしいの」
そんな発想どこから持ってきたのやら、開発者の思考回路を疑いたくなるような話だ。砂糖は魔法的な要素から作り出された人工物、自然界にはない物質も当然多く含まれている。それにコットンと呼ばれる自然由来の物質情報を叩き込めば、正直何が起こるかわかったものではない。
「因みにどんな?」
「野犬に格下げになるわよ」
「そりゃあとんでもないっすね」
暫定的にその掛け合わせて出来た物体、飴玉のマークで区切られるそれは「ドロップ」と呼んでいるらしい。街で横行する「ドロップ」、恐らくこの街へやってきたときに襲ってきた連中はこのドロップを狙っていたのだろう。そして今目の前にいるアンナ……というよりかは冒険者はドロップの侵行を止めたい、といったところか。
「この街にレシピと材料が揃っているはずなの」
「見つけたら売れってことすか」
「そうね、そういうことになるわ」
材料に関しては物が確定しているからすぐ見つかると思うのだが、とフラットは素直に聞く。だがアンナは首を横に振り「名称を知っていても、それがどんな形状をしているかなんて知らないのよ」 と答える。たとえ書物にコットンが描かれていたとしても、それがそうと判別するには知識がいるということらしい。
「ま、こんなところかしら」と喋りつかれたようにアンナはため息をつきながら席を立った。そしてフラットの肩を叩いて耳元で囁く。
──気をつけなさい、つけられてるわ。
いつになく真面目でしかない声に、フラットはその意味を理解するのに数秒を要し、気がついたときにはアンナはもう店を出て行ったあとだった。既に二人分の代金を払われた後で、結果的に奢られてしまった。その意味をフラットは何となく理解してしまい、挙句頭痛すら覚える。
「安い仕事っすねぇ」
ケーキ二個と珈琲二杯分の依頼領は、流石に割に合わないだろう。
フラットは宿に戻る道を確認しながら、やっぱり憂鬱な気分に陥るのだった。