沈殿。
荷馬車を襲った強盗たちは、ものの数秒で白旗をあげた。
フラットの合図で飛び出した武器を携えた者たちは各自の判断に従い脅威を処理し、あっさりと乗客と荷物を守りきったのだ。アーサーとフラットはほぼ流れ弾(といってもちゃんと強盗だったのだが)から乗客を守ることに徹し、あくまでもぼろい包囲網を瓦解させたのは襲撃に慣れた傭兵や冒険者たちだった。朝靄で視界も悪いというのに、「慣れている者たちは違うな」とフラットは汗を拭いながら言う。
「ふざっけんじゃねぇ! 聞いてねぇぞ!」
「うるせぇ鉛の鎮静剤くれてやろうか」
「黙れクソガキがっ、このハイエナ風情が」
「お前ら、すこし落ち着け」
縛り上げられた強盗たちが荒声を上げている。キンキンする声というよりかはくぐもった、唾液がひっからんだような汚い声だった。罵声としか言いようがない発言が宙を舞っては消えていく、アーサーはそういった罵声には既に耐性がついていたからこそ何も思わなかったが、耐性がないであろう乗客の何人かは耳をふさいでいた。フラットはやれやれとため息をつきながら、「ああいうのはホント……」とぼやいている。後半はあえて聞かなかったことにした、語るほどの価値はない。
もう街の門がみえている距離まできていたので、数人が街の警備隊に通報を入れに向かった。もうじきに警備隊の連中があれらを連れて行ってくれるだろう。暇だな、とアーサーはぼんやり思っていた。一応目撃者で応戦に参加した身、一応、そういう報告は必要になる。形式上の都合だ、仕方がない。適当にイヤーカフを弄りながら時間がたつのをまっていたのだが、ふとその罵倒の中に気になる言葉が飛んでいた。
「ようやくシュガーにありつけると思ったのに」
シュガー。何のことだったろうか、考えるまでもなくアーサーはすぐに情報を求めて視覚を動かしていた。
強盗たちの様子を見る、先ほどまではただ酔っているのかと思っていたが今考えれば異様な姿だった。唾液をだらだらと流す男や、どこかぼうっとしていて尚何かを呟き続けている痩せこけた人物、一声奇声を上げた後黙り込んでじっと睨みつけてくる者、それらもろもろの目つきは飢えた野犬と同等にぎらぎらしていた。
そして無礼を承知で荷馬車の中にある積荷、木箱の蓋をあける。操者を兼任していた商人は通報のために街へ向かっていたせいか、不思議とそれを咎めるものはいなかった。それどころかフラットが怖いものみたさなのか一緒に覗き込んでくる始末、彼の好奇心は自分より上なんじゃないかとアーサーはつくづく感じる。
さて、肝心の中身だが。
「……なにこれ」
木箱いっぱいに詰め込まれた液体が入っているであろう容器。匂いはしない、一見しても使用用途の分からない容器がずらりと顔を覗かせている。容器には飴玉のようなマークが描かれていたが、そのマークが何を意味するのかアーサーには分からなかった。「分かるか?」と言わんばかりにフラットへ視線を飛ばす、フラットは顎に手を当て何か考えながらも、驚いているように見えた。その手の内から「まじかよ……」といった声が漏れている。
「フラット?」
「……これ、ちょっと洒落になんねーっすわ」
その後に何か続けようとしたのだろうが、遠くから警備隊らしき声が聞こえたことで中断される。フラットは黙々と木箱を元通りに戻しているところをみるからに、何も見なかったことにしようということなのだろう。アーサーはそれを汲み取り、その後の聞き取りでも襲撃されて応戦したとそれだけを答えた。当然お咎めなしを頂戴しそのまま解散となった。正直にいえば、肝が冷えた。見てはいけない何かを見たというのは、あまりいい気分ではない。
──嫌な予感しかしない。
門を潜りながら、漠然な予感に頭痛を覚えた。
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グレイスタウン、別称灰色の街。
前述で粗方説明したように二つの層によって構成される港町だ。だが内情がどうであれ港町は港町、あらゆるものの通過点になりうるこの街は技術こそないが、とにかく流れていくモノが多い。人も、物も、金も、あらゆるものが流れてどこかへ送られていく。その中身は関係なく、そういう街なのだ。
だから人が溢れている、それはもう街が収容できる数を大幅に超えている。
「すまん、人酔いした。気持ち悪い」
「想像以上の耐性のなさにオレはびっくりっすよ」
「うるさい、つらい」
人酔いするのも仕方がないだろう、アーサーは顔面蒼白になりながら買った水を飲み干した。
宿屋に向かうにはどうしても商店街を通り抜けなければならなかったのは分かる、だがその商店街に溢れる人間の数が多すぎる。案の定といえばそうなのだが、もみくちゃにされてようやくそこを抜け出したのだ。酔っても仕方がない。フラットが買ってきてくれた水がなかったら、自分はとっくに吐いていただろう。
宿まであとすこし、それまでは歩かなければ。これ以上は迷惑はかけられない。
殆ど意地で歩き出したアーサーにあわせるようにフラットは歩いていく。まぁ、こういうのって新人教育っぽくて面白いか。そんな風に考えながら苦笑する。微笑ましく見守っていくかとフラットが考えていた矢先、アーサーがこけた。
「うわっ」
「だぁ!?」
こけた、というより殆ど事故だった。アーサーは尻餅をつきながらも横から飛び出してきたそれを見る。銀髪に黒い布を巻いた十七歳ぐらいの、目が濁っている少年だった。少年は慌てて立ち上がると、こちらへ手を差し伸べてくれる。本当に事故だったらしい、アーサーはその手を取って立ち上がる。
「ごめん、怪我ねーか?」
「あぁ、大丈夫だ。キミは」
「心配にはおよばねぇさ、じゃなー」
軽快な口調で去っていく少年をどこか唖然としながら、アーサーはそれを見送った。フラットもそれを同じく見送り、さてさてと歩き出す。
そういえば今何時だっけとアーサーは思い、銀時計を取り出そうと懐を探る。
「……あれっ」
ここに入れると決めていたポケットに手を突っ込んでも、そこにあるべきものがない。まさか別の場所にと思って考え付くところを探すが、銀時計が一向に見つかる気配を見せない。おかしいな、何だかこれ以上ないぐらいに嫌な予感がするな、まさかそういうことなのか。そういうことなのか。焦るアーサーの様子を見てフラットが声をかける。
「どうしたっすか」
「……ない」
「えっ」
「銀時計がない」
「まじで」
「うんまじで」
あからさまにヤバイという空気が横たわる。銀時計は身分証明品、自分のミスでなくすということは早々ないはずだし、アーサー自身落し物をするようなドジっこではないことぐらい、二人は分かっていた。分かりきっていた。だからこそアーサーとフラットに考えられる予想は一つしかない。
「…………スリっすか」
「うん、それしかないと思う」
「……、」
「……、」
さっきのガキどこいきやがったぁああああああッ!
ほぼ同じタイミングで走り出したアーサーとフラットは、とにかく思考と視界をフルに動かし先ほどぶつかってきた銀髪の少年を探す。あの少年、考えれば身なりが完全にスラムだった、そういう可能性がなかったわけではない。アーサーは自分の警戒心のなさに一瞬の苛立ちを掻き立てられながら走る、その最中に一点、視線がそこへ釘付けになるような感覚を感じればすぐさまその理由を理解する。
いた。銀髪に黒い布。間違いない。
「見つけたっ、」
「まじっすかどこっすか!」
「向こうッ、橋の近くッ!」
簡潔に行き先を伝えアーサーは人ごみのなかを縫うように走っていく、そして人ごみの迷路を抜けた先に目的の少年の姿をこんどはハッキリ捉えた。
「げっ」
少年はぎょっとした様子でこちらをみると、とにかく逃げ切りたかったのか橋から飛び降りてしまった。ここで逃がすわけにはいかないと、アーサーはそのまま後を追うように橋の柵を軽々と飛び越え落ちていく。フラットの驚く声が背後から聞こえたが、それなりに連絡手段は確保してあるので大丈夫だろうとアーサーは自分の不安を言いくるめる。
完全に無策で飛び込んだ闇の中、汚臭のする空気へ潜る感覚に懐かしいものを感じながらアーサーは落ちた先の「世界」に、既視感をみることになる。