曇天。
銃口を頭に押し付けられる恐怖と言うのは、言葉にできないほどに恐ろしいものだと、その日アーサーは知った。
そして同じく銃口を突きつけたその先には、月に似た光を宿した狼の目が待ち構えている。土砂降りの雨の中それでも真っ直ぐに打ち抜いてくる視線に怯えながらも、アーサーはほぼ死に物狂いで引き金に指を掛けていた。初めてそれらしい殺傷武器を手にした瞬間から覚悟していた事態に、脳は処理しきれても心象は拒絶反応を起こす。
生死を分ける境界線に立つことは今までもあったはずだ、だけれど「人の命を奪うかもしれない」この状況は記憶を辿る中では始めてでしかなくて。
それでもどうにか生き抜く手立てを考え続ける思考回路は、この場においてはいっそ異常とさえ思えてくる。ぐるぐると巡っていく思考は曲解しながらも生きることに尚ご執心でしかなく、答えはこの場で撃つという惨く端的な選択肢に集約される。
「死者は黙って眠っているのが礼儀というものだろう、なぁ、鼠王」
最中に言い放たれた言葉は、ただひたすらに不条理でしかない死刑宣告でしかない。だがそれでも飲み込まなければならないのも事実であった、それだからこそ自分はこの場面に縫い付けられる破目になってしまったのだが、こればかりは今嘆いてどうにかなる問題ではない。
引き金に指が触れ、徐々にそこへ力は掛けられていく。心象では望まないはずが思考がそれを突き動かしていく、引きずっていく、引っ張られていく。まるで糸がそうするよう命令を下すように、思考は当人の感情を無視して身体の支配権を奪い乗っ取っていく。しかしそれは「彼」も同じことで、雨が濡らす色素の抜けた髪は徐々に黒々と穢れていく。まるでどす黒い感情が思考を沈めていくように。
「──じゃあな」
鉛の鎮静剤は黒い血飛沫と共に舞う。
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前略、アーサーとバン王……フラット(以後これで通す)は題名も知らない曲を聴きながら、人を荷物としか考えていない馬車に揺られていた。
潮風が隙間から入り込んでくると「あぁ、海辺が近いんだな」と当然のように考えたりしながら、アーサーはここまで来た経緯を改めて思い出す。といってもただどうやって湖までいくか、その道筋を選んだまでのことなのだが。
例の湖「覇者の湖」と呼ばれているのだがそこへ向かうには二つのルートが存在した。ひとつは山を越えてぶっ続けで歩くルート、こちらは人にあうことがない分距離は短い。もうひとつは一度海岸方面に出てそこから街から街へ移動していくルート、こっちは距離はあるが最低限休息は取れる。この二択でアーサーは迷わず後者を選択した。旅慣れしていないというのに山越えは無理だ。
そして海岸方面を目指して城下町で馬車を拾い、今こうしてぐらぐらと酔いそうな揺れに耐えているというわけだ。
「次の街はちょいと覚悟しといたほうがいいっすよ」
フラットが不意に囁いた。声が小さいのはきっと今の曲を邪魔しないためだろうということで無理やり納得する。さて話題に上がった「次の街」、アーサーには多少の記憶がある。
通称灰色の街。裕福と貧困が同時に存在し完全な一つの階級社会が出来上がっている港町だ、港町なお陰で曰く付きの品物も多く取引されているらしく街の警備隊は随分頭を抱えているらしい。そういった相談ごとをアーサーは一度玉座で聞いていた、聞いてはいたがマーリンの指針に従って手を出すことはしなかった。今思えばマーリンの指針は正解だったのだろう。アーサーは元貧困層出身だ、不用意に敵を造りかねない。
しかしフラットが警告したいのはそういった普通の事情ではないらしい。
「鼠やら氷やら砂糖やらはもちろんのことっすけど、あの街は冒険者たちの数少ない本拠地っす」
「本拠地?」
「冒険者たちが特に多く滞在してる街をそう呼ぶんっすよ」
彼らが多く出入りする街は無条件に騒動が起きる。起きやすいという話ではない、絶対に何かしらあるのだとフラットは語る。もうあれは歩く死神だとすら言い放つ、そんな物言いをしていいのだろうかとアーサーは思ったがよくよく思えばそう敬う連中ではないよなと思い至る。
大変な旅になりそうだ。アーサーは今更ながらに今後の行き先に待ち構える黒雲を眺め、どこか気が遠くなる感覚に陥った。ため息混じりに視線を漂わせれば、お守り代わりに右手に握っていたそれに目が留まる。
それは掌に収まる大きさの、銀で出来た懐中時計だった。
世の中、身分証明品というものはとても大切だ。今までそういったものがないまま彷徨っていたアーサーにとって、この銀時計は非常に安心出来るお守りとなっている。簡単に言ってしまえばこの銀時計は「ブリテン王家に属する証」であり、同時に旅人である証明品でもある。
ブリテン王家の紋章が刻まれた銀時計は分かる人には分かるようになっており、さらに後者の意味では(アーサーは旅人の世界をまだ理解しきっていないため実感はないのだが)この証明品を所持していれば常に旅人としての扱いを受け、国境の関門などで細かい手続きをせずに突破できるというのだ。
長らく旅人や冒険者が存在し続けるこの大陸だからこその制度といえよう。
「……流石に三連続で聖剣にぶち当たることはない、……と思いたいな」
「アーサーさん、それフラグっていうらしいっすよ」
フラグは圧し折るものだとマーリンが言ってた。
一応荒事に巻き込まれてるのを考えて聖剣エクスカリボール以外にもう一振り、カタナと呼ばれる極東地方特有の剣を持たされている。ただ実戦となって渡り合えるかと聞かれれば不安しかない、剣の稽古はさせられていたが剣を用いての実戦経験はないから仕方がないといえば仕方がないのだが。やはりすこしは自己防衛能力がほしいと単純にアーサーは思う。
それら含めても大変な旅になりそうだ。
ふと様子を眺めてみようかと、アーサーは隙間から外を伺おうとした。
したのだが。
「止まれェッ!」
怒声と馬の驚く声によってそれが阻まれる。馬車に乗り合わせた客たちは何事かとざわめき始め、アーサーを含め全員が事態の把握に手間取っている。ただフラットは一人冷静に聞き耳を立てると、大体の状況を把握。それを理解したうえで面倒くさそうに息を吐いた。さらに聞いていれば馬車の操者と襲ってきた連中が言い争いをはじめる。相手もこちらも強気だということはよく分かったといった風に、フラットは無言で得物を構えアーサーにも同じように構えるように促した。
「命が惜しいんだったら積荷をよこしな!」
アーサーはそのやたら響いた台詞で状況をようやく把握する。そうか、この馬車は今山賊かなにかに襲撃されているのだなと。フラットに促されたまま構えた刀に力が入る。それでも耳元でちろりとなるカリバーンの音色を聞きながら、なんとか自身を落ち着かせて深呼吸をした。なるほどここで実戦か、どこか淡々と考えながら精神を尖らせていく。
最後にぐるりと周囲を見れば、怯えている客と既に構えている客とで真っ二つに別れていることに気がついた。怯えているのは普通の客、そうでないものは恐らくそういったことに慣れている者なのだろうとほぼ無意識に考え付く。ひとまず、フラットとアーサー二人だけというわけではないようだ。
「合図、3カウントで」
フラットが手馴れているのか、構えている者たちに指示を出す。正直彼のこういった判断と指示能力に関してはお前は王じゃなくて傭兵かなにかだろうといってやりたい、いったところで何が変わるわけではないので黙っておくが。
指で差し出されるカウントダウンに集中しなおしながら、アーサーは心の中で「大丈夫だ」と暗示をかけるのであった。