局外者。
世界が遠いと、アーサーは昔から感じていた。
下水道から空を見上げた時、青い空が本当に別世界のように遠くに見えるどころか青い色すら見えなかった。
閉じた世界。
世界は檻で出来ているとすら思えてくる。
あのころは酷く環境の悪い檻だった。食事もまともに取れず、何も出来ないまま何もしないまま時間を浪費していく、まさしく檻の奴隷。
今はすこしはマシになったかもしれないけれど、結局のところアーサーの見る世界は何一つ変わってはいなかった。物語が目の前を通り過ぎていくだけ、アーサー自身は結局何をしたわけではない。ただ考えて、教えただけ。実際に頑張っているのは周りの人々で、自分は何が出来るわけではない。最初から分かっていたつもりだった。剣術も得意ではないし、魔法も使えない、人との接し方だってようやく覚え始めたところで、特に何か秀でているものなんてない。すこしだけマイペースで思考を回せるだけ。
それで、何ができるというんだ。
それで、何がなせるというんだ。
どうして自分が選ばれたのだろう? 疑問ばかりが今の檻を埋めていく。世界はまた、閉じていく。あの少女の鈴の音だけを頼りにして。
脚は、既に折れそうだった。
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魔女というのはああいうものを指すのだろう、とアーサーは思う。
紅のドレスを纏い微笑む薔薇の魔女ローズ=ウリエンスは、恐ろしいまでの美女であった。すこしくしゃくしゃした黒い髪は夜の帳に酷似した色合いを見せ、赤い瞳は質の良い柘榴石によく似ていた。そして人間離れしているほどに整った顔は人形の持つ独特の恐怖を裏に潜め、細身の身体は健康体そのものなのだろうがさらけ出す雰囲気が妖艶の一言に尽きる。表だけ見れば絶世の美女なのだろう、だがアーサーの目には魔女にしか見えないのだ。
背筋が凍るほどの、魔女にしか。
「お話を、と思ったけれども先に場所を変えましょうか。ここ、じめじめしてて嫌いなの」
さて、そんな風に檻から出されたアーサーとラビットが案内されたのは、彼女のお気に入りらしい薔薇園だった。お茶会まがいの何をするつもりなのだろうか、座らされた席に不信を重ねながらアーサーは頬杖をつく。
出された菓子や珈琲には流石に手を出す気にもなれず、ローザの長々とした話を聞いているわけなのだが彼女の話が長くて本筋が見てこない。
「ローザさん、」
「何かしら?」
「単刀直入に聞く、何が目的だ」
「……ふふっ、貴方は意外とせっかちなのね」
「子供に忍耐力を求めるのがそもそもの間違いだ」
「まぁ、随分と大人びた子供ですこと」
「子供っぽく長々と話をする魔女よかマシだと思うが」
アーサーは思う。こいつとはあまり相性が良くないらしい。
頬杖をつきながらイヤーカフのカリバーンを撫でる、ローザとカリバーンはすこし似ているがどちらかといえばローザはじめっとしている。昔からじめじめしているところは嫌いだ、雨の臭いも嫌いだ。それと同じ臭いをローザからは感じるのだろう。
「別にたいした話ではないわ、すこしだけ手助けして欲しいだけ」
カップを置きローザは手を組みながら微笑む、気味の悪い笑みだ。その問い掛けの内容に反して挑戦的とすら思える。
ラビットはそのローザの様子を見てすこし苛立っているらしい、小さくだが確かに舌打ちした音が聞こえた。先ほどからラビットの様子がおかしい、特にローザにあってからずっと。知り合いのようだがあまりいいものではなさそうだ。……しかし、手助けか。
「手助け?」
「私の国とリエンス……湖の向こうとが戦争してるというのは」
「ラビットに聞いた」
「そう、なら話は早いわ」
「戦争の手助けはしないぞ。俺は戦えん」
「あら、それは残念。でもそれで引き下がるほど余裕はないのよ」
その言葉が終わると同時だったか、ローザが指を鳴らしたのは。気が付いたときには剣の矛先を向けられている状態であった。目玉だけぐるりと回せば空中に複数の武器と言う武器が浮かび、それら全ての矛先がアーサーとラビットに向けられているということは分かる。
魔法か。
物騒な魔法もあったものだ、こんなものマーリンなら即刻破棄するだろうに。
この状況、簡単に表現するなれば脅されているのだろうとアーサーは考える。ここまでされるほどアーサーに価値を見出しているのだろうか、いや違うか、アーサーではない、ブリテンの王に価値を見出しているのだろう。何のために? 聞いても答えるとは思えない。毎度のことではあるが相手の考えが読めない。前回はまだ良かったんだ、バン王には助けてもらった恩があったからまだ素直に動ける。
だが今回は、違う。明らかに。
しばしの硬直が続く。絶対零度に似た空気は喉をつぶすように重く鋭く、崖っぷちに似た感覚に沈む。
「いい加減にしようぜ、ローザ。アーサーはこんなんで動くヤツじゃねえよ」
ラビットの声が空気を切り裂いたように響き、突如として周囲の武器たちは糸が切れたように重力へ従う。がらんとした金属音の合唱が数秒で終わったころには、ラビットは立ち上がり手持ちの杖をローザの首筋を向けていた。正直何が起きているのがかアーサーには分かっていない。原因はある意味で明白だった。
「それにオレの友達に手ェ出したらオレがどうするか、この前教えたと思ったんだけど」
「……まったく、あなたはどこまで私の邪魔をするつもりなのかしらね」
「分かってるくせによく言うぜ」
ラビットの声に殺意しかない。
ローザの声には嫌悪しかない。
既に険悪という領域ではない、殺伐した空気が、関係が、息を絞り上げるように首へ縄を掛ける。
アーサーはその状況に置いていかれながらも必死にその場を理解しようとしていたが、それを深読みするには彼らの情報がなさ過ぎる。呆然とするしかないアーサーを置いて、ラビットはさらに行動を重ねる。
「帰るぞアーサー、こいつの話は聞いちゃダメだ」
「本人を目の前に中々容赦がないわね」
「嘘をいえなくした本人がいうな。とにかく行こうぜ」
ラビットはアーサーの腕を掴み、そのまま引っ張って薔薇園を去ろうとする。大丈夫なのだろうかという不安すら感じさせない迷いのなさに、アーサーは彼に従う以外の選択肢を切捨てられてしまう。いや、そもそもここでは自分は無力だ。そう思わざるおえない状況下で取るべき行動は一つしかない、ラビットに任せるしかない。ここでいうアーサーの立ち位置といえば、騒動に巻き込まれた訪問者だ。主導権はラビットにあるのだろう。そう考えればもやもやはすっと晴れていく。
役者は、台本に従えばいい。
ラビットに腕を引かれながらローズの城を駆け抜けていく、後ろからはまたあの魔法使いたちや精霊たちが追いかけてくる。捕まれば今度こそアウトだ。久しく焦りを覚えるアーサーにラビットはほぼ前を向いたまま話しかけた。
「アーサー」
「なんだ?」
「わりぃ、巻き込んだ」
「……もう慣れたから気にすんな」
「そっか」
城のベランダまで走りぬけたところでラビットが「跳べ!」と叫ぶ。とっさの判断はその声に従ってアーサーは思いっきり宙へ跳んだ。このまま落ちれば地面に叩きつけられる、そんな高度なわけだが不思議と心配はなかったのだ。ラビットならこの状況を簡単に覆せる気がした。妙な安心感はあの冒険者たちとよく似ている。そんな風に考えながら数秒の中を飛ぶ。
「──モルドレッド!!」
風の中ラビットが叫ぶ、その声に答えたのか既に待ち構えていたのだろうか。聞き覚えのある魔法馬の駆ける音を耳にする。影から飛び出した黒い魔法馬はあっという間にアーサーとラビットを抱きとめ、そのまま加速しウリエンス領から離れていく。アーサーは魔法馬乗りを見る、まさかお前に助けられるとはな。
「味方だったならさっさと言えよ、馬鹿」
「私はラビットの味方であってアーサー、お前の味方ではない」
拉致してきたあの魔法馬乗り。モルドレッドという名らしい彼はやれやれとため息をついているようだった。