漂着。
前略、アーサーは空中を漂っていた。
最早聞き慣れた魔法馬が奔る音に半分飲み込まれながら、せめてこれだけは離すものかとカリバーンを握り締める。高度はさらに上昇し、速度も確かに上がっている。打ち付ける風が質量を持ってアーサーを襲う。今日も空は綺麗だなぁと遠目に現実逃避しながらも、さてどうしようかと思考をめぐらせる。
いや、現実は見なければいけないのだが。
「どういうことだってばよ」
「寧ろ私が聞きたい」
「拉致した当人がいう言葉じゃないよなっ!? 大体どこ向かって奔ってんだよ寒いっ!! なんかしらないけど物凄く寒いっ!!」
一言で言えば、アーサーは拉致された。いや拉致といえるほど上等なものではない、これはもう事故からの引き摺りだ。
状況説明をしよう。あのまま広場で撤去作業に加わるつもりだったアーサーは突然後ろからやってきた謎の魔法馬乗りに拉致され、そのままベンウィックを離れることになってしまう。自身の状況を振りかえりこのまま拉致されても然したる問題ではないと考え特に抵抗はしなかったが、ふと後ろを見れば箒に乗った魔法使いたちの部隊が。この魔法馬乗りが追われているのか、アーサーが追われているのかといえばアーサーのほうが追われていることになるらしく、そのまま大空で箒部隊とのランデヴーに洒落込んでしまった。
何を言っているかが分からない? 大丈夫だ、俺も分かってない。
「捕まえろー! 一番乗りにはボーナス点だー!」
「人をレアモンみたいに言うなってうわっ、何か撃ってきたんだが!?」
真っ黒い炎のような弾丸が大空を舞う、箒部隊が何か詠唱しているような様子を見せているためあれは魔法の類なのだろうと考える。魔法馬狙いなのだろうがあんなに撃ったら間違いなくアーサーたちにもぶち当たるだろう、二回目の誤射までは愛だと聞くが、この状況下では一度目の誤射でも殺意だ。殺意しかない、捕まえろといってはいるがどうせ生死は問わないんだろう。そうなんだろう。
「なぁこれ本当に大丈夫なんだろうな?」
「駄目だろうな」
「その心は」
「ありゃ自動追尾付きの魔法弾だ」
「せめて避けきる努力をしろぉっ!!」
珍しく声を荒げたアーサーの主張虚しく、魔法弾の一発が魔法馬に被弾。急にバランスを崩したそれは黒い煙を吐きながら高度を落としていく。眼下に広がるのは霧かかる広大な森、その中に大きな湖があったことをアーサーは確かに記憶する。落ちていくその先にあるのはあの湖だ。目的の湖とは違うだろうが、水に落ちるならばまだ生存確率は高いというか生き延びれるというかぶっちゃけ墜落死とかいやですカリバーン。
思考の暴走もまったく無視して落っこちていくアーサーと魔法馬乗りは、切実に自分の生存を祈っていた。
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漣が聞こえる。
ぼんやりとした視界に大きく映るのは、ある意味ではアーサーが一番待ち焦がれていた姿でもあった。
『おはよう、アーサー様』
「……カリバーン?」
『そうだよ。アタシ、カリバーンさ。アーサー様、もしかしてアタシの顔忘れちゃった?』
「まさか」
笑顔の化粧で相変わらず表情の読み辛いその顔を、忘れるわけがないだろうに。アーサーは起き上がり、ふとあたりを眺めてみる。この前のあの息苦しい死にそうな思いをした場所、というわけではなさそうだ。近くには碧く煌く小さな川が筋を作るように流れ、あたりに浮かぶ同色の光は書物にあった「蛍」とよばれる虫の光のようだ。綺麗な場所だと、アーサーは珍しく素直に感じる。
そういえば、カリバーンはどうして此処にいるのだろう。眠っていると聞いたはずなのだが。
『アタシ? あぁ、あの湖とこの国の空気のお陰でなんとかアーサー様とお喋りできるぐらいには復帰したんだよ』
「湖と、空気でどうにかなるものなのか」
『ある程度はってところさ。完全に復帰するにはあの犬っころが言ってた湖に行くしかない』
「そうか……早くそこに辿りつかないとな」
『無理はダメだよ』
「分かってる」
『そういう風にいう人間ほど、倒れやすいって聞くよ』
「そうだっけ?」
『そうだよ』
だからあまり無理はするなよ。とカリバーンは鈴をちろりと鳴らしながらアーサーの頭を撫でる。くすぐったいからやめろとアーサーはようやく年相応の反応を見せると、カリバーンはまたによによしながら頬ずりをする。冷たい頬がやっぱりそうだよな、とアーサーは思う。彼女はやっぱり人間ではなくて、精霊なのだろう。いやこいつに精霊なんて可憐な呼び名は勿体ないな。やっぱりこいつは死神だ。死神が傍にいなければ不安に心を駆られるのも、かなり奇妙な神経なのだろうが。
「カリバーン」
『なぁに? アーサー様』
「多分、お前を元通りにするにはまだ時間が掛かると思う」
『あぁ、そうだね』
「だから待っていてくれるか」
『アーサー様が頑張ってくれるっていうのに断る訳がないじゃないか』
「そうなのか」
『そうだよ。だってアーサー様はアタシの、アタシはアーサー様のものじゃないか。だからちゃんと待ってるよ、アーサー様』
「まったくお前は……」
強風が一瞬だけ視界を遮った。
出来ればもう少し話していたいのだが、湖に落ちて此処に来た以上あまり長居するわけにもいかない。あのアーサーを拉致してきた魔法馬乗りのことも気になる。まさか死んではいないだろうな、いや寧ろ死んでいたら困る。
まったく、まだまだ不安ばかりで今のところ国に帰ることすら危ないというふざけた状況下、こんなんで大丈夫かと言われれば問題しかない。戻るのが怖いかといわれれば怖い。だがどうにも立ち止まっていられるほど、この命は軽くないのだろう。
カリバーンはアーサーの背に寄りかかり、凛とした声で確かに囁いた。
『アーサー様、大丈夫だよ。アタシはアーサー様の隣にいてあげる』
あぁまったく、お前と言うやつは。
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「あっれー? ここらへんに落ちたと思ったんだけどなぁ」
ざくざくと湖畔を歩いていく少年は、周囲をきょろきょろ見渡してはうーんと首を唸らせる。
少年は課題の途中であったが、たまたま見かけた流れ星が湖に墜落したのを見て思わず課題を投げ出してきてしまった。流れ星がこんなに近くに落っこちたのだ。見に行きたくなるのが冒険心というものだろう。
魔法使いのマントを揺らしながら、落ちているであろうものをふらふら探す。多分水の中に落ちたのだろうけど、この湖に落としたものは大抵湖畔に流れ着く。だから今回も流れ着いているに違いない。少年は魔法の杖をくるくる弄びながら、注意深く岸辺を歩いていく。こんなとき魔法が使えればどんなに楽だろうか、後悔も軽く引き摺りながら歩いていく。その砂を踏みしめる音の少なさに、多少の寂しさを感じながら。
「お、おぉ? もしかして……」
それらしき物体を見つけて少年は鼠を見つけた猫のように駆け寄った。
それらしき物体はよくよく見てみれば人型で、人型はよくよく見てみれば自分よりすこし年上の少年のようだった。服装は黒い布に色々刺繍とかが付いている、少年から見てみれば高位の魔法使いなのかと思うような服で、さらに左耳に綺麗な銀の耳飾をつけていた。
肌の色が自分よりも薄いし、なにか雰囲気が違うような気も確かにしてはいたけれど。その程度の情報では警戒心よりも心配のほうが掻き立てられるというものだ。いや、こんな状況下でなくとも少年は問答無用でこれを助けるのだろうけれど。
「おーい、生きてる?」
「ん……」
「あ、生きてる」
少年がその漂着物を揺らすと、漂着物はもぞもぞとしながらも反応を示す。ぼーっとしている目はゆらゆらとしているが生きてはいる。少年は相変わらずの御節介心を燻らせた。多分この人高位魔法使いの一人で、きっと何かの事故で湖に落っこちてしまったのだろう。こんなご時勢だ、そういうことがあってもおかしくない。
「んー、何か怪我してるみたいだし。家まで運ぶとすっかな!」
やるぞー! 少年はずるずるとその漂着物を担いで、どこか楽しげに帰路につくのだった。