閑話休題・その壱。
世界は本で出来ている。
誰かによって開かれなければ意味をなさない世界。
誰かの目に留まらなければ、存在すら保てない世界。
今日も誰かの目が僕たちを見る。
僕たちの形は、誰かの目によって作られている贋物に過ぎない。
時は少しばかりさかのぼり、まだ灰色の街の大混乱が巻き起こる前のこと。そして月祭りのその真っ只中で姿を現さなかったロト王は、当時別件にていくつか別方向への知識へと手を伸ばしていた。実際のところ表沙汰になればただ事では済まないのだが、これは業務として必要なことだったということにしておいてほしい。
さて、直情的で炎のような性格だと煽られたロト王だが、実際のところ炎ではなく鋼であることを此処に訂正する。オーグニーは閉鎖国家だということはこれまでも何度も伝えていたと思う、だからこそひどく息苦しい。
その中でも一番息苦しさを感じる私室に今日ばかりはあえてロトは引きこもっていた。嫁が研究に没頭しているのもそうだが、こうむった騒動で騒がしい場内を歩きたくなかったのもある。
先代が残した古書の詰まった棚の積み上げられた、日の入らない部屋。珍しく埃っぽい空気に風のない空間、対して使っていないせいで叩くと埃が出てくるベッドに座り込んでは紙資料を広げる。昔は文字という概念もよく分からなかったが、今は違う。まったく基盤譜面といい調律といい、そういう意味では都合がいい。何をさせる気でもなかったのだろうが、製造者はそういったことを想定していなかったのだろう。
かといって、自分が国を動かすことはできないのだが。
形だけの王、まったくもってそのとおりだとロトは自嘲しながら紙の本の背表紙をなぞる。
その古い本は、誰かが書いたのでろう調律基盤創造論をまとめたものだった。
簡単に言ってしまえば「この世界と異世界の縮図」に関するものだ。少なくとも自分たちの支配領域で、理不尽な災厄が降りかかることはなくなった。かわりに外に交流が復活する。新しいステージといったところか、その外が、外大陸だという話でもない。幸いか否か、「外敵」になりうるその一つ、外界のものに対する心当たりはあった。
だからこうして調べている、嘆くべきかオーグニーの基盤譜面には外に関する記述は何もなかった。そういう役割なのはわかっているがもうちょっと他のこと考えろよと流石に思う。
『お前は元々敵役だったんだろ、知識面で制限が出てるのは仕方がないと思うぞ』
「うっせ、あと敵役言うなメタ視点野郎」
『そういわないでくれ、俺の画面にはそう見えてるんだ』
くるくると回る黒い立方体が青い筋を光らせてはパカパカと動いている。この妙な物体、先の機体墜落事件後にパイロットが置いて行ったパーツの一つなのだがなぜか喋る。パイロットはこれのことを端末だとかプレイヤーだとか呼んでいたが、むしろなぜまだ動くのかよく分からない。
今分かっているのは、こいつは「マーセ」という名前で、実際どこか遠くの端末と通信がつながっているということぐらいだ。マーセが実際にいる地域や国は未だにわかっていない。条件に合うような海域を、ロトは知らない。
ともかく彼の知識と発想は役に立つので、私物として所持しているのが実情だ。
『世界は七つの章と一つのト書き、そして表紙という壁で出来ている』
「なんだ、それはよ」
『この端末の取説に書いてあった、俺が今握っているこの機械は異世界をのぞく窓だとかなんとか。まぁそういう設定なんだろうけどさ』
「それは初耳なんだがお前の端末ってそれゲーム機なのか?」
『そうなんじゃないか、プログラムを組むにもキーは少ない上読み込むチップの種類も少ない。正直クソゲー感漂ってる』
「そういってやんなって。にしても、七つの章ねぇ」
『何か思うところでも』
「この本にもそういう類の文章がいくつか出てくるんだよ、やたら七っつー数字がな」
『ふぅん……七、七か。そういえばこの前の依頼人が面白いこと言ってたなぁ、七番目の戦場がどうとか』
「なんだそりゃ?」
『九九回死ぬまで終わらない戦場があるんだとか、なんとか。てかたまにいるんだよなぁ、まるで別世界から来たような人……』
「……別世界ってマジであんのか?」
『冒険者の方が詳しいんじゃないか、ちょうどそこにいるし変わろうか』
「いるのかよ!?」
ぐだぐだぐだぐだ。
規模の大きな話を雑談レベルの気軽さでしゃべり倒しているわけだが、よもや端末の相手が変わることがあるとは今の今まで気が付かなかった。異世界、別世界、そういう類の「敵」がこれから出てくるということは演算も出している。
笑ってなんかいられないのは分かっているからこそ、衝撃というのも強くなる。
とりあえず変わってくれと頼むと、いくばくかのノイズの後に別の声がやってきた。
『変わったぞ。私はトキミヤ=ツルギ、どこから話せばいい』
「まてお前どっかで聞いた声なんだが?」
『キャラが同じの別人だと思ってくれ、トキミヤが発音しづらいならばアヴェルスと呼んでくれ』
「やっぱお前アレフ『おっとそれ以上言ったら切るぞ』……むむ。まぁ分かった、じゃあアヴェルス、一から教えろ」
『論文レベルになるが大丈夫か?』
「問題しかねぇ、質問形式にするわ。異世界ってあんのか」
『ある。私たち冒険者があぶれ物が把握している範囲なら少なくとも五つ、可能性としては八つあるといわれている』
「多いな!?」
『把握数としては少ない方だ』
「お、おう。じゃあ、そこから敵が何らかの形で攻め込んでくる可能性は」
『ある、ってか昔あった』
「まじかよ」
『そのおかげで私の前世はくたばったらしいからな』
「おおう……ええっと、現時点で最も可能性の高い侵略方法は?」
らしくない話だが、まぁ仕方がない。
どのみち自分ぐらいしかこういう話を聞くやつはいないだろう。
『転生』
「廻り人か?」
『似ているが違う。輪廻転生という概念を元に生成された、魂の循環を示すものだ。お前たちの根底にある冠位復活と対極に存在するものだな』
「他の世界の人間はそんなポンポン死ぬぐらい雑魚いのか」
『私の知る中でそういった人種はそういないが、一つ、その概念が浸透している世界がある』
「どこだ」
『第七局と呼ばれている。人の心が失われつつある世界だ、ここのところ若者の自殺が多発しているおかげで転生がしょっちゅう発動している、おかげで追い返すのも大変だとか』
「……」
『これから増えるだろう、そちらに異世界の記憶を保持したまま現れる赤子たち。ギフテッドならぬ悪魔の子、便宜上、転生者と私たちは呼称している』
「それが増えるとどうなる」
『技術の統制が取れなくなる。七局の技術は恐ろしく効率的だが人をたやすく狂わせる、時代を先取りしすぎでパワーバランスが保てない』
「後者の表現はそれでいいのか?」
『分かりやすさが優先だ。でだ、その転生者に関する私たち冒険者のスタンスなんだがな』
「あぁ」
『絶対敵対だ』
「……うん?」
『絶対敵対だ』
珍しい話だ。冒険者は基本的に中立だと思っていたが、敵対している相手もいるにはいるらしいどころか、っていうかさっきのルビ明らかに何かがおかしいと思ったのだが。
ともかく向こうは見つけ次第殺すという随分物騒なスタンスらしい、自分が言うことはできないだろうが。
『私たちの支柱を担う概念と、転生という概念は反発しあう上に後者は過去に一世界の崩壊を招いた原因にもなった。我々としてその存在は認めても、それが広まることを許すわけにはいかない。と上司は言っていた』
「お前は乗り気じゃないんだな」
『大抵の転生者は当たり前だが赤子として転生する、それが転生者だと分かることは早くても少年と呼ばれる年代だ。あの年の子を手にかけるのには躊躇いがある』
「そういうもんかね」
『そういうものだ。まぁ、やるときゃやるのだが。ともかく私から話せる可能性の話はこれぐらいだ。まぁ、これを話している時点で確定しているのかもしれないが』
「笑えねーぜそれ」
『そうだな、笑えない。しかしそこのステージマスターはフリに必ず答えることで有名でな』
「その情報は知りたくなかったぜ……」
『だろうな。そろそろ戻るが、あと一つだけ』
「あぁ、なんだ」
『転生者の殆どは自殺者だ、彼らをお前たちの死生観に当てはめるならば御許に赴くことは難しい。そのことを、頭の片隅にでも置いておくことを勧める』
警告というよりも、それはどこか彼自身に言い聞かせているような物言いだった。