決着。
曲げられた金属が元の姿に戻るときに発するような、そんな音が急変の合図のように響き渡った。
「な、に……!?」
「すまないね、此処でそこまでされては困るのだよ」
場違いなほどに冷静なその声が現状に食い刺さる。混乱の熱に苛まれないよう、アーサーはせめて状況だけはと周囲を見る。
剣が、弾かれている。ロト王の息に死神の鎌をかけていたはずのバン王の剣が、あるべき場所に存在しない。代わりにそこに立つ者はまるで最初からそこにいたかのように、じっとバン王を見下ろしている。
いや、あれは者と称していいのだろうか。いっそ濁った瘴気の塊が辛うじて人間の皮を被っているようにすら感じる、寒気の領域を突き抜けた底冷えする、恐怖。禍々しいといえばいいのだろうか、おぞましいといえばいいのだろうか。漆黒に濡れた外套を翻しながらその「者」はこちらを、アーサーを見た。
「ほう、お前が例の」
どうしてだか声が、いや喉が潰されたように動かない。意識的な麻痺は既に全身に広がり、アーサーはただそこから動くことが出来ない。カツカツと音を立てながらその「者」は此方へ近寄ってくる。一歩一歩確かに近づくそれに、一歩一歩同じように領域を踏み荒らされる錯覚を感じる。それほどに恐ろしい、おぞましい、禍々しい。これは、本当に人間なのか。アーサーはなんとか眼球を制御しその「者」を見る。
紅い、目。
一周して濁りのない、赤い、血の色をした瞳だった。
いっそ見惚れるに近い感覚の、意識の鈍りは後に極限状態の恐怖だということをアーサーは知る。無論、極限状態の恐怖の支配下に的確に思考を動かせるものはいないのだということも。
「アーサー!」
身体に奔る衝撃、数秒に満たない間にアーサーは自分は何者かに突き飛ばされたのだと感じた。殆ど勢い任せだったのだろう、そしてアーサー自身がその状況把握が遅れたこともあり、まともに受身も取れず地面に叩きつけられる。石畳から伝わる痛みと冷たさに意識を呼び戻され、すぐさま自身を突き飛ばしたであろう人物を目視する。
「ぼさっとすんなッ、死にてぇのか!」
真夏のひまわりを思わせる髪が眩しく照らす、見間違えるはずがないあの瞳の色。
「エディン……!?」
どうして彼女が此処にいるのかが全く分からず、アーサーは思わず声を上げる。
そんな中でもあの「者」はエディンの行動が気に食わなかったのか、それとも元々その気だったのか、鋭く長い刀身の剣を振り下ろす。エディンはその攻撃を素早く避け、仕返しとばかりに短剣を突きつける。しかしそれもあっさりと回避され、エディンはバランスを崩してしまった。だが、
「セージュ!」
──合図のように打ち込まれたエディンの声が、一筋の光を呼び寄せる。
「ぐァっ!?」
広場の入り口付近から放たれた光の筋がその「者」を確かに捕らえた。
発射元を見ると、そこには大きな弓を構えた青い髪の少年があの「者」をじっと睨んでいる。弓、そうあの放たれた光は光ではなく、一本の矢だったのだ。その結果を把握したエディンが「大当たりだぜ、セージュ!」と親指を立ててグッジョブを飛ばしている。ぐらりと揺らめいた「者」は恨めしげにあの、セージュと呼ばれた少年へ呪詛を吐く。
「キ、サマ……ッ、」
「ロト王と一緒に帰ってくれるかな、今は、キミの芝居に付き合う気分じゃない」
セージュという少年の言葉がトドメになったのだろうか、「者」は明らかな舌打ちをするとロト王と共に姿を消してしまった。
/
釈然としない勝ちだった、だが勝ちは勝ちだ。
ロト王撃退後、ベンウィックに侵入していた機械兵器の完全停止を確認。事実上ベンウィックのバン王の勝利となった。あの場に何故あの「者」が現れたのかは以前として不明だが、今のところ知る術もない。放っておくしかない。エイトも無事にあの機械兵器たちの誘導に成功して、とくに大きな怪我もなく戻ってきてくれた。そして途中で乱入してきたエディンたちはといえは。
「フェイトを追っていたんだぜ」
「フェイト?」
「あの真っ黒いヤツのことさ、セージュのヤロー逃がしやがって……」
どうやら、あの乱入してきた「者」……フェイトを追っていたらしい。エディンは事情がありあの窮地で流れを変えてくれたあの少年、セージュと一緒に旅をしているそうだ。アーサーを狙っていられるほど悠長な状況でもないらしく、あまり長くはこの国にいられないらしい。
「エディン」
「な、なんだよ」
「ありがとう、あの時助けてくれて」
「……ふん、ありゃ事故だっていってるだろ! 次はないからな!」
ぷんすかしながら去っていくエディンの姿がどこか遠くに感じたのを覚えている。
さて、ひと段落してまたあの広場にアーサーはいる、仕方がないとはいえあの戦闘で散々広場の周囲を荒らしてしまったのだ。ガレキの撤去作業ぐらいは参加しないと落ち着かないのだ。
しかし落ち着かないのはアーサーだけではないらしい。
「あ、そのプレートは俺が運ぶっすよー」
「バン王、来ていたのか」
「おう。書類仕事は苦手でね」
バン王は相変わらず動きやすそうな格好で機械兵器の残骸と思われるプレートを運んでいた。どうやら城を抜け出してきたらしく、あたりの冒険者たちはやれやれといった風に様子をちらちら見ている。兵士たちとも協力しながらガレキの撤去にあたる彼らは、なんだか妙に楽しげだった。
「そういえばこの残骸、何かに使うのか?」
「鉄は貴重っすからね。置いていきやがったんだったらとことん使い倒すつもりすよ」
細かい部品に関してはベンウィックには扱う技術がないため、そういったものに関しては冒険者たちが貰って行くことになったそうだ。武器に使う、とはいっていたがあんな細長い線や細かいもの一体どうやって使うのだろう? 見当がつかない。皆に混じりながら作業を進めるアーサーだが、まだ気がかりなことがある。
カリバーンがまだ目を覚まさない。
普段からずっと傍にいた彼女は、今となってはいないと不安になってしまう。
時間が解決してくれる、ものなのだろうか。
すこしぼーっとしていると、肩をとんとん叩かれ条件反射的に振り返る。
「おい、アーサー」
「ん……あぁ、エディンか。どうしたんだ?」
「オレもうこの国出るんだけどさ、一つ教えてやろうかと思ってな」
「教えてって……上から目線だなぁ、知ってたけど」
「ははん、良い気分だぜ?」
「……なんか癪だ」
エディンはにやりと笑うと、すぐさま真面目な表情に戻ってこういった。
「カリバーン、復活させたいんだろ」
思考が凍るのを確かに感じた。カリバーンを復活させられるのか、もったいぶらずに言ってくれいやむしろ言ってください。
たった一つの情報にこれほど嬉しいと感じるのは初めてだった。時間に任せるより遥かにいい、むしろこれが最善の手といってもいいだろう。エディンから聞くに、どうやらある湖までいけばいいらしいが。
「随分と象徴的だな」
「カリバーンの存在自体からして象徴的だろ」
「そういえばそうだった……!」
詳細を聞き、さてこの後どうしようかとアーサーは考える。正直に言えばこのまま湖へ向かってしまいたい、だがその前にブリテンのほうへ自分の生存を伝えなければいけない。どうせマーリンはしっているのだろうが、あれは過信しすぎると痛い目にあうタイプだろうということをアーサーは直感で知っている。
ふと、すんなりと思いつく。若干不安はあるが、今の状況ならば恐らくこれが一番いいと思われる。
「エイト、魔法馬には乗れるか?」
「見たところ構造はオーグニーと変わらないようなので、乗れます」
「そうか、だったら頼みたいことがある」
「ボクに出来る事なら何なりと」
最低限の準備は整った。
これで最悪、湖到達前にどこかへ拉致されても大丈夫だろう。多分。
アーサーは深呼吸を一つ行うと、再度作業へ戻ろうと歩みを進める。その背後に迫る影に、まったく気がつかぬままに。