消炎。
前略、スモーカーは一人の少年を背負いながらこの灰色の街の表通りを隙間を縫うように進んでいた。
この街に来た理由はそう大したものではない、貿易情報の中にスモーカーの所持する聖剣が一振りキャリバーンの伝承に関する書物が入荷されたのだ。紙資料は有限で尚且つ重要性が高い情報が入っていることが主な上、自身、あまりにもこの大陸についての知識が少なすぎる。舞台に上がってしまった以上、状況把握をする努力はし続けなければいけない。とにかくその書物を手に入れるためだけに、此処に来た。
ただでは死ねないのだ。死なせてもらえないともいってもいい、生きながら死に続ける惨状になんて絶対に合いたくないのだ。
主役、脇役、舞台、そんな概念が認識されている時点でこの世界は生きている者に対して随分と手厳しい、スモーカーはずっと脇役でいることを意図的に選び続けていた、何度かそういった場所に押し上げられそうになったこともあるがなんとかこうにか逃げ切ってきたのだ。だが今回ばかりは逃げきれなかった、だったらもう腹を括るしかない。
主役の動きはずっとこの目で見てきたのだから、今はただ、自分が思ったことをすることに妄信する。
考えてはいけない。
企んではいけない。
過去望んだ、自分がいままでしたかったことを愚直に行動に移せ。
「お前は随分と恵まれていたようだな」
「鋸鉈、それは皮肉か」
「称賛だよ」
表通りから一歩外れた道を曲がり、スモーカーはじめついた空気の診察所を訪れるなりなんなりそこにいた一人にそういわれ、理解できないとため息をついた。診察所といっても名ばかりの捕喰者たちによる休憩所、もとい治療のための駆け込み寺だ。彼らの身体の治し方というものは少々非合法的であるからこそ、相応の薬品も此処にしかない。その筋では有名な話だ。
なぜスモーカーはただの病院ではなくこの場所を選んだのかと言われれば、単純にそこしか伝手がなかったからだ。
捕喰者とのかかわりはそう浅いものではない、顔なじみも数人はいる。異形を半分体に突っ込んでいる連中だからこそ助けた少年の容態をみるに、適任だと思いついたのだ。予想通り状況は把握しているようで、たまたまそこにいた鋸鉈の捕喰者ラッド=シャムロックは「とりあえずそこに寝かせとけ」と顎で促した。
「どこで拾ったんだ」
「裏路地、たまたま拾った……んだが」
「どうした」
「……悪化してる」
気絶したか眠りについているのか、裏路地で拾った少年はぐったりとして意識はない。
ただ、その半身はまるで竜の鱗のようなものが生え出始めていた。そもそもが髪の毛の色がだいぶおかしい色になっているし、どうあがいても普通じゃないタトゥーが浮かんでいるし、ツッコミどころは満載なのだが。少年の背はまるで内側から何かが生えだそうとしているようにわずかに膨れができていた。
宛ら中に何かが住み着いているような妙な状態、素人目に見てもおかしいものだ。
さすがの鋸鉈でも唸るレベルのようだ、さらっと状態を診てくれたがそれでも目元だけで分かってしまう程の空気を垂れ流している。
「鱗化症だ」
「なんだそれは、聞いたことがない名前だが」
「外来種の血液が混じってしまったときに発生する遺伝子異常の一種だ、私たち捕喰者と似たようなものだな」
「……いでんしいじょう、とは」
「…………そういえばお前は兵士だったな」
だから憐みの目は止めろって。
つまり、自分以外の血を体内に入れてしまったことで大きな異常が出ているということらしい。蛇の毒を受けて血が固まってしまう、みたいな。そういう状態なのだそうだ。医学はよく分からないがとにかく「やばい」状態のようだ。っていうかまた病なのかと頭を抱える、自分がかかっていないだけまだマシなのかもしれないがどうしてこうもこの大陸は病にばかり苦しめられているのだろう? 鋸鉈曰く土地と環境的に病原菌が発生しやすくさらに言えば繁殖しやすいかららしいが、にしたって酷い発生率だ。
「治るのか?」
「無理だな、鱗化症といっても後天鱗化発達障碍症だ。完治は不可能だ」
「バ、バッサリいうな……でも普通の病気ってわけじゃあないんだな」
病と障碍は全く別だ、と鋸鉈はめんどくさそうに語る。
病は経緯さまざまあるが治療法を間違えなければ治るもの、どんな機械でもたまに故障してメンテナンスしなければいけない、メンテすれば直る。そういうものだ。
だが障碍はそういったことができない、最初から「そういう形がそいつの原形」となるのだそうだ。普通の人間といわれる四肢と五本ずつある手の指や頭の中の形、それとは外れた形が当人にとっては通常体になる。先天的、後天的と色々あるが今回は後者なのだそうだ。
器の形が変わった以上、変わったそこからは戻れないし戻らない。データを上書き保存したらそこ以上の前のデータはそのデータから引っ張り出せない。病気のように感染することはないが、完治という概念はそこにはない。
滅びという完治が存在する捕喰者はまだ有情だ、と彼は投げやりに言う。
「どうにもならないのか」
「ならないわけでもない、私たちと似たようなものだとさっき言っただろう。治療は出来なくとも対処は出来る、が」
「が?」
「正直私の分野ではない、のでいまから鉤爪のババさま呼んでくる」
鋸鉈はそう告げると診察所の奥に姿を消してしまった。
鉤爪のババさま、というのは確か捕喰者を総括している長老……だったと覚えている。総括といっても一番発言力があるというだけで纏めているだけではないらしいが、鋸鉈はだいぶその人のことだけは信頼しているらしかった。頼れる大人がいるというのはいいことだ、その部分だけはスモーカーは少し羨ましくも思う。
とりあえずどうすっかなと考えて、診察所の台所を少し借りることにした。
普段から非常食になったり魔除けにもなる米と麦、多少の食料は持ち運んでいる。麦粥ぐらいなら作れるしなにより腹が減っていた。本当ならメビウスが作るのがいつもなのだが、生憎飼い主は別件の任務に駆り出されている。
スモーカーも自発的に距離を置いているのもそうなのだが。こういうときはちょっと食事というものは面倒くさい。
「……なにつくってんの」
粥を煮ているとどうやら匂いに釣られて起きたらしい、あの少年がじっと覗いていた。歩き回れるぐらいには無事らしい、多少ふらふらしていたが多分落ち着かないのだろう。
鱗やらなんやらは相変わらず付き纏っていたが、本人は今のところ気にしていないようだ。
「麦粥、お前も食うか。何も食ってないだろ」
「もらう。そういやお前誰」
「スモーカー、傭兵だ。暇だったから助けた」
「……そう」
淡々とした会話だ、少年は平常時ならわりと冷静を保てる精神を持っているらしい。
いや案外てんぱってるのかもしれないが、ともかく食欲はまっとうにあるようだ。虫の鳴き声が聞こえる。
……いや、てんぱってるんじゃないなこれは、スモーカーは目線を少年に向けた瞬間に理解する。
「名前は」
「アリト」
何が起きたのかもわかっていないんだ、こいつは。