逆境。
静かに飢えを殺しながら待つ意識の最中、ロト王は確かに気配を感じ取った。水の中に小石を落としたような波紋の形に記憶に掠るものを覚え、ロト王はおぼろげな記憶を辿る。あいつだ。あいつが来た。フラットではなく、あいつが来た。きっとコールブランドでも壊せなかったあの棒も一緒だ。けれどやっぱりあいつは気味が悪い、足音の波紋は手に取るように分かるのに、目印になるはずの心臓の音が聞こえない。
足音の波紋だけでは的確な位置は割れない。
声を、聞き出さなければ。
「なんだ、あのバカじゃねえのかよ」
波紋の移動が止まる。立ち止まったのだろう、だがやっぱり心臓の音が聞こえない。これでは此方も動けない、待つのは大嫌いだが仕方がない、返答を待つ。あぁなんてじれったい、せっかく壊せると思ったのに。鉄屑をできるだけ遠くに置いて、邪魔が入らないようにしたっていうのに。
マーリンには馬鹿正直すぎるといわれるだろうか、だがそれでも構わない。壊せるならばなんでもいいのだ、ほかの事など知ったことか。
コールブランドを構え直し、手から伝わる感覚を確かめる。ここにいる、世界で唯一俺を理解してくれる相棒はここにいる。
「……ロト王、やっぱりあんたは一人なんだな」
長い沈黙の先に、あいつがようやく返答を寄越す。
一人? あぁ、一人にみえるだろうな。けど俺は一人じゃない、そのはずなんだ。そう、思わぬ返答にほんの少しの苛立ちを覚える。だがもう少しだ、もう少しでこの苛立ちごとあいつを叩き壊せる。もうじきだ、あとすこしでおまえの立ち位置を見つけ出してやる。ロト王はぐつぐつと湧き上がる衝動を抑えながらコールブランドの矛先を持ち上げる、方角は見えた、あとは距離だけだ。
「だったら何だってんだ」
「いや、てっきりあの機械兵器共を連れているかと」
「はっ、あんな鉄屑共いるだけ邪魔だ」
「そうか、いるだけで邪魔なんだな」
じりじりと距離を見定めていく中に交わされる会話に、ロト王は不思議と流されかけていた。
待って待って、流されるな。流された分だけ位置はずれてしまう。もうすこし、もうすこし、あいつの心拍が聞こえないせいでいつもはあっという間にできる位置の確認に手間取ってしまう。
「さて、ロト王」
いやに鼓膜へ突き刺さる声が、ロトの思考を停止させそして決定打となる。
「──倒しに来たぜ」
/
「そこかぁああああああああああっ!!」
獣の雄たけびを発しながら尋常ではない速度で突っ込んでくるロト王を、アーサーはいたって冷静に見ることが出来ていた。
一度見たものには耐性がつく。今度は混乱などしたりはしない、確かにこのまま立っていれば攻撃をもろにうけるだろうが、ぎりぎりのところでアーサーは思いっきり地を蹴り飛ばすように跳ぶ。そのまま振り下ろされる剣筋から逃げ切る。すこし遅れて大地を切り裂く音を聞く。
「覚悟はしてたけど……っ!」
速い。やっぱり人間の領域ではない異常な速さだ。
此処からがアーサーにとっての山場だ、一撃もあたることなく避けきらなければいけない。幸いロト王の攻撃は分かりやすすぎる程に真っ直ぐだ。射程から逃げ切れれば確かにいけなくはない、しかしいけなくはないをやらなければいけないというのは、自らが選んだ役割ではあるがやはりきついというもの。受け止めるという選択肢はあるにはあるのだが、最後の手段にしておきたいのが正直な気持ちだった。
「ちょこまかと逃げやがってッ!!」
ロト王が叫ぶ。目線はあっていないところを見るとやはり目が見えていないのだ。
二撃目、三撃目をすれすれのところで避けきったところでそれを確信すると、なにかすうっと駆け抜けていく感覚を感じた。カリバーンを構え直してその感覚が何か当てはめる、それは確かな予感。いや自信というべきなのだろうか。
──勝てる。
今にも首がすっとびそうな状況下でも、その感覚はアーサーを手放しはしない。
「やべっ、」
だが喰らいつくように放たれた四撃目に対応できず、アーサーはバランスを崩しその身体の制御権を一時的に失ってしまう。五撃目が飛んで来る、振り下ろされる。だがこの位置ならば受け止められる。
アーサーはカリバーンを構え、辛うじてロト王のコールブランドを受け止めた。だがその重みは以前感じたものよりも遥かに大きく、カリバーンを支える腕が粉々になってしまうのではないかと思うほどに、衝撃も強かった。しかしここで押し切られるわけにはいかないのだ。耐え切らなければ、男が廃るというものだろう。
「おいおい、どうした? その程度かぁ?」
「くっ……!」
ギリギリと押されていく大剣と杖の鬩ぎあい。
ロト王の瞳の中に見た獣は今にも牙を剥き出しにして、戦いなれていない鼠も同然なアーサーを食いちぎろうとしている。息が詰まるような緊張、一瞬でも力が抜ければそこで終わる。たとえ膝が折れても、まだ支えがあるならばそれが折れるまで抗う。死神の鎌が首筋をなぞるような恐怖も感じている隙もない、互いの呼吸さえ鋭く聞こえる攻防は精神を磨耗させると同時に、鋭利に研がれていく。破裂寸前の風船のように、千切れる寸前の糸のように、極限まで削り取られた集中力という名の命綱はほんの些細な一つの音で途切れてしまいそうだった。
「──今だ」
勝負がつくかつかないか、その最中に異質な音が空に過る。
それは、所謂銃声と分類される異音。それと同時にロト王とアーサーに絡み付いていた細い細い糸はあっさりと途切れ、アーサーはすぐさまその死神の刃から抜け出して見せた。
何が起こったのか把握し切れていないロト王は動揺を隠せずにあたりを警戒する、だが次の瞬間。銃声と剣戟の音、ぶつかり合う形状の違う金属たちの歌声はあっという間にこの広場を埋め尽くした。
「なっ……まさかっ、!」
「悪いなロト王」
銃声は絶えず空中に響き、広場には次々と大きな破壊音を立てながら新たな役者たちが姿を現す。
「泣けよ、邪魔なお仲間連れてきてやったぜ!」
冒険者たちが引き連れてきたのは例の機械兵器たちだ。だが決して泣くのはアーサーや冒険者ではない、この一対一の状況を覆され、広場に膨大な音の情報が増えて最も困る人物。それは。
「貴様ら、よくもぉおおおおッ!!」
ロト王は怒りを交えた叫びを乗せながら我武者羅にコールブランドを振るう。だがその剣筋は今までの的確さとは無縁の、無茶苦茶な軌道を描いている。もうその攻撃はアーサーに掠りもしない。
ロト王は音の情報を頼りに敵の位置を絞り込み、真っ直ぐに突っ込んで叩き斬る。だがそれができるのは一対一の、音の発生源が一つであるときのみなのだとアーサーは考えた。なぜか、その肯定は冒険者とこの街の人々からもらった情報にあった。ロト王が襲撃をするとき、なぜか「あたりから彼の配下のものはいなくなる」のだ。それも例外なく。
今の状況下なら言い切れる。
彼は人を率いる王でありながら、一人でなければ戦えないのだ。
作戦はいたって単純だったのだ。アーサーが囮になる間に冒険者たちが機械兵器たちを誘導し、この広場に集め「ロト王を無力化する」。
今後の見立てからして最も傷が浅く、最も危険のある奇策。それが今回の勝利へ続く一筋の光だった。
「──バン王!!」
アーサーは合図を送る、トドメは彼の役目だ。
一度目標を失ったロト王に、再度位置情報を教える隙など与えない。周囲の建物を利用し高く高く飛んだ影、それは真っ直ぐにロト王へ狙いをつけ、矢が的を穿つように一閃を見舞う。
「お前の負けだ、ロト王」
その一閃の主、フラット=バン・ベンウィックが突きつけた刃は確かにロト王の首筋に触れていた。
そのはずだった。