堕星。
牙落し前哨戦にて賑わう城上一方、ブリテン城下街外縁部でセージュ=アーベルジュ/カムランはひたすらこの大陸の疫病質を呪った。
抜き払った猟銃と吐き出す煙硝が焦がすそれらは無策にも人のいる方角を目指す、そうはさせるかと先陣切って前線へ立ったはいいものの状況はさして良いとは言えないものだった。
結露する冷えた水滴が粒子となって肺を濡らす、熱気と共に流れる青ざめた血の匂いは祭りが消してくれているがそれも長くはもたないだろう。カムランとしての役目は果たした、だがアーベルジュとしての役目がまだまだ残っていることはセージュにとって些か大きすぎる憂鬱そのものでしかない。──解せないな。戦に濡れていくカルゥハの引鉄を弾きながらセージュは蟠りを肺腑に宿す。腐敗者の大群なら防ぎようがあった、だが、それでさえも前座であったとほざきやがるのか今宵の月は。この目の前に立ち塞がる場違いな脚本家は。
「(考えの詰めが甘かった、ってことか)」
目の前に侵攻をやめない「悪夢」を撃ち払いながらもセージュは考えに纏わりつく焦りを振り払うように頭を振る。
──月祭主催として地上に残り、急の召集に答えてくれた冒険者たちに月祭の進行を任せ、邪魔者の排除に回ったまではきっと正しかったのだろう。
しかしその邪魔者とやらが、想定外を招き入れるとまでは流石のセージュでも考え至ることが出来なかったのも事実だった。
「ちまちまチマチマ湧いてきやがって、一般人が巻き込まれたらどうするってんだくそ!」
「唸ってる暇があるなら手を動かして! 次が来る!」
「『星』が来る! 『星』が来る! はやく火を焚け! 間に合わなくなる!」
人の敵は地上にいないからこその解放回線を通じて響いてくる同胞の悲鳴染みた焦りの声が骨を通じて鼓膜に届く。善戦しているとは贔屓目に見ても言えない、どちらかといっても苦戦しているというのが正しい表現だろう。
奇声を上げて飛びかかってくるその不気味な『星』は、星と形容するにはあまりにも惨く気色の悪い物体だった。
粘液が固まって形を成したような不定形の身体に背から生えている虫の羽根、とにかく生理的嫌悪を呼ぶ塊のようなものだ。しかもただ斬っただけでは死んではくれず、燃やしでもしないと絶命してくれない異常な……腐敗者を上回る再生能力は目に見えて悪夢だ。数は少ないが空から降ってくるのを見るあたり、そういうことなのだろう。底のない不安がじわじわと胃を冷やすには十分すぎた。
「最悪だ」
──それが現れたのは唐突だった。
腐敗者や入り込んだ魔族を駆除しながら飛び回る最中、月祭と牙落しが始まって五分が経過した頃だったか。回線から「腐敗者や魔族を喰っている化け物がいる」という情報が回ってきた、化け物というには相当のものだろうが現状況を考えてこれ以上のことは起きてほしくない、起きるはずがないとタカを括っていたのだ。
しかし、やつらは現れた。
腐敗者、魔族、その他もろもろを平然と呑み込んで消化して、さらなる獲物を求めて空から降ってきた『星』。噂に聞く腐敗者の上位者かとも考えたが正直解析どころではない、『星』はひとまず生体活動をしているものならば何でもいいらしく、しかも率先的に人を狙ってくるとなれば……どうしようもなく緊急事態、というやつだ。
セージュは結果論ではあるが後悔する。
なんで今まで月祭が一度も開催されることがなかった壊歴の大陸で、急にウロボロスを超えるド級の月の魔物が降ってきたのか。偶然が偶然として普通に起こりえる実情に流されて深くは考えていなかったのが仇となった、なってしまった。
今回ばかりは違ったのだ、ちゃんとした理由があった、さらに言ってしまえば仕組まれていた。
「──お前は本当にろくなことをしないな」
月光を後ろに立つその影へセージュは猟銃を向け、ありったけの毒を胃の底に押し込める。
くすくすと笑っているらしいそれは「はて、何のことでしょうか」と肩を竦めてはひょいと飛ぶ、それのいた立ち位置に埋め込まれた弾丸が見事に避けられたことに対しセージュはもう隠す気もなく舌打ちをする。
形容しようもない、強いて表現できる特徴もないその人物の名をセージュは知っていた。忘れるはずもないかと自嘲気味に引鉄を弾くも、やはりそれも避けられてしまう。着弾速度は普通の銃よりも遥かに上回るはずだというのに、何もかもを予測しているかのような動きは尚更腹が立つ。
「アヴァロン」
「覚えていてくださって光栄です、外なる世界のカムラン王」
ああ、なんて白々しい。
アヴァロンと称される特徴のないそれは、いっそ殺してしまいたい、むしろ殺すと決意しているほどの憎悪の塊だった。何をしてくるかなんて分からない、それならばまだいいが、アヴァロンというのはそれどころではないのもセージュは身を以て知っている。全ての元凶とまではいかないが、少なくともこの壊歴の大陸をこの混沌に塗りつぶしてはまた舞台に使おうとする元凶は絶対的に彼だ。それを目の前にしてまったく歯が立たないというのが、いっそ清々しい。
「お前は何がしたいんだ、狂わせて、何をするつもりだ」
「別に、何も?」
綺麗な顔で微笑むアヴァロンに鉛玉の一発本気で顔面に叩き込みたいセージュだが、先ほどから降ってくる『星』たちが邪魔をすることもあってか撃てど撃てど空振りする、一時的に止んだ雨の湿気がさらに加速するように心臓の動きをさらに急かす。
今こいつを討てれば終わる、少なくともこの異様な混沌はマシになる、分かってはいる、分かってはいるんだがうまく事は運ばない。苛立ちが最高潮を記録しそうなほどに焦がした衝動が神経に焦りという焦りを浮き彫りにしていってしまう。
「望まれたことをしているだけですよ」
余裕もない、切羽もない、無表情で語るそれの背後に刹那跳びかかる影をセージュは見逃さなかった。
「──誰が望んだって?」
影の振り下ろした右腕は空を切る、だがその空気すらも断ち切る音が刹那に練り込まれた殺意を物語った。
着弾する爪がアヴァロンの立っていた屋根上に直撃する、煉瓦の波が立ち上るほどの重力を携えたそれにアヴァロンはさして驚いた様子も見せずにまた瞬間移動したがそれに向けて視線を飛ばしていたところを見る限り動揺はしているらしい。
「誰も望んじゃいねえからこうなってんだろ、クソ野郎」
白銀の爪が月夜に濡れて光る、アヴァロンへ向けられた殺意を剥き出しにしたままのそれは少年の形をしてはいたが、気配は獣のそれだ。
唐突な乱入に戸惑っているセージュに気が付いたその獣は、まだ人の手をしている左手で親指を立てる。味方、ということなのだろうか。こうなったらと『星』の攻撃の隙を見てセージュは一気に壁を駆け上る、追いかけてくる『星』共は地上を離れることはできないらしく壁にへばりつくのみだった。
猟銃の弾はまだあることを確認してからそれに向けて「加勢か」と問う、それはこちらもみなかったが「そうなる」と応えた。
「ボールス・コールマンですか、随分凄惨な状態ですね。代役でも立てましょうか」
「死んでもいらないから安心しろ」
「そうですか、仕方がありませんね。月の食事をもう少し眺めていたかったのですが……今は引きましょう、私だけは」
逃がすものかとボールスと呼ばれた獣とセージュはアヴァロンへ向けて攻撃を仕掛ける。だが、案の定そこにはもう誰もいない。空ぶった攻撃が奏でる音が虚しく夜の空に溶けていく、が、安心はできなかった。
さらなる『星』が降ってきている、血の匂いに寄ってきたのかどうなのか囲まれたともいって差し支えはない。
「どうしたものかな、どう思う、ボールス王」
「ジェシーでいい。ひとまず全部ブッ飛ばすのが先だよな」
「そうだね、そうしかないよね。……あぁ、僕はセージュ。よろしく、ジェシー」
「此方こそ」
互いに背を預けようと合致した腕を重ね、二人の王は舞台裏よろしく攻勢へ衝く。