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血のように紅く

 1. 血のように(あか)


 止まり木とはよく言ったものだ。束の間の憩らぎを得るために疲れた小鳥(きゃく)たちは刹那止まっていく。そう、ただ、憩らぎを得るために。


  黒い紫檀のカウンターで琥珀を揺らしながら、ロックグラスに映る己の顔を眺めていた深谷は嘆息をついて、グラスの下に顔を潜らせカウンターを見詰めた。よく磨かれた紫檀に映る顔は気分の悪くなるほど青白く、疲れが滲んでいる。

「例の女、どうなりました?」

 カウンターの中でボックス席に出すオン・ザ・ロックを慎重な手つきでつくっていた泉が尋ねた。

 深谷はグラスを置いてこめかみに手を当てると、首をゆっくりと横に振った。

「逃げられたよ」

 深谷は紫檀にのったグラスを掴むと、一息に琥珀を喉の奥へ流し込んだ。

「あの女……必ず捕まえて息の根を止めてやる」

 グラスを持つ深谷の手が白く色を無くしていく。中空を睨み付ける深谷の暗い瞳に背筋が寒くなって、泉はカウンターから目を逸らし、静かに語り合いながら幸福そうに飲んでいるボックス席の客の方を見た。女が手にしたカクテルグラスの中でキールの二層色が揺れている。魅惑的に。と、パシッと音を立てて、深谷の手の中でグラスが粉々に砕けた。

「深谷さん……」

 驚いて振り向いた泉は、慌ててクロスをもってカウンターを出ると深谷の隣りに行った。深谷は遠い瞳のまま、割れたグラスを握っている。傷ついた手のひらから出た血がランプの光に乱反射している硝子のかけらと一緒になって黒光りするカウンターテープルの上に模様を作っていた。


「今回のターゲットはこの女だ」

 ボスは吐き捨てるように言いながら、深谷に不鮮明極まりない写真と、女の遺留品らしき金の留め金を渡した。

「期限は20日。非常に危険な人物だいうことだ。早い時期に連行しろ。以上だ」

 ボスはあからさまに嫌な顔をして深谷を追い出すように言った。

 深谷は静かにうなずくと、部屋を出た。

 〝捜索〟(サーチ)が深谷の仕事だった。僅かの遺留品からその人固有のウェーブを見つけだし、それを元にその特殊な能力で居ながらにして〝人探し〟をするのである。このような職業ができてからまだ間がなかった。組織の人間でさえ深谷のような人間のことを理解してはいない。ただ、気味の悪い特殊な能力を持つ者とだけ認識していた。

 深谷は頭を降ると、『想い』を散らして、自室へと向かった。

 〝暗室〟と呼ばれる、深谷のような能力者に与えられた、狭く暗い個室で、ソファに腰掛け、深谷は渡された写真と留め金を見つめた。明り採りの小さな窓を厚いカーテンで閉ざし、扉の鍵を閉め、捜索に集中する。テーブルの上に置かれた小さい古風なランプだけが暗い部屋にぼんやりとした光を投げかけている。深谷に限らず、この手の能力者は仕事中の明るい光を嫌う。それがこの部屋が暗室と呼ばれる所以(ゆえん)だった。

 小一時間も過ぎたろうか。深谷は見つめていた写真から目を上げ、ソファに横になった。目指す相手のウェーブを見つけたのだ。後は意識を飛ばして相手を見つけるだけだ。

 数日の間、深谷はソファに横になったまま、ウェーブを追い続けた。人口一億に上るこの街からたった一つのそれも微弱なウェーブを捜し出すのは困難を極めた。細くあやふやなウェーブは切れやすく、掴んだと思ってもすぐにするりと抜け去っていった。期限は刻々と迫ってくる。深谷は焦り始めていた。

 深谷が捜索から戻ったのは期日から5日ほど前のことだった。

 強張った体にゆっくりと感覚を呼び戻しながら起き上がる。ランプは消え、力ーテンの隙間から明るい陽が差し込んでいた。ふらつく体を気力で支えながら扉を開け、廊下に出る。女子事務員が怯えた表情(かお)で通り過ぎていった。深谷は深呼吸すると、外へと向かった。女を追うために。

 女はアッパーストリートのプールバーによく出入りしているようだった。

 イエローキャブの運転手に店の名を告げると、深谷は目を閉じ、女の足跡を追った。女はまだ店にいるようだ。ウェーブがその場に止まっているのが感じられる。

 見つけた!掴まえたぞ。もう逃がしはしない。

 深谷はにやりと北叟笑んだ。暗い瞳がランと輝いて、幽鬼じみた顔が狂人のように異様な張りを示した。

 『パドック』という名のその店は清潔で、おおよそプールバーには相応しくないきらびやかな光に満たされていた。カウンター席に座った深谷はバーボンのオン・ザ・ロックを注文し店内に目を走らせた。ビリヤード台(プール)の側に若い男と水商売風の女がいたが、ウェーブの主とは違っていた。ボックス席に男が二人、カウンターに二人の男と一人で座っている女。女は黒曜石のピアスをしている。藤色のテーラード・スーツに身を包んだ端正な顔は妖艶に輝き、感情のない瞳には冷たい光が宿っていた。

 ウェーブの主に間違いない。深谷は確信を持って、出されたバーボンに口を付け、女を窺った。

 気付いていないのか、素知らぬ様子で〝ミスティー〟をバックから取り出すと、火を点けた。銀に近いプラチナブロンドをかき上げた手で女はピアスを外した。

 空になった彼女のカクテルグラスに両耳の黒曜石を沈ませ、うっとりと見つめる。そして、バックから出した血のように紅いルビーのピアスをはめ直す。深谷はそのピアスに見覚えがあった。確かに、どこかで……

 女は壁に掛かった時計を見やり、深いため息をつくと店を出ていった。

 深谷は勘定をカウンターに置くと、彼女の後を追った。闇の濃い街路を女は歩いていき、2ブロック先の角を曲がったところで、消えた。

 テレポーターだったか……

 深谷は肩を落とし、キャブを掴まえるとダウンタウンの『止まり木』へと向かった。泉の〝酒〟(バーボン)が飲みたかった。店の隅々まで心遣いのいき届いた泉の店で飲みたい、そう思った。


 期日までの間、深谷は女を追った。テレポーターのウェーブは掴まえにくい。一所に長く止まっている間しか掴まえることはできない。しかし、一度掴まえてしまえば次に探すのはたやすくなる。深谷は女を負って『パドック』に日参した。女はここで何かが起こるのを待っている、そんな様子だった。

 期限の20日目、深谷は『パドック』のカウンターに座り、女を待っていた。女は必ずここに現れる。そんな予感があった。

 店の中は静かで、キューが球を突いていく音だけが響いている。ボックス席に恰幅のいい男が一人、人待ち顔でぼんやりとロックグラスを見つめている。バーテンダーは隅のほうで所在無さ気にグラスを拭いている。時計は7時を指していた。

 あの恰幅のいい男……どこかで見たことがある、と深谷は思った。

 不意に、女がカウンターに現れ、カクテルを注文する。血のように赤いカクテル。血のように紅いピアス。女は緩い微笑みを酷薄な唇に浮かべていた。

 深谷はバーボンで、乾いた喉を湿らすと女に近づき、女の肩に手を置いた。

「すまないが、ちょっと……」

 深谷が声を掛けると女は表情を強張らせ、ゆっくりと紅いピアスを外し、カクテルグラスの中に落とした。二つのピアスは泡を立ててグラスの底に沈み、女の肩にのっていたはずの深谷の手が空を切った。

 途端に深谷には女の正体を悟った。

 テロリストっ! そしてあの男は収賄の噂で名高い現市長だ!

「逃げろっ!」

 深谷は叫ぶと、椅子に掛けたコートを掴んで店外へと駆け出した。事態を飲み込めていないバーテンダーが顔を上げるのとカクテルグラスが飛散するのが同時だった。

 深谷は路地に身を潜め、『パドック』の最後を見とった。

 同じ手口、か。

 呟いた深谷は暗い瞳で、吹き出す煙の中に5年前の事件を思い出していた。恋人を死に至らしめ、深谷を組織一に参加させるに至った無差別テロ事件を。

 やっと見つけた。もう逃がさない。

 深谷は独り北叟笑むと裾の焦げたコートを着込み『止まり木』へ向かった。


 束の間の憩らぎの内で小鳥たちは真実を語っていく。止まり木はただ静かに休息を与える。夜の闇に抱かれ、眠ることのない鳥たちに。


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