人食い村の噂話
京極夏彦さんっぽい題材を、北村薫さんの『円紫さん』シリーズ風に料理したもんを目指しました。そんな感じです。
この短編は、コミティアで同人誌として販売した短編集「鈴谷さん、噂話です。」のうちの一つだったりします。
数年が経ったので、もう良いだろうと思ってネットにアップしました。
ここからは自慢話ですが、その短編集、なんと幸運にも実行員会の方達に取り上げてもらえました。宣伝ね。カタログに載ってます。しかも、出版社の編集者を名乗る人が現れたりして。もしかしたら、これでデビューなんて可能性もあるのか?と、僕はドキドキしました。その編集者の方は言いました。
「漫画の原作を探しているのです」
僕は思いました。
あ、無理そう。
無理でした。
僕は無理でしたが、同人誌にもチャンスは転がっているみたいです。プロを目指している方は、試してみてもいい… かもしれません。
その噂話をゲットした時、僕は思わず「やった」と呟いてしまった。都市伝説の類が集められているネットの掲示板やサイトなどを漁って漁ってやっと見つけたのだ。
――人食い村の噂話
タイトルはそうなっていた。時々、“村”が都市伝説の題材になっている事がある。その多くは存在しなかったり、事実とはまったく異なっていたりと、つまりは出鱈目である訳だが、その人食い村は実在するし、そこに纏わる噂話は、少なくとも全くの出鱈目を語っている訳でもないらしかった。
断っておくが、もちろん、現在では“人食い”何てそんな物騒なキーワードが当て嵌まる事件も起きていなければ風習もない。ただかつてその村に、死人の肉を食べるという風習があったのではないか、というそんな噂があるだけだ。
長らく、そんな噂は馬鹿馬鹿しいと誰も本気にしていなかったのだが、最近になってちょっとした証言があった。いや、証言という程のものでもないのだが、事故死者が出た時に、もう90歳になろうかというお婆ちゃんが、「昔は、こういう時は、肉削ぎが大変だったもんだ」と、そう言ったというのだ。かなりの年寄りとはいえ、まだ認知症にはなっておらず、つい口を滑らしてしまったという感じであったらしい。
その後はどう訊いてもお婆ちゃんはその件に関しては何も言わなかったのだが、遠い過去を思い出してつい口に出してしまったのじゃないか、という話になった。そしてそれで“人食い村の噂話”が、真実だったのではないか、という疑惑が浮上してしまったのである。
肉削ぎ。
人の死体の肉を削ぐ。という事だろう。普通に考えれば、それは食べる為だ。もし、そんな事がかつてその村で行われていたとするのなら、人を食うという風習が、過去、その村にあったとしか考えられない。
その村は、香川県にあって人口も少ないし、その昔は交通機関も整っていなかった。こんな言い方をするとあれだが、とんでもないど田舎だ。恐らく、今でも辿り着くだけで一苦労だろう。そんな一般社会とは隔絶した辺鄙な場所ならば、或いは、そんな異常な風習があったとしても不思議はないかもしれない、などと書くと、それはやっぱり、偏見や差別になってしまうのだろうか。
ただし、村落などに独自の文化がある事は世界的に珍しくなく、中には『名誉の殺人』のように問題のあるものもある。『名誉の殺人』とは、婚前に性行為に及んだ女性を、家族の名誉の為に殺害してしまうというもので(場合によっては、少数ながら同性愛で、男性も被害に遭うらしい)、なんと理不尽にも強姦によるものも含まれる。その他、殺人を村ぐるみで隠したりだとかいった事も行われているのではないか、とも言われ、“村独自の文化”は単なる偏見で済ませてしまえる問題ではない、とも思える。
もちろん、その問題意識が行き過ぎれば差別や蔑視に繋がってしまう訳で、注意が必要だ。だから、この辺りの扱いは非常に難しい。つまり面倒な問題なんだ。更に言ってしまうのなら、実はこの“人食い村”の話は別にそれほど注目されている訳でもない。ならば、取り上げる価値はないと思えるだろう。労力がかかり、リスクが大きいのに、それに見合う結果がないのだから。
だがしかし、それでも僕はこの話を記事にしようと考えていた。先にも書いたけど、何しろ僕はこういう話を求めて探しまくっていたのだ。だからこそ、「やった」とこれを見つけた時に呟いた訳だが。
記事。
なんて書くと新聞社か何かに僕が勤めていると読者は思われるかもしれないが、残念ながら僕はただの学生だ。大学生で、新聞サークルに所属しているというだけ。しかも、この新聞サークルは、それほどには活発に活動していないし、人員も予算も少ない。
しかし、そんな弱小サークルにもメリットがある事はあるもので、規模の小ささを言い訳にして、我が新聞サークルは、他の弱小サークルと組んで様々な取材を行わせてもらっているのだ。協力する事で人手も手に入れられるし、予算も補い合える。もちろん、どんなサークルでも良いという訳ではない。僕の狙いは、ずばり民俗文化研究会だった。
「つまりは、女だろ?」
そう呆れた声で言って来たのは、火田修平という少々攻撃的な、目つきの悪い男だった。同じ新聞サークルに所属している数少ないサークル員の一人である。
「妙な言い方をするなよ」
僕がそう返すと、火田はこう言った。
「違うのか?」
「違わないよ! 女だよ!」
そう。僕が組みたいと思っているサークル、民俗文化研究会には、地味だが綺麗な女生徒がいるのだ。名を、鈴谷凜子という。真面目で性格は多少きついが、何だか妙に可愛く思える部分もあり、僕はそこが特に気に入っている。
「あの女がそんなに良いかねぇ。俺にはよく分からねぇよ」
そう言う火田に対し、僕はこう返した。
「ふん。綺麗と可愛いの比率、7対3という絶妙なバランスが、一見、地味な風貌に隠されているという、あの堪らない魅力が分からないとは不幸な奴め!」
つまりは、僕は、その鈴谷さんと親しくなりたいが為に、そんな取材内容を探していたのだった。この内容なら、一緒に泊まりがけの旅行だってできるかもしれない。僕の胸はときめいていた。
「あ、お前は、取材に付いて来るなよ」
「誰が行くか、そんな行くだけで大変そうな場所」
因みに僕の名前は、佐野隆。大きな欠点もないが、大きな取柄もない、そんな男である。自分で言うのも、なんだが。一呼吸の間の後で、火田は続けた。
「しかし、そもそも、あの女はお前のその話を受けるのか?」
「受けるだろう。だって、民俗学とかそういう範疇の話じゃないか」
「いや、それだけで受けるとは限らないだろうよ… それに、この話、“人食い”なのだろう? なんだか下世話な臭いがするぞ。鈴谷、こういうの嫌いそうじゃないか」
僕はそれにこう返した。
「大丈夫だって。こういうのだって、充分に文化だよ」
それほど深くは考えず、まぁ、大丈夫だろうと、僕は軽く楽観的に考えていたのだけど…
「パス」
と、僕の話を聞くなり、その彼女、鈴谷さんは即答したのだった。場所は、民俗文化研究会のサークル室。僕はそれに固まる。笑顔も同時に固まっていたと思う。
「どうして?」
「どうしてもなにも、その手の信憑性のない無責任な噂話なんて真面目に取り上げる価値はないわ。地域社会の文化に対する偏見が酷い。人食い。カニバリズム。そういったものの多くは、別に食料として人肉を欲している訳じゃない。食す事で、魂を取り込み、故人と同一になるという意味合いも込められている。でも、その手の噂ってセンセーショナルな側面にばかり注目して、本来の意味を軽視するでしょう? だから、嫌いなの」
その彼女の口調からは、強い意志が感じられた。この拒絶は、どうやら本格的だなと僕は悟る。
それで、“そんな”と僕は思った。この話を探し出すのに、かなり苦労したのだ。場所も分かって内容もそれなりに信頼ができる噂で民俗が絡んでいるとなると、そんなにあるものじゃない。実は、何か月もかけてようやく見つけたのだ。
民俗文化研究会のサークル室は、殺風景だ。狭い上に物が少ない。棚と机とお茶セットと、後は資料の本があるくらい。そのうちの何冊かは、机の上に置いてあった。もしかしたら、今読み途中なのかもしれない。鈴谷さんは、パイプ椅子に腰をかけ、片腕を椅子の背もたれにぶらさげるような感じにしている。その姿勢の所為なのか、僕には彼女が胸を張っているように思え、それで勝手に威圧された。
彼女はメガネをかけているのだけど、瞳の強さはそのメガネ越しでも変わらない。機能性を重視しているだとかいって、彼女はスーツを好むのだけど、今もそれを着ている。知り合いの誰かから貰ったというそれは、スレンダーな彼女の体型によく似合っていた。
「場所は、香川県でね…」
僕はどうしても諦めきれずに、そう言ってみた。もちろん、それで何とかなるなんて思っていなかった。ところが、それを言うなり彼女はこう呟いたのだ。
「香川県?」
メガネの下の瞳が大きくなるのが分かった。それから「香川県といえば…」と、彼女は続ける。そして、机の上に目をやる。机の上には数冊の民俗関連の本が。埋葬にまつわるものや疱瘡神について、それと何故かヴァンパイア。和風の資料に紛れてそれがあったから、僕は特にそれが気になった。
どうして、こんなものがあるのだろう?
少しの間がそれから流れる。僕にはその間の意味が分からなかった。鈴谷さんの性格からして「場所なんて、関係ないでしょう」とでも言って、断って来るだろうと思っていたから。しかし、
「前言撤回。興味が沸いて来たわ。分かった。行きましょう」
と、それからそう彼女は言ったのだった。
僕はその彼女の反応にもちろん驚いていた。どうして、彼女は香川県と言った瞬間に態度を変えたのだろう?
香川県。香川県といえば、讃岐うどん… かな? もしかしたら、鈴谷さんは讃岐うどんが好物なのかもしれない。そう考えた僕は、
“これは、何としても食事は讃岐うどんにしなければいけない”
と、そう考えた。
一度行くと決めると、鈴谷さんの行動力は凄まじいものがある。提案した本人の僕に構わず、日取りとその日のスケジュールを決めてしまった(一応、確認はされたけど、僕がそれに反対するはずはなかった)。僕が情けないだけだと言われればそうかもしれないが、そこが彼女の魅力でもある。
出発は朝の五時。
泊まりはご免だという彼女の意思を考慮して、早朝に出発して何とか日帰りで済まそうという算段だった。交通が不便だと言っても、幸いにも電車とバスだけで行ける場所に目的地の村はあり、それは可能であるように思えた。惜しい事に。
電車での移動中、鈴谷さんは民俗関連の本を読んでいた。ほとんど初めからそんな態度で、僕には全くの無関心。話しかけたかったけど、「取材に必要な本を読んでいるの」と言われれば建前上、それを邪魔することは僕にはできなかった。
ただし、しばらく読み続け、流石に疲れたのか彼女が読むのを止めたので、僕はチャンスとばかりに話しかけた。
「なんでヴァンパイアの本なんて読んでいたの?」
そう。彼女が読んでいたのは、僕があの日に見たヴァンパイアの本だったのだ。
「私がヴァンパイアの本を読むと不思議? 佐野君」
「うーん。どちらかと言うと、和風なイメージがあるかな、鈴谷さんには。それと、今回の取材で役に立つって理由が分からない」
「私のイメージは置いておいて、ヴァンパイアの本を読んでいるのは簡単よ。ヴァンパイアが埋葬と深く関わっているから」
僕にはそれを聞いてもよく分からなかった。どうして、埋葬が関わっていると人食いの話に役立つのだろう? それから僕の納得のいかなそうな顔を見てか、彼女はこう言った。
「カニバリズムもね、実は埋葬と深く関わっているのよ。それに、それ以外にもちょっと気になる事があって……」
その後で彼女は少し考えるような仕草をすると、それからこう訊いて来た。
「ねぇ、佐野君。あなたは、どうして日本にはヴァンパイアがいないのだと思う?」
「ヴァンパイアが?」
「そう。世界中でヴァンパイアに類するものは、多く伝わっているの。実はヴァンパイアって亡者の一種で、血を吸うとは限らないのだけど、そのカテゴリで分けると、似たようなものは多いのね」
「あ、キョンシーとか。中国の」
「そうね。それも一例だと思う。ね、なのに、どうして日本にはいないのだと思う?」
僕がそれに何も答えられないでいると(だって、そんなの考えた事もない)、彼女はこう説明して来た。
「ヴァンパイア退治って死体を殺すでしょう? ほら、杭とかで胸を突いて。その死体を殺すってのが、私は案外重要なのじゃないかと思うの。流行病とかだと分かり易いけど、ヴァンパイアは人が連続死するような事があると、その原因にされてきた。それで、墓を暴いて、ヴァンパイア化したとそう思われている死体を殺すのね。
ところが、日本人には死人を尊ぶって感性がある。山川草木悉皆成仏。人は死ねば皆、仏となる。荒神信仰って言って、強盗や泥棒の霊を神様として祀る風習が日本には数多くあるのだけど、これは死んでしまえばその罪を許してしまうという、日本人の感性があればこそなのかもしれない。それで、罪人の死体を腑分け、つまり解剖するなんて事にもかなりの抵抗があったようなのよ。西洋では、遥か昔から行われて来たのにね。それが医学発展の差となって現れもした…
と、話が逸れたけど、だから死人が原因で病気が蔓延した、なんて発想にも発展しなかったのかもしれない」
彼女はそれだけの事を一息に喋った。実は鈴谷さんには、多少、興奮し易いところがあって、こんな風に突然、饒舌になる事がしばしばあるのだ。それを受け、少し考えると僕はこう応えた。
「つまり、死体を尊ぶという発想があったから、ヴァンパイアの類が日本では生まれなかったかもしれないと言っているの?」
「簡単に言ってしまえばそうね。例えば、病気が流行るのは疫病神の所為にされる。変わり種としては、死体を食う為に、疱瘡を流行らせたとか解釈される疱瘡婆なんてのもいるけど…… やっぱり、死体は犯人にされ難い傾向がある。ただ、それって、死体が速くに朽ちる日本の湿潤な気候があればこそなのかもしれない、とも思うのよ」
僕はそれを聞いて不思議に思う。
「どういう事?」
「水分や気温に恵まれていると、細菌類や微生物が活発に活動するから、死体は簡単に腐って白骨化する。ところが、水に恵まれていない土地だとそうもいかない。いつまでも死体が残り続けるなんて事態も起こる。
で、場合によっては、例えば鳥葬だとか、ミイラ処理だとか、死体を速く朽ちさせる文化も発達するのね。だけど、日本にはその必要がなかった。水が豊富だから」
それに僕はこんな感想を言った。
「ああ、最近じゃ、火葬にするしね」
すると彼女は、少しだけ驚いた顔をしてこう言った。
「ん? ああ、そうね。火葬も“死体を殺す”処置の一つだわ。ただ、人間って水分が主成分だから、燃え難くて、かなりの火力が必要とされるのだけど。だから、どんな社会にも可能な方法って訳じゃない。人口の少ない地方の社会では難しかったかもしれない」
僕はその彼女の話を聞きながら、多少は不思議に思い始めていた。一体、どうして彼女はこんな話をしているのだろう?
人口の少ない地方の社会。
もしかしたら、それは今向かっている村の事を言っているのかもしれない。続きを聞きたかったのだけど、その時に乗り換えの駅に到着してしまって、それで会話は途切れた。
何度か電車を乗り継ぐと、景色がいかにも田舎のものとなり、なかなか綺麗だった。香川県によく見られるため池なんかもある。やがて目的の駅に着いた。まだ十一時だったけど、他で昼食を取れる場所があるか分からなかったので、そこで食べる事にした。もちろん、讃岐うどんをチョイス。ちゃんと調べていたのだ。僕が調べたのは、これだけだけど……。
「美味しい?」
と、僕が尋ねると鈴谷さんは不思議そうな表情を見せた。こう返す。
「美味しいけど?」
何だか反応が微妙だ。もっと大喜びするかと思った。もしかしたら、彼女が讃岐うどん好きだから、香川県に行きたがったという僕の推測は間違っているのかもしれない。……まぁ、でも、讃岐うどんを選択したのは、美味しいから間違いではなかったけど。なんで、こんなに美味しいうどんが存在するのだろう? ナスの天ぷらに合うなぁ
もう少しゆっくりと食べていたかったけど、時間がないのでそうもいかない。バスが来る時間に間に合わなくなる。
それから来たバスに乗り、そのまま揺られて45分ほど、僕らは村の役場に着いた。どうも、そこは村の図書館というか郷土資料館も兼ねているらしく、そこで鈴谷さんは調べものをするつもりらしかった。
彼女が調べている間、僕は暇なので管理をやっているというおじさんと話をした。
「人食いの村なんて、失礼な噂がこの村にあるのですよ。そういう偏見を打破してやろうと思って僕らは来たのです。実は僕は大学の新聞サークル員でしてね」
なんて調子良く話してみたら、案外、気楽に返してくれた。偏見打破なんてつもりは、それほど僕にはなかったのだけど。
「ああ、その話なら知っているよ。酷い噂だよなぁ この村には、そんな風習はないはずだよ。何でか知らないが、村の外の連中がそんな事を言っていたらしくてな。と言っても、それは遥か昔の話で、今の若い者はそれすら知らないのだけど」
それを聞いて僕はなるほど、と思った。その昔の村に対する偏見だけが残り、過去を知らない現代の若者を戸惑わせているというのが、この噂の真相なのかもしれない。何でそんな噂が立ったかは分からないし、それだとお婆ちゃんの「肉削ぎ」発言の意味も分からないけども。
それからもしばらく僕はそのおじさんと会話をした。と言っても、人食い村の話なんかじゃなくて、讃岐うどんが美味しかったとかため池が綺麗だったとか、そんな他愛ない内容だ。もしかしたら、鈴谷さんとの会話よりも、このおじさんとの会話の方が多いかもしれない。
……なんて思ったけれど、悲しくなるだけなので、考えるのは止めた。
やがてまた話題は人食い村の話に戻り、僕は肉削ぎ発言の疑問を思わず口にしてしまった。すると、興が乗ったのか、おじさんは僕に「なら、“肉削ぎ”発言をしたお婆ちゃんの家に案内してやろうか」と、そんな事を言って来たのだった。驚いた事に、このおじさんはその渦中のお婆ちゃんを知っているらしい。狭い村だから、それほどの偶然ではないかもしれないけど。
そして、その声を聞いていたのか、それとも偶然にタイミングが合ったのか、その少し後に鈴谷さんは調べ物を終えたのだった。それを見ると、おじさんは「じゃ、ま、少しの間、他のもんにここは任せて、案内してやるか」なんて気楽に言う。もちろん、乗らない手はない。僕らは「お願いします」と、そう言った。ただし、そうお願いしてはみたものの、僕は少なからず不安だった。そのお婆ちゃんは僕らに気を悪くしないだろうか。話によると頑なに、“肉削ぎ”発言について、口を開こうとしないらしい。こんな余所者の僕らから、そんな触れられたくない事を尋ねられたら、怒りだしてしまうかもしれない。
おじさんは僕らを車で送ってくれたのだが、家に着くと玄関でお婆ちゃんに「大学生がお婆ちゃんに話を聞きたいって」と、声をかけてくれただけで、中にまでは付いて来てくれなかった。“おおらか過ぎるよ”と僕は思う。僕らが危険人物だったらどうするんだ? まぁ、こんな状況で僕らが危険人物の可能性はほとんどないだろうけど。
そこで、僕の不安そうな表情を見抜いたのか、鈴谷さんがこう言った来た。
「多分、大丈夫だと思うわよ。さっきの調べものと、おじさんの証言で、なんとなく事情は分かったから。というか、予想通りだったのよね。私の」
僕はその発言にびっくりした。一体、彼女は何を予想していて、何が分かったというのだろう? 尋ねたかったけど、もうそんな時間はなかった。
玄関口で「入ってきていいよ」という声が聞こえたので、中を進むと、和室にお婆ちゃんが正座していた。僕らも正座でそこに座る。薄暗い部屋で、なんとなく落ち着く。畳の香りが、肌に心地良かった。挨拶を終えると少しの間の後で、鈴谷さんが口を開いた。
「肉削ぎ…」
その単語を聞くなり、お婆ちゃんの表情が険しくなるのが分かった。やっぱり、NGワードだったようだ。僕は途端に不安になる。逆鱗に触れたら、どうしよう? しかし、それから鈴谷さんはこう続ける。
「それは、かつて、この村の埋葬の為に必要な処置だったのですね…」
すると、お婆ちゃんは少し驚いた顔をしていたけど、大きく頷いたのだ。そして、それから、お婆ちゃんの表情は一気に柔らかくなったのだった。僕は一人、意味が分からないで混乱していた。
死体の肉を削ぐのが、埋葬?
鈴谷さんはお婆ちゃんの反応を受けると、にっこりとほほ笑み、こう言う。
「やはり。そうだと思いました。ここ香川県には雨の少ない時期がある。さっき、村役場で調べたら、この村は特に雨が少ないそうですね。つまり、以前に火葬が一般的でなかった時代では、腐り難い所為で遺体が長い間残ってしまった」
僕はその彼女の発言の意味が分からず、こう尋ねた。
「どういう事? どうして、遺体の肉を削いだりするの?」
それを聞くと、彼女はこう言った。
「さっき、電車の中で説明したでしょう? 人間社会では、遺体に何らかの処置をするのが一般的なのよ。ちょっとお婆ちゃんの前で言うのは表現があれで、言い難いけどつまりは“死体を殺す”処置。土葬だって遺体を骨にする為のものと捉えられる。土に埋めておいて、骨になったら、家に持ち帰る文化だってあるのよ。現代日本の火葬だって発想はそれと同じ。焼いて骨にするでしょう? もっと言うと、鳥葬は鳥に肉を食わせて骨にする為のもの、その他、あまり知られていないけど、肉食獣なんかに肉を食わせる、なんて方法もあるのよ。そして、それと似たような処置として、人間が遺体の肉を削いで骨にする、というものもある。遺体をミイラにするのと似た発想だと思ってくれれば分かり易いかもしれない」
鈴谷さんの饒舌が出てしまった。お婆ちゃんの様子を見ると、多少は驚いた感じではあったけど、気を悪くしてはいないようだった。
「そちらさん、随分とお詳しい…」
そして、そう言う。鈴谷さんはにっこりと笑ってこう返した。
「はい。一応、民俗文化研究会なんてサークルに所属しているもので」
その後で僕は言った。
「ちょっと待って。つまり、肉削ぎってのはカニバリズムでも何でもなくて…」
「そう。埋葬の為の処置の一つ。水に恵まれないこの地方独特のものね。もっとも、近代化してからは好ましくないものと思われたのか、それを示す直接の資料は残っていなかったわ。
ただ、水不足で死体がいつまでも残り続けただとか、そういった話は郷土資料で何点か見つける事ができた。そこまで分かれば、予想は付く。
“肉削ぎ”は、遺体を埋葬する為のものだったのよ。カニバリズムも、埋葬の儀式として存在するケースがあるけどこれは違う」
それにお婆ちゃんは頷いた。
「そうだよ。大体、この村でも、肉削ぎなんて嫌がって誰もやりたがらない。だから、死人が出ると大変だったんだ。特に若者の死体は、丈夫だったから…… 人を食っているなんて、とんでもない話だ。今みたいに火葬にできるんなら、あの当時からやっていたよ」
それに鈴谷さんは大きく頷く。
「なのに、酷い悪口を言われる… お気持ち、お察しいたします。隠したくなる気持ちも分かりますわ」
その後で僕はこう訊いた。
「ちょっと待って… だったら、どうして人食いの村なんて噂が流れたのか、それが分からない…」
軽く息を吐き出すと、それに鈴谷さんはこう答えた。
「その理由は簡単よ、佐野君。
さっき、あなたはおじさんと話していて聞いたでしょう? “人食い”の話をしていたのは、この村の人達じゃなくて、外の人達だったのよ」
それを聞いて僕は思い出す。そして、「なるほど」と呟いてからこう続けた。
「村の外の誰かが、埋葬の為の“肉削ぎ”を見てしまった。それを見た人は、食う為に肉を削いでいるのだと勘違いをして、“人食い村”の噂を広めてしまったのか…」
それに鈴谷さんは頷く。
「そう。今回のケースが少し厄介なのは、この村に対する村の外の偏見と、この村の過去に対する今の偏見が同時にあったって点かしらね。だから、偏見が解かれずに、ちょっと噂になって、インターネットに紹介までされちゃったのよ」
そう言い終えると、鈴谷さんはお婆ちゃんに顔を向けた。
「お婆さん。私達は誤解を解くために、この話を記事にしようかと思っています。ただ、その事で却って、この村の噂が広まってしまう可能性もある。だから、少し迷いもあるのです。
それで、どうするべきなのか、できればお婆さんに選んで欲しいのです。この話を紹介してもよろしいですか?」
僕はその質問に驚いた。確かに、決定的な証言はこのお婆ちゃんから出たものだから、お婆ちゃんの了解を得るのは筋だけど、ここで断られたら、何も書けなくなってしまうじゃないか。
なんで、そんな質問を…
そして、僕が思わずそう言いかけたところで、お婆ちゃんは首を横に振ったのだった。
「止めてください。これ以上は、騒がれたくはありません。静かに暮らしたい」
鈴谷さんはその返答に、「分かりました」とそう応えた。
僕はそれを聞いて落胆した。
「何で、あんな質問をしたの?」
お婆ちゃんの家を出ると、郷土資料館のおじさんに電車の駅まで送ってもらって、僕らはそのまま電車に乗った。直ぐに帰らないと、夜までに間に合わないからだ。そして、その電車の中で僕は鈴谷さんにそう訊いたのだった。すると彼女は澄ました顔でこう返す。
「あら? あのお婆さんが当事者なんだし、選択権は譲るべきだと思うわよ。それに、あの噂はその内に消えるでしょう。それほど有名な話じゃないし。佐野君は随分とがんばって噂を探したのでしょう?」
僕はそれに黙った。彼女はトドメとばかりに続ける。
「そもそも佐野君は、私と一緒に旅行がしたかったから、あんな話を探したのでしょう?
なら、記事にできなくても別に良いじゃない。目的は達成できたのだし」
僕はそれに驚いてしまった。
「え?」
「そんなに驚かないでよ。私、いくらなんでもそこまで鈍感じゃないわよ。佐野君が、こんな私みたいな地味できつい女の何処か良いと思っているのかは分からないけど」
僕はそれを聞くとため息を漏らした。
「はぁ 一つだけ聞かせて。今回の件、いつから予想していたの?」
「ん? それは佐野君から、場所が香川県って聞いた瞬間。あの時に、ピンと来たのよ。もしかしたらってね。香川県と言えば、水不足で有名だから」
僕はそれを聞いてやっぱりね、と思う。讃岐うどん好きって訳じゃなかったみたい。それから彼女はこう言った。
「でも、あのお婆さんから話を聞けたのは、予想外だったわ。そこは佐野君に感謝しないと。よくあのおじさんと打ち解けてくれた」
それに僕は素直に喜んだ。そして、喜びついでのノリでこう尋ねる。
「もう一つだけ、聞かせて」
「一つだけじゃなかったの?」
「鈴谷さんが、分かった上でこれに付き合ってくれたって事は、僕にも少しは脈ありってこと?」
その質問には彼女は笑った。そして、こう返す。
「さぁ? でも、少なくとも、今日は案外、楽しかったわよ。讃岐うどんも美味しかったしね」
“もしかして、讃岐うどんの件も分かっていたのかな?”
と、僕はそれに少しびっくりする。そして、僕はきっといつまで経っても鈴谷さんには勝てないのだろうな、とそう思った。まぁ、それでも別に良いかとも思ったけど。
主な参考文献:「死と埋葬のフォークロア ヴァンパイアと屍体 工作舎」