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魔払いのミコ  作者: 白雪
第1部 過去の鎖
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第5章 最後の大勝負2

 希は、心愛達が仁の家に向かっている間、パソコンを引っ張り出してなにやらやっている美鈴に気づかれないように、そっと上階に上がった。三階建ての建物の、三階部分は心愛と希の生活領域に当たり、よほど大事な用がある時でなければ、美鈴達は入ってこない。

 部屋の全身鏡を見つめる希の目の前で、希だったものが徐々に姿を変え、一人の男が姿を現した。長い髪の毛は目を見張るほどの金髪。そして彫りの深い目鼻立ち。日本人とは到底思えない。そんな彼が希を見て、小さく笑みを浮かべる。希の代わりに鏡に映る男が見えるのは希だけだ。希以外の全ての人間には普通に希が鏡に映っているように見えるはずだ。心愛でさえも、彼の姿を目にする事はできない。

「ラティア。……聞きたいことがあるの」

 ラティアという名前の悪魔と会話を交わせる事を知ったのは、小学生の頃に契約を交わしてからすぐの事だった。何気なく鏡を見ていた希の目の前で自分の姿が見知らぬ他人、しかも明らかに外国人の男性の姿になったときには思わず悲鳴を上げそうになってしまった。それが、今ではごく普通の出来事として受け入れる事ができるのだから時間の流れとはすごいと思う。

 強張った表情の希とは対照的にラティアはまるで何を訊かれるのか知っているかのように鷹揚に頷いた。

「ああ。東雲楓についてか?」

 ラティアの声はまるで頭に直接響いてくるような感覚がした。耳から入ってくる音では無いその感覚に慣れるまでには随分と時間が掛かった。

 彼がそれを知っている事に驚きはない。希が彼と会話を出来るのは希の姿が写る鏡を通してだけだが、基本的にラティアは希の中に居る。希が見て、聞いて、感じたものをラティアも共に見ているはずだ。

「そう。彼女は……」

「アレは、自然発生の魔ではない」

 予想外の言葉に希は目を見張った。魔と言うものに種類があるなんて聞いたことも無かった。

「どういう……事……?魔に種類があるなんて、私は聞いたことが無い」

「希に言うことは無意味だった、少なくとも今までは。でだ、自然発生では無い魔、それはお前のような〝契約者が憑けた魔〝だ。契約者は自分がつけた魔を取り込んだ御魂を喰らう事で寿命を延ばす。まあ、その方法が可能なのは〝心の属性〝を持つ悪魔だけだが。本来なら契約した時点で知らせる内容だが、お前はたとえ知っていてもそれを実行はしないだろう?」

「御魂を喰らう……そうなったら食べられた人は……」

 他にも気になる事を言っていたが、その問以外は希には関係ない。今知らなければならないのは、そのたった一つだけだ。

「お前たちが今まで払ってきた魔の中で魂に完全に喰らいついていたものがいくつかあっただろう?彼等を祓った時と同じ状況だ。そして、契約者が憑けた魔を他の者が祓えばやはり同じ状況になる」

 希は大きく息を呑んだ。それなら、東雲楓は絶対に助からない。希には助ける術が無い。また、心を失うのを黙って見ているしかないのか。

 それにしても東雲楓に魔を憑けたのは一体誰なのだろうか。

「彼等を助ける方法は……?」

「それは……」

 ラティアの声をさえぎるようにして携帯電話の着信音が鳴り響いた。一通のメールが届いている。送信者は章だ。

《師範代が魔に憑かれた可能性がある。今すぐ死の森に来い》

 短い文面が今の状況をはっきりと表している。ゆっくりと打っている時間が無いのだろう。

「行かなきゃ……」

 希はラティアの方に目もくれず慌てて部屋を出て行こうとした。だが、直前にラティアに呼ばれ、振り向いた。

「希、完全に魔に憑かれた人の御魂と精神を守る方法が一つだけある。それは―――」

 その言葉は、希の中で重苦しいものとして残った。だが、それを考える間もなく希は部屋を飛び出していく。その表情はさっき以上に強張り、凍り付いていた。

 まるで、崖から転がり落ちているような気がする。自分ではどうすることも出来ない、そんな焦りが希の中に湧き上がってきた。







「希!!待……」

 背後から呼びかけられる声を完全に無視して、希は胸元に手を当てた。ふんわりと掌に熱が集まってくる。ざーーっと風が吹いた音と共に希の目の前の景色が変わった。

 慌てて希を呼んだ美鈴の姿も、事務所の部屋も何もかもが一瞬で消え去り、辺り一面薄暗い森の中だった。太陽の光を通さない森の中は薄気味が悪く、自殺の名所と言われるだけのことはある。現に前にここに来たときも『遺書を残して消えた父を探して欲しい』という依頼のときだった。何故皆こんな薄気味悪い場所を最後の地として選ぶのだろう。

 ザッと森に足を踏み入れた希は、四人の人間を見つけて小さく息を呑んだ。魔をつけられていた東雲楓。楓の恋人だった原憲明。仁の友人で加賀美夫妻の元依頼人だった加茂千里。そして、希のほうに暗い目を向けてきている斉藤仁。その目には生気が無かった。心愛ほど目が良くない希でも彼に魔がついていることがわかった。それも、楓についていたレベルの魔だ。

 一度退けたであろう仁に魔がつけられることは無いと思っていたのに、油断した。

「斉藤……先生……」

 ポツンと呟いた希に向かって仁が動く。目にも止まらぬ速さで希に蹴りを繰り出した。普段の希であれば簡単に避けられたかもしれない、今の彼女はよけようというそぶりすら見えない。仁の蹴りが彼女を捕らえるよりも早く、彼女の身体が後ろに引っ張られた。

「希!!何やってんだこの馬鹿」

「章……」

「師範代の動きを止めることは俺には出来ない。お前が師範代を助けるんだ」

 希は返事をする代わりに、次に仁が繰り出した攻撃を素手で受け止めた。彼女の顔には感情らしい感情が浮かんでいない。

「希……」

 ギュッと願うような、懇願するような声で呼ぶ心愛の声すらも希の耳には届いていないようだった。だが、今心愛や章に出来ることは無い。このぎりぎりの状態では彼女達の存在自体が足手まといのようなものだ。







「完全に魔に食いつかれた人を助ける方法は……その魔を一度体内に取り込んで浄化して魂だけを返せばいい。俺と契約したお前にはそれが出来るだけの力がある。ただし……」


 ラティアの声が希の中に響く。希は自分の持つ力をすべて拳にこめて仁の腹部に叩き込んだ。


「それには当然リスクを伴なう。そんなことをすればお前は――」


 希は強い力を仁の中に入れ、彼の魂と魔を自身の中に引き込んだ。鋭い痛みが身体を襲う。悲鳴をこらえた希の中に不思議な映像が流れ込んできた。







 四人の人間がこの森の中にいる。憲明と楓、そして仁と千里だ。

「原……先輩……?」

 呆然と呟いた仁の代わりに千里が二人に尋ねた。

「あの手紙はあんたたちがよこしたの?」

「なんだ、加茂も一緒に来たのか……。そういや昔からよく一緒に行動してたな、それで付き合ってないなんて誰も信じないだろうに」

「そんなこと、あなたに関係ないでしょう!!それより質問に答え……」

「煩いな」

 千里の言葉を遮った憲明に促されたみたいに楓が音も無く動いて千里を地面にたたきつけた。千里から鋭い悲鳴があがる。

「千里!!」

 その悲鳴で漸く我に返った仁が動くよりも早く楓の指が千里の首にかかる。指先に若干力を入れているのだろう。千里が苦しげに呻いた。

「動くなよ。楓に手を出せばお前の姪の命も真実もすべて闇の中だ」

「な……先輩、知って……」

 千里が仁の姪である事を知る人間はほとんどいない。二人はその真実を知った日から一度もそれを人に話したことは無い。

「だから、言っただろう?俺は真実を知っている。まぁ、知ってて黙ってたのは俺だけじゃないがな」

「どういう……」

「おかしいと思わなかったのか?どんな真実でも与えるといった福集屋Rがお前の兄の事件だけは調べない。何故だと思う?その真実を隠蔽したヤツが福集屋Rの中に居た。……お前もよく知るやつ等だ。お前のクラスに居る澤井心愛と霧島希だ。何故隠蔽工作をしたのか、それは彼等がお前の兄の死に深く関わっていたからだ」

 憲明が固まっている仁の身体に手を伸ばした。

「憎いだろう?お前のその憎しみ、俺が引き受けてやろう。さぁ、手を伸ばせ」

 仁に手が触れると黒いものが仁を包み込んだ。








 どのくらいの時間が過ぎたのか判らない。多分一瞬のことだろう。浄化し、魂を戻すと、力を失った仁の身体がその場に倒れこんだ。

「馬鹿な……」

 驚きに歪んだ表情で、呟いた憲明が楓の腕を取って森の奥にかけていく。希は考える間もなく彼の後を追った。

「先生をお願い」

 呆然としているように見える章と心愛に仁を託し、目にも止まらぬ速さで追いかける。恐らく憲明がすべての元凶である契約者。それどころか恐らく魂を喰らっているであろう憲明の力は希より上だ。そう簡単に捕まえられるとは思えない。それでも彼を逃がすわけにはいかない。楓を浄化しなければならないし、そして、希はどうしても彼に聞きたいことがあった。






 憲明は「東雲楓」という足手まといを連れているせいか、さほど早く走ることが出来ないようだった。痛みをこらえて走っている希でさえも追いつくのがさほど難しくない。

 彼は何故楓を捨てないのだろうか。

 希はスッと手を振り上げその手を憲明と楓に向けて振った。バチッという火花が散り、楓が倒れこむ。憲明は足手まとい以外の何者でもないはずの楓を見捨てなかった。さっとかがみこみ、楓の身体を支える。

「何故……あんたが穂波……斉藤先生の事件の真相を知っているの?」

 何度も何度も荒い息を繰り返しながら訊ねる。今すぐにでもベッドに倒れこんで眠ってしまいたい。だが、憲明と話をするまでそんなことは許されない。絶対に。

「お前、馬鹿なのか?何で他人が憑けた魔を払う。そんなことをすれば……ただでさえ短い命よけいに早く散らす事になるぞ」

 ギュッと楓を抱きしめながら問いかける憲明は警戒するように希と距離を開けている。楓につけた魔まで完全に浄化される事を恐れているのかも知れない。

「…………あんたには関係ない。それより質問に答えて」

 その言葉と共に希が手を振ると、楓が鋭い悲鳴を上げた。ぐったりとしていた身体が痙攣している。

「貴様……!!」

 憲明の顔色が変わる。やはり思ったとおり憲明にとって楓は単なる駒では無いらしい。

「質問に答えて。今現状であんたも東雲楓も私にとって敵でしかない」

「………………ハンッ。そんなに知りたいのか?本当は予想が付いてるんじゃないのか?…………あの澤井穂波に魔をつけたのが俺だったって。あの女の魂は死後にちゃんと喰らっておいた」

 クツリクツリと笑う憲明を希があり得ないというように見た。何故、悪魔との契約者は魔憑きとは違う。狂ったりはしない。現に希も狂っていないというのに、何故、憲明は……まるで魔に憑かれたみたいになっているのだろう。

「な……ぜ……穂波さんなの……?」

 憲明が人に魔をつけ、その魂を喰らう理由はラティアに聞いた。でも、何故穂波だったのだろう。何故穂波に目をつけたのだろう。穂波はそこまで弱い人間ではなかったはずだ。

『何で、警察官になったの?』

 毎日、毎日不規則に働く穂波にその質問をしたのはいつだったか。多分先生の事件が起る少し前のことだったと思う。警察官ではない、もっと別の仕事についていればもっとたくさんの時間を心愛と過ごせるのにという恨みつらみが顔に出てしまったのかもしれない。そう尋ねた希に穂波は困ったように笑った。

『高卒でも就職できる可能性がある、最も安定した職業だと思ったから、かな』

 その言葉の意味がその時の希には理解できなかった。でも、今ならわかる。恐らく先生に隠れて心愛を産んだ。その心愛を育てるための策だったのだろう。心愛を大切にしていた穂波が、強い意思を持った母だった穂波が簡単に魔に付け込まれるなんて思えない。たとえ最愛の人を亡くしていたとしても、穂波にはまだ心愛がいた。一人ではなかった。

「さぁ、たまたま、だな。あの頃は、悪魔と契約したばかりで、別に急いで力を増す必要は無かったんだが、いずれやらなければいけないし、何よりもその力を使ってみたかったんだ。だから、死んだような目をしているあの女をたまたま見かけて力を試してみたくなったんだ。あんま良く覚えてないけどな、なんせ、六年も前の事だ。つい最近まで忘れていたくらいだし」

 うんうん、と納得するように頷いた憲明の顔に後悔も、懺悔も浮かんではいない。彼の顔はまるで、『十円玉拾ったけど、十円だし貰っちゃえ』と思っている小学生のようだ。彼にとって人一人を破滅に追い込むことなど大した問題では無いのだ。希や心愛、穂波はたまたま彼の視界に入ったが為に巻き込まれたに過ぎない。

 ふざけるな、と思う。何故、そんな理由で巻き込まれなければならないのだろう。悔しくて、悔しくて、腹が立つ。

「あんた、狂ってる……」

「お前だって狂ってるだろ?お前はいつも魔憑きにこんな苦しみを与えているのか?助ける人間を選ぶのか?」

 希はハッと息を呑んだ。確かに楓は憑かれているだけなのに、希はわざと、憲明から情報を引き出すために彼女を苦しめた。そして、今から楓にする方法は仁に対する物とは違う。これからもあの方法を使うことは無いだろう。

「……あんたには……関係ない」

 暗い表情で憲明の腕の中にいる楓に向かって指を鳴らした。不思議な文様が地面に現れ、楓を包み込む。鋭い痛みが走るような悲鳴が憲明からあがり彼は楓から離れた。

 光に包まれている楓と希を交互に見る憲明の目には焦りの表情が浮かんでいる。

「何故……皆俺から楓を奪う」

 ポツリと呟いた言葉に希は答えない。誰も彼から楓を奪ってなんて居ない。もし彼から楓を奪う人間が居るとすれば、それは彼自身に他ならない。魔を憑けられた人間は決して元には戻らないのに……何故楓に魔をつけたりしたのだろう。

 目を閉じた希の耳に慟哭するような、鋭い願いが聞こえてきた。今度は仁の時のように痛みを伴なわない代わりに映像も無い。聞こえるのは声だけだ。


「楓!!……助けて……誰か、楓を……」


「憲明君が助けてくれたの?ありがとう」


「この頃楽しそうだな……。何で、そんな顔するんだよ。俺と居るのがそんなにつまらないのか?」


「お前、本当にいいのか?アイツはお前の彼女だろう?」


「俺から離れていくくらいなら……俺が壊してやる」


「全部……憲明が仕組んだの?何で……嫌い、憲明なんて大嫌い!!」


「な……何しに来たのよ!?」


「楓、久しぶり。もう、絶対に逃がさない」


 すーーっと声が消えていく。呆然とこちらを見る憲明を無視して楓に駆け寄った。楓の身体を起こして、守るように抱きしめた。生気のない肌も、何の感情も写さない目も、すべては希の罪の証だった。それでも逃げることは許されない。希が選んだことなのだ。

「あんた、狂ってる」

 憲明と楓の過去に吐き気がしそうだった。大切な、愛した人間に対して、何故あんな方法が選べるのだろうか。

 憲明の周りに砂埃が舞う。強い力が希達に向けられるがそれは楓に対する気遣いからか若干力が無い。憲明が希には理解できない。あんな残酷な方法で傷つけたというのに、ここでは楓を守ろうとする。だが、今の状態の楓を憲明に渡すのは論外だ。何をするかわからない。

 楓を腕に抱え込んだまま、希は力を解放した。憲明のように周りに気を使う必要が無いだけ希に利がある。鋭い風の刃が憲明を吹き飛ばした。

「くそ……絶対に取り戻す」

 悪態を吐いて森の奥に走っていく憲明を尻目に希の身体がグラリッと倒れた。

「希!!」

 意識が闇に沈むよりも早く希の耳元に心愛の必死に彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。だが、その声を最後に希の意識はブラックアウトする。


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